【ナヒレ決議】第一話 集結・申告
干川譲が目覚めると、自分が見覚えのない部屋にいることに気づいた。
どこで自分が眠ったのか、眠る前に何をしていたのか、うまく思い出せない。不思議なのはこの部屋の中が、照明などを設置していないにも関わらず明るいということだ。窓もなく、壁も床も天井もコバルトブルーで彩られた部屋には、一つの円卓と四つの椅子が置かれている。それほど広くはない。
干川がいるのと別の角に、これもまた見覚えのない人間たちが横たわっていた。
まさか、何かの事件に巻き込まれてしまったのか?
干川はドアを探したが、この部屋には窓どころかドアもない。
「どういうことだよ」
そんな干川の声に反応するように、円卓の上から声がした。
「おはようございます」
膝を立て卓上を見た干川は、そのまま硬直した。テーブルの上に、紫色の肌をした老人が立っていた。それも、親指くらいの小さな姿だ。老人は玉の上に立つようにして、干川を見ている。
干川があげた間抜けな声に反応して、ほかの三人も目を覚ました。見たところ外国人のような風貌だが、誰も彼もみな「うわあ」と声をあげ、ここはどこだと、日本語で驚いてみせた。
「みなさま、お目覚めですね。床で話されるのもなんですから、どうぞお席におつきください」
それぞれにここはどこだ、お前は誰だ、この人たちはなんなのだという疑問があがったが、老人がにこにこと笑ってみているだけなのを見て、一様にあきらめて席に着いた。
見覚えのない顔だ。それぞれの風貌を確認し、ようやく一同は老人に目線を戻した。
「急におよびたてして申し訳ございません。私は、ジークと申します。この姿はホログラムでして。私は、この場所にはおりません」
「あ、アバターってこと?」
「いえ、私の姿は全く同じように映っているはずです。そちらの言葉で言い換えれば、宇宙人、という言い方が正しいでしょう」
「……アホか、宇宙人なら、どうして言葉が通じるんだ」
「それは私の足元にある……ナヒレが翻訳しているからです。あなたがたはナヒレに選ばれた運命の人。私は、以前こちらを使用していた者、というわけです」
「運命の人って…… そんな話、信じられない」
「ナヒレを覗いてみてください。そこに、あなた方の名前が記してあります」
一同が身を乗り出して、その球を見た。ナヒレと呼ばれる水晶玉のような物体に、確かに、干川の名前がある。それ以外にも、アルファベットや日本語の名前がつづいていた。だが、中には読めない文字もある。
ジーク曰く、ナヒレは代々様々な星々に受け渡されてきた宝玉であり、誰が受け継がれるかは最初から設定されているのだと言う。ジークもこの宝玉に選ばれ、これを使って星を救った後、次に受け取るべき干川達に届けに来たのだ。
「受け取れって言われても…… 一つしかないし、それに」
いったいこれは何なのだ、と皆が思っていた。宝玉と言う大仰な名前にしては、ただの水晶玉のようにも見える。
ジークはナヒレがなんであるかを知るために、試しに干川に触れてみるように指示をした。思ったよりも柔らかいそれは、すんなりと干川の手の中になじんでくる。
先ほど、ジークはナヒレによって翻訳が為されていると言っていた。これは翻訳機か何かなのだろうか、とまじまじと観察する。
「小腹が空いたでしょうから、何か食べたい軽食を四人分思い浮かべてみてください」
軽食、と言われ干川はとっさにパック詰めされたおにぎりを思い浮かべた。するとナヒレが光りだし、円卓の上におにぎりが四つ、現れる。円卓を囲んでいた一同が目を見開いた。
「これがナヒレの恩恵。名前を刻まれた者は、ナヒレに触れて思い浮かべることで万物を召喚することもできます。それは生命体であっても同じ」
「どんな物理法則にもない…… まさに、神の技ってわけだな」
白衣姿の金髪の男が干川からナヒレを奪い、観察し始める。どうやら科学者らしい、干川を真似て紙とペンを錬成し、ぶつぶつと何かをつぶやきつつメモし始めた。
「ほかにも、ナヒレは宇宙船と同じ役割を持っています。定員はあなた方を含めて百人。この星の生命体がここと同じように暮らせる星に、あなた方を運んでくれます。とはいっても、文明も動植物もそこにはいないことがほとんどですが…… 」
「どうしてこれを私たちに?」
ふくよかな体の黒人女性が口を開き、はっとして「ピギです」と名乗った。
「この星の人類は、滅亡します」
ジークはさらりと述べる。白衣の男以外が、何を、と顔をしかめた。
ジーク曰く、ここ三か月間の間に、宇宙を回る怪物が飛来するという。
その怪物は生命のいる星を見つけては丸のみにする巨大な生命体で、生態もどこから来たのかも不明。そんな怪物に対抗すべく、なにものかがこのナヒレを生み出し、怪物の軌道上の生命を救って回っている。ナヒレは、生命のバトンなのだと説明した。
「今となっては、このナヒレをもたらしたのが何者かも判然としません。それほど長い間、ナヒレは生命を救ってきた……。あなた方には、その怪物の襲来する前に、ナヒレを用いてこの星から脱出する人々を九十六名、選出していただきたいのです」
ジークが説明を終えて、一分ほど静寂が訪れた。
無理もない、突然怪物が来ると言われてもリアリティがない。
「そんな怪物が地球に向かっていれば、アメリカとかの先進国が対応に向かってるはずだよ。その証拠に、この先何千年以上も先に地球に飛来する隕石まで、すでに計算されている。ドキュメンタリー番組でやってたよ」
赤髪のそばかす少女が反論する。
「怪物は突如星に降り立つのです。その証拠に、何億年も先まで計算をしていた私の星も、丸呑みされました。この星の文明では、あの怪物には勝てません」
「飛来してから可視化する生命体…… おもしろい。サーモでも赤外線でも、放射線でさえも認知できないのか」
「我々の星は分子ひとつが動いても認知できる文明を持っていましたが、反応はできませんでした」
「あはは、それはお手上げだ。ここ三か月でそれに対応するのは、確かに無理だね」
科学者が笑う。その笑い声を不快そうに見つめるピギが、長い溜息をついた。
「家族を救うにも、選ぶしかないってことなの?その……九十六人を」
「はい。私も他の三人の仲間とともに、あなた方と同じように、選びました。ですが、単純に親密な関係者を選ぶだけではそののちの生活に支障をきたす。だからこそ、こうして会議の場が設けられていると言うわけです」
再び、静寂が訪れた。
生き残るべき人間を選ぶ。まだ互いのことさえも理解していない四人の人間の手に、地球上の生命が、ゆだねられた。
選べる人間は、残り九十六名。
■
五人は互いに自己紹介をすることになった。
まずは、干川譲。東京に暮らす日本人。年齢は二十五歳。勤め先は総合商社の建築部門で、営業担当。大学では心理学を専攻。家族は田舎に暮らす母のみで、恋人は干川と同じ会社に勤めている。
ピギはそれを聞いて、それならその二人は救うべきだと論じ、科学者はまだ決めるのは早いだろうと反駁した。干川はピギのやさしさに安堵しつつも、説明をつづけた。
まずは、自分が救うべきだと思う人間についてだ。
百人だけが知らない星に行くのであれば、文明を築くために必要な人類を選出する必要があること。例えば、医療。そして、食料を供給するための知識。
それには赤髪の少女が反論した。ナヒレがあるのであれば、すべての病を治す薬や食料は無尽蔵に手に入ると。
赤髪の少女は、フランス出身のアニータ・ローレ・ベルカセム。
芸術学校に通うコミック信者で、家族はフランスの田舎町に暮らしている。ルームシェアをしている中国人が、彼女にとって一番仲のいい友人だという。その中国人は男性で、専攻は宇宙工学。だから先ほど科学番組の知識を披露したのだ、と続けた。信仰する宗教は特にないが、神話をモチーフにしたこともあり詳しいという。
助けたいのは暗い気持ちを次の星に持ち込まない人だと続ける。ほの暗い感情が生まれれば、次の星でも問題を起こしてしまうからだ。
ピギのフルネームはピギ・エミリオ・スタンリー・グギ。
キリスト教信者であり、夫と五人の子どもを育てている。居住地はケニア。農家を営んでおり、親せきは自分たちを除いても五十人は下らない。
学校には通ったことがなく、作物を売ってはその日暮らしになることが生まれてからずっと続いているそうだ。
科学者はそれを聞いて、嘲笑に近い声をあげた。
科学者はグリーン。
下の名前は嫌いだからごねていたが、ピギが「隠しごとをしては今後の会議に差支えが出る」と言ったことで、ベイビー、と名乗った。親が馬鹿なのだと突き放したように言い、自分の家族は愚か者だから一人も救う必要はない、と続けた。
大学で研究者をしており、物理学の中でも武器などを取り扱う分野の研究を行っている。アメリカ軍の技術革新は自分の研究成果のおかげだと自慢めいた言葉を並べた後、自分のように有能な人材を百人選んで運ぶのが妥当だ、と論じた。
一通り自己紹介が終わったところで、ジークも自己紹介をすることになった。
ジークの母星はここから二億光年離れた星で、彼は百二十年前にその星を去った。ナヒレに選ばれたと異星人に言われ、干川達と同じように戸惑った経験があるからこそ、いくらでも説明はすると続けた。
この部屋には窓がないため、どれほどの時が経ったかはわからなかった。ジーク曰く、ここは別次元にある部屋だと言う。地球とは同じ時間で時は進むらしい。ドアがなければ脱出も不可能。逃走方法も不明だ。当面は、この空間に慣れる必要があった。
とにかくナヒレを使いこなす。そのため、一同はこの部屋の中の居住空間を試しに作ることから始めることにした。
部屋を五分割し、会議室とそれぞれの部屋を作る。自己紹介したのとは逆の順序で部屋を作成した。それぞれは鍵付きのドアを作ったため、どんな部屋を作ったのかは分からないが、おそらくこれまで暮らした部屋と同じようにしたのだろう。
一番時間がかかったのは最初に部屋を召喚したグリーンだった。おそらく、いろいろ錬成して実験していたに違いない。一同が疲れ切ったあと、達成感に満ち溢れた顔でピギにナヒレが渡った。
干川はまず、外部と連絡の取れる通信機器を作った。メカニズムが分からなくても、想像ができれば機能することが時報を聞いてわかる。すぐに恋人に連絡しようとも考えたが、無駄な混乱を招かないためにもやめておいた。これさえあれば、奇妙な誘拐事件であったとしても対処はできる。
次に、暮らすのに必要なベッド。それ以外には、思いつかなかった。
娯楽を楽しむ気持ちにもなれなければ、ここで仕事をしたって人類が滅亡するのであれば意味はない。干川は部屋を出た。
「どうでしたか、ナヒレの使い心地は」
「もう最高。欲しかったフィギュアも作っちゃったし。やっぱり、ほかの星に行ってもそういうコミックを作る作家は絶対必要だよね」
楽しそうなのは、アニータとグリーンだけだ。ピギは今にも泣きだしそうな顔をしてうつむき、干川も対策は講じれると分かったものの、不安はぬぐい切れないままだった。
一同は再び円卓につき、生み出した巨大なタッチパネルスクリーンを囲んで、そこに百名の名前を記すことにした。だが、埋まっていないリストを見ても何から話せばいいのかが分からない。
「まず、それぞれの主張をブラッシュアップして必要な人物を絞るほうがいいんじゃないか」
干川が口火を切り、まず誰を指名するべきかを考えた。
グリーンとアニータなら、こういう時迷わずに意見を言えるだろう。そうなると、口下手そうなピギの意見が反映されないままリストが埋まってしまいそうだ。
それなら、まずピギが考えることを聞き、全員が納得してリストを作り始めるのが妥当だろう。
「ピギ、君の意見を聞かせてくれないかな」
「わ、私?」
ピギはナヒレで家族の写真をつくったようで、手に写真たてが握られていた。
ピギが救いたいのは家族だ。そこまでは予想通りだった。またキリスト教信者らしく、法王や困っている人を救うべきだと論じた。
「滅亡する時点で皆困ってるんじゃない?」
「それは、そうなんだけど…… これまで恵まれなかったからこそ、次の星では恵まれるようにすればいいかなって」
「困る、の基準が分からないな」
「飢えている人とか…… 学校に行けなかった子とか、かしら」
「地球上にそんな人間がどれだけいるかも知らないで、よく言えるね。すべて救っていたら九十六人なんてすぐ埋まるよ。話にならないね」
「言い方に気をつけろよ。僕たちは喧嘩をしたいわけじゃない」
「あまりにもつまらないことを言うからだよ、彼女のせいだ」
ピギがまたうつむいてしまった。学がない、そのことをかみしめているのだろう。それならせめて、家族だけは、と続けた。
「そのメリットは?」
「え?」
「君の家族を救うことで、我々はどんなメリットを得られるんだって話だよ」
「それは僕たちが選ばれた利点としてもいいだろ。家族が大切なら、それを守りたいと思うのは当然だよ」
「ジークの話をちゃんと聞いてたのか?俺たちは次の星で生きていかなくちゃいけない。運べるのは百人。まさか百人を運んですぐ滅亡させるつもりだっていうのかよ」
「若い命は…… 大切よ。次の世代につなぐためなら」
「それならほかの子どもは死んでもいいと?」
「そ、そんなこと言ってない」
「同義だ」
「やめなよ、ベイビー。彼女をいじめないで」
「その名前で呼ぶな!」
グリーンが立ち上がる力を使ってわざと、激しい音を立てて机を叩いた。
「今はピギの番じゃん。なのに君がいじめるばっかりだから」
「…… 意味のある議論をしろと言っているだけだ」
「私にはそれが、ガキっぽく聞こえるって言ってんの」
早々に険悪なムードになる。黙って聞いていたジークが、口を開けた。
「愛は必要ですよ。護りたい存在がいることで、星を繁栄させる原動力になりますから。では、リストにピギさんの家族を入れますか?」
「入れるとしたら誰まで入れる」
「グリーン」
「重要な話だろう。まさか親せき五十人全員入れるって言わないよな?」
「そこまで強欲じゃないわ…… 」
「なら、誰を運ぶ」
「……五人の子どもたちは、運びたい」
「ピギ、君の旦那さんは」
「子どもたちを守るためって言ったら、分かってくれるはず。私たちはこれ以上子どもを産めるほど体力もないし……。繁栄には役立てないから」
諦めたような弱い声で、ピギは言った。
「ほかに、ピギが救いたい人はいる?」
「思いつかない…… 。私、世の中をよく知らないから」
すっかり自信を失ってしまったようだ。今後もこのようなことが続くと、議論にならない。グリーンの攻撃性は問題だと干川はため息を吐く。だが、ピギの話を聞いたおかげで、それぞれの救いたい人は最低限であれば連れていってもいい、ということになった。
アニータはルームメイトと母を。兄は引きこもりだから連れて行っても役に立たないだろうと言った。ピギが夫を諦めるのなら、自分は兄を諦めると。
繁栄にアニータの母は役に立たないと言ったが、彼女は揺るがなかった。私はマザコンだから、ママが救えないなら他の誰も救わない、と。干川の仲裁で、彼女の母は組み込まれることになった。
コミック作家は除外した。趣味の範囲の人まで手を広げていたらきりがないからだ。アニータは、それなら自分がヒーローを作り出すか、今の優れたヒーローを伝承するしかないね、と肩をすくめた。
干川は自分の恋人を、と、と言った後、言葉を止めた。
「どうして?愛してるなら、救うべきよ」
久々にピギが口を開いた。自分をかばうように話し続けていた干川に、ピギは心を開いているようだった。
彼女のことは救いたい。一緒に行けば、ゆくゆく子孫を反映する可能性もあるだろう。でも、彼女はどう思うだろうか、と干川は迷っていた。
彼女を選んだとして、彼女が大切だと思う人はどうするか。一人を救えば、その人間に対応して思い入れのある人が存在する。そうして次々と思いやりが連鎖すれば、九十六人はあっと言う間に埋まってしまう。それが人類の繁栄になるか――、おそらく、ならない。
「選ばなくても恨まれる、選んでも恨まれるってことかー。それってコミックのいいテーマになりそう」
「コミックの前に、俺たち自身の問題だよ」
「なら、助けないってこと…… ?」
それも、どうだろうか。干川は迷った。
次の記念日には、彼女にプロポーズをしようとしていた。
彼女を愛し、守りたい存在であることは間違いない。だが、彼女の大切な人を救わずに、彼女は自分を愛し続けてくれるだろうか……? それには、自信がなかった。
アニータのように、母がいないのであれば生きている意味がない、と彼女が思ってしまったら、せっかく救った一人分の命が無駄になる。
「わからない。彼女を救うことが、本当に彼女のためになるのか」
ナヒレの翻訳が海外ドラマのように日本人に不釣り合いな口調に変えられるのをずっと聞いていると、どこか自分たちが作り物の世界にいるような気持になった。
目を覚ましたら、これがすべて夢だったらどんなにいいか。その場合、目の前にいる彼らは自分の内在する意識なのか。干川はしばしそんな関係のない思考を巡らせて、恋人について考えることから逃げていた。
「ベイビーは?どうしたいの」
「だからその呼び方はやめろって言ってるだろ」
「ベイビーのほうがインパクトが強くて、苗字を忘れちゃうんだよ」
お腹空いたな、と、アニータはラザニアを四人に配った。ジークはしばしの間席を外すと言った。アニータはテーブルに着いたままそれを食べていたけれど、ほかの三人は自分の部屋にラザニアを持ってこもっていった。
干川は空になった皿を見つめながら考えていた。もし自分が星に降り立ったら、まず何をすればいいのだろうか。
言葉は通じる地球人たちと、真っ新な大地を前にして、自分が役に立つとは思えなかった。
アニータくらいあっけらかんとしていたらよかった。
グリーンくらい、合理的な判断ができればよかった。
ピギくらい、自分の愛する人を救いたいと思う覚悟があればよかった。