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【ナヒレ決議】第五話 人造・不要
部屋に、ピギから花が送られていた。
これが何を意味するかは分かる。賄賂とは言わないまでも、一同の中の心証を稼いでいるのだ。世界の終わり。金はもう要らない。ナヒレがある。すでに、必要物資にも事足りている。だからこその、心配り。
グリーンは実験機材にまみれた部屋の中で、彼にとっては無意味な花を、そのままにしていた。ゴミ箱なんて、回収する場所がなければ作る意味はない。無機質の中の、生物。
相変わらずナヒレは、物理法則や生物理論を無視した技を見せてくれる。興味は尽きない。グリーンは部屋を作ったときに一緒に作った水槽を見つめていた。水も、物理法則をもとに考えたものとなると、腐ることが分かった。どこまでも完ぺきな再現度。グリーンは実験結果をノートに書き留めた。
選ばれたのが自分だけならよかった。そうすれば、次の星に行った時も、多くの発見を楽しむだけで済んだ。
だが、ナヒレが選び出したほかの三人のせいで、彼の研究欲求だけではなく、文明を築き上げ、次の星でも人類が存続するために脳を使わされている。どこまでも、世界はグリーンにやさしくない。
ピギがいつも家族の写真を抱えているのにも、腹が立った。自分は愛する家族に恵まれているというのを見せつけられているようで、いらだつ。
グリーンには天真爛漫な家族がいた。今日が楽しければ明日も楽しくなる、そんな意味不明なロジックで、小さいころからその日暮らしのような豪快な生活を強いられた。稼いだ金は、その日に使い、いつ世界が終わっても後悔のないように生きろと言い聞かされた。まさかその言葉が本当になるとは、家族だって思っていないだろう。どこまでも馬鹿な連中だ。
自分の家族のような非生産的で無能な連中だけは、次の星には連れていかない。
水が腐る、花を作れる。そうなれば、生物だって錬成できることは証明された。ナヒレからアニータが出した食事も、食べても体に異変は起きない。
健康に気遣う食事ばかりしていたグリーンには少々ハイカロリーなメニューだったが、健康に悪影響が出るような数値は出ていなかった。
「となると、人間も錬成可能か」
なら、子どもを連れていく必要なんてないのではないか。孤児院に行き、グリーンに縋ってくる、期待の眼差しは痛かった。
恵まれていない環境に生まれた人々のことは、幼いころから嫌というほど聞かされたし、見せられた。それでも彼の心が動かなかったのは、それを知ったところで、現に世界は回っているのだから仕方ないだろう、と思っているからだ。
自分には関係ない。
メディアに取り上げられる人だけを救ったところで、解決もしない。
今、そこに貧富の差が存在しているのであれば、それはグリーンが今の生活を手に入れるために必要な犠牲であったのだと、思っていた。だから、自分が平穏に生きるために、百人以外の人間たちが死滅することも、また必要なことなのだ。
なのに、どうして迷うのか。グリーンには理解できなかった。
グリーンは部屋を出て、誰もいない会議室に放置されたままのナヒレに手をかけた。ナヒレの中の気泡が、ゆらめきだす。錬成時の、いつもの現象。
ナヒレは質量を変えることはなく、まばゆい光の次に、目の前に思い浮かべた物質を現す。
グリーンを、金髪の乙女の瞳が、とらえていた。
「驚いた…… 本当に、こうもうまくいくとはね」
「当然です。ナヒレはあなたの成せなかった神の産物」
涼やかだが鈴を転がしたような美声が、グリーンの耳に刺さった。
「創造主に向かってずいぶんな口のききようだな」
「あなたの願望に基づいた完璧な人類を作り出したのは、それこそ、あなたです」
「君は、僕に作られた実験体だ、拒否権はない」
誰かが言葉を交わしあうのを聞いて、アニータの部屋のドアが開いた。
「うわあ!誰それ、ベイビーの彼女?」
「異なります」
「……ナヒレで人間を錬成しただけだ。優れた人間を除外してまで本当に子どもを連れていく必要があるのか、分析する必要がある」
「ナヒレって人も作れちゃうの!?」
アニータは少女の手に触れ、顔に触れる。無遠慮な接触だが、少女は無反応だ。
「名前は?なんていうの?」
「ありません。彼の想像の中に、私の名前は組み込まれていなかったので」
「マジ?てかなんか、あの女優さんに似てるよね。えーっと、なんだっけ。昔の映画のさー」
「余計な詮索はしなくていい」
「ブリジット・バルドーです」
「おい!」
「質問をされたので」
「そうその人!へー、ベイビーってブリジット・バルドー好きだったんだあ。じゃあ、名前ブリちゃんでいいね」
「それより、実験だ」
「不要ですよ」
「何?」
「言ったでしょう、ナヒレは神の産物。あなたが想像した通りの結果が出るだけです。あなたの言う実験は、生体実験でしょう。あなたが想像できる限りの実験は無意味です。それは、私の体に組み込まれています」
「めっちゃかしこいねえ、ブリちゃん。あっ、ピギと干川にも見せようよ!ねっ」
論破され思わず硬直するグリーンを置いて、アニータがそれぞれのドアを叩いた。呆気に取られたまま自分を見つめるグリーンに、ブリジットは未だ、感情を現さない。
「感情の極力ない人間を求めたのは、あなたですよ」
グリーンの心を読みこんだように、冷たくブリジットは言った。
■
ブリジットの出現で戸惑ったのはグリーンだけではない。ピギも干川も、当然のように挨拶をするブリジットのことをはっきり認識できるまでには時間がかかった。
「どうして、こんなこと…… 」
「グリーン氏が私のように人間が錬成できるのであれば、人類繁栄のために子どもを連れて行かなくてもいいだろう、という仮定のもと、実験をしたからです」
「信じられない…… 神以外に、こんなこと許されない」
「あなただって、あなたの子宮の中で五人もの子どもをなしました。それがナヒレに変わっただけのこと。私はあなたがたとは変わりない、人間です」
「じ、ジーク!」
「はい」
ナヒレから、ジークが現れた。
「この場合、百人の中に彼女を組み込むべきなのか?」
「いえ、この場合は、ナヒレが生み出したものであるので、関係ありません」
「よ、よかった」
「どうしてですか?」
「だって目の前にいる君を連れていけないってなったら」
「家族をもピギさんは見捨てたんです。それなら、私が見捨てられても同じでしょう。あなた方は、七十億人のほとんどを見捨てるんです。そんな些細なこと、気にしている場合ではないでしょう」
「ベイビーみたいな言い方~。まあでもベイビーの子どもなんだから当然か。そうなったら、ベイビージュニア? あ、でも女の子だし~」
「子どもなんかじゃない」
「だって、ベイビーが産んだんでしょ?」
「ナヒレを卵子と仮定すれば、射精を伴ってはいませんが、彼が父親であるという表現が最も現状に相応しいと思われます」
「ふざけるな!お前は実験体だ!」
「グリーン、そんな言い方ないだろ」
「俺は…… パパなんかじゃない!」
「では、創造主と改めます。余計な議論は無駄です」
ブリジットを入れて、人類選別会議は再び行われることとなった。
ピギがブリジットのために作った椅子に、背もたれに頼らず凛と座って見せるブリジットは、やはり人間にしか見えない。食事も排泄もする、会話もできる。ナヒレの恐ろしさを、干川達は実感していた。
「会議はかなり進んだようですね」
「ジークがサボってばっかりだから、がんばったんだよ」
「申し訳ありません。こちらもナヒレのない生活に慣れるので必死でして」
現在、ジークの星は築き上げた文明以外にナヒレで作ることができなくなっている。これまでは何か問題が起こればナヒレを使って解決していたものが、なくなった。その混乱は星中に広がっているそうだ。
それには干川達もいつか直面することになる。
だからこそ最初の百人は重要だったが、人間を作れるとなると、今までの議論は少なくとも少し前までに戻ることになる。
「既に知性のある人間を錬成すれば、技術者を連れて行ったりしなくてすむ。子どもだって、錬成すれば、事足りるということだ。技術を組み込ませるには、俺たちが分担して技術を学び、それを人間にインプットする必要はある」
ようやく落ち着きを取り戻したグリーンが、静かにそうつぶやいた。
それは、四人にとっての心を軽くするものであると同時に、これまでの議論がひっくり返されるような事実だった。
親を持つ子どもと孤児との軋轢も、そもそも自分たちの子どもとして生み出せば問題は起こらない。つまり、本当に四人が思い入れのある人間を選別するだけで、いい、ということだ。
「そんなことをしたら、天罰が下るわ」
「人類が滅亡する以上の天罰なんて起こりえない。今がその天罰の途中なら、俺たちが恐れるものはどこにもない」
「非科学的な神学は、今回の議論に不要だと思います」
グリーンに加えて、嫌な加勢が入ったな、と干川の胸はざわついた。これでは、この会議が持っていた平等さを欠いてしまう。
「ブリジット。君をないがしろにするわけじゃないけど、発言は控えてくれないか」
「えー!なんで。仲間外れってこと?」
「この会議はナヒレが選んだ人間でやってきた。それに余計な人間の意見が入るってことで、問題が起きかねない」
「それには賛同します。実例がないのですから。発言を控えます」
「ブリちゃん物分かりがいいのか悪いのか分かんないね」
グリーンの先導で、再び話題は子ども問題に戻った。
子どもが作れるのであれば、ピギの子どもを連れて行っても、遺伝子が近い子孫しか残せない、という問題は解決する。これでピギは一安心か、と彼女を見ると、まだ、ピギは困惑した表情のままだった。
「どうしたの?うれしくない?」
「いや…… うれしいわ。夫も喜ぶと思うし」
「男女比を合わせるために選ばれた人間だって、削れるんだ。君の夫だって連れて行ってもいいんだぞ」
「それも、うれしいんだけど…… でも…… 。やっぱり、あの子どもたちの顔がちらついてしまって」
孤児のことだと思った。干川も、沢山の子どもたちにすがられた。あの時、彼らはずっと笑顔だったが、干川を掴む手は、子どもだと思えないほど力強かった。
見捨てないで。ズールイが言ったそんな彼らの感情が、あの手に表れていた。子どもを五人も持つ母性の強いピギだ。あの力に、心揺るがされてもおかしくはない。
「条件を照らし合わせるために見学に行ったのは失敗だったってことか」
「あなただって!あの子たちと話したでしょう。それなのに、心は痛まないの」
「痛まない。俺たちはこれから、七十億人を見捨てるんだ。いちいち痛んでいたらきりがない。あそこ以外にだって、施設に入れてもらえない環境にだって、孤児はいくらでも世界にいるんだ」
ピギが反論しようとして、言葉をひっこめた。返す言葉が見つからないのだ。
確かに、ピギのように同情だけで選べば、百人では足りない。技術者の数は減らせるが、それも四人が覚えきれる限界を超えれば、言うほどは削れない。というか、四人全員が戦力になるかは定かではない。
「技術者、研究者を優先して人員を選ぶべきだ」
グリーンの言葉は、揺るがない確信に満ちていた。
「だが、俺も学んでいる研究分野については省く。それで余剰は出る。百人を超えたメンバーにはならない。むしろ、おつりがくるくらいだ」
「…… でもその残りの人間、どうする?」
グリーンはモニターのリストから、彼が追加で学べば補填できるような分野の研究者を外していった。余るのは、五名。
「ほかにも削れるぞ。男女比によって無理矢理選んだような人間はな。ピギがいれば、母性を兼ね備えた人間はつくれる」
「待ってください。私は…… 人間を作るのには反対です」
「まだ君は神の話を引きずるのか」
「そうじゃない!」
ピギの声が、荒くなったのを初めて聞いた。
だが、彼女から反論の言葉はそれ以上出てこない。心が乱れ、何と言っていいのか、分からないのだ。冷静な議論は、今の状態じゃできない。
「とりあえず、考えるべき条件を出して、いったん休まないか?ブリジットが来て、俺たちも混乱してる。削った分の人たちが知ってることも、勉強しなきゃいけないし」
ピギに罪悪感を覚えさせないよう、勢いを調節して干川は論じた。
まずは、子ども問題。技術者問題。補填人員については、本当は連れていきたくてあきらめていた人間。そして、新たに連れて行かなくてはいけない人間について。
それでも、十分な人数ではないだろう。当初の議論で出ていた、連れていく人間にも思い入れのある人間がいる、という事実は、ゆらがない。
だが「そんなことはない」とグリーンが遮った。
「その人間たちに思い入れのある人間は錬成すればいい」
「何言って」
「完璧とまではいかないが、彼らの思い出を調べて俺たちの脳にインプットすれば問題がない」
「あなた…… 人間を何だと思っているの」
「今問題なのは人数選別だ。それが一番、合理的だろ」
「でもそのほうが大変じゃない?その人のこといろいろ知ってるわけでもないしさ」
「確かに限界はある。でも、可能ということに変わりはないだろ」
「そりゃ、そうなんだけどさー。調べきれるのかなー」
「人間の記憶なんて、元から不確実だ。違和感を覚えられても、環境が変わったからそうなってしまったんだと言えばいい」
干川はしばらく、発言できなかった。
本当にそうなのなら、自分はありさを連れていけるか?彼女の両親や家族には会ったことがある。友人も。断片的ではあるが、人となりは少しは分かるし、顔も、体型も、SNS の写真を見ればたいていは思い浮かべられる。でもそれで、彼女を騙す罪悪感を抱えたままで、今度は自分が耐えきれるのか?
「考えさせてほしい」
今度は、気づかいではなく心から、干川は休憩を求めた。改めて洗い出した人間は、八十九人。
残り、十一人。