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【ナヒレ決議】第四話 親友・孤児

 孤児院で暮らす児童数の正確な世界統計はない、とグリーンは言った。私設孤児院の児童数は国営の換算に入っておらず、実態はもっと多いだろうと言う。
 孤児院に入っていないマンホールチルドレンなどの数を含めれば、百人の中に誰を連れていくべきかは判然としない。それでも、孤児院に住む児童が最も多い地域から子どもたちを連れてくるのがいいだろう、と調べ始めた。

 少し前には東欧が最も割合の多い地域だったが、すでに孤児院は廃止できる方向に進むほど、養子縁組制度が発展しているらしい。そうなると、単純に孤児の割合だけでその場に向かおうとするのは難しい。

 アニータが、中国はどうか、と言った。出産制限のある中国では、赤ちゃんポストという制度があり、孤児院で暮らす子どもも、八万人を超えているのだという。調べて出てきた孤児院から、必要なだけの子どもたちを選出すれば、親の顔も見たことがない子どもたちを救えるはずだ、と言った。

「ルームメイトが昔教えてくれたんだ」

 アニータのルームメイトは中国人。親のビジネスが成功するまでは貧困街に住んでいたため、ルームメイトの弟は赤ちゃんポストに入れられたそうだ。
 フランスに戻り、アニータのルームメイトを誘って、彼の弟が引き取られたはずの孤児院に向かうことになった。

 アニータがナヒレに念じ、彼女の部屋に飛ぶ。

 ドアを開いた先は、アニータの様子からは考えられないほど整頓されたリビングがあった。彼女が好きなアメコミのグッズの類は全く置かれず、寒色系の家具が生活感なく置かれていた。

「ズールイはきれい好きなんだよ。ちょっとスナックを放っておくと、すぐ怒るんだよ」

 一同が部屋を見回していると、水を流れる音がして、廊下にあったドアが開いた。きちっとシャツをズボンに入れた青年が、目を丸くして一同を見ていた。

「突然帰ってきたと思ったら、誰、その人たち」

「私のファミリー」

「嘘。だって人種が全然違う」

「心のファミリーだよ。ソウルメイトと同じ概念」

「ああ、で、泊まるの?」

 ズールイの反応から、これまでもアニータが突然いなくなることは珍しくなかったことが分かった。そして、人を連れてきて泊まらせるのも、ルーティーンなのだ。

「泊まらない。ズールイに連れて行ってほしいとこがあって来たの」

「観光?」

「まあ、そうとも言える。ズールイの弟がいた孤児院に行きたいの」

 遠慮ない明るい声でアニータが言うのを、干川はヒヤヒヤして見ていたが、ズールイの表情は全く曇らなかった。アンタッチャブルというわけではないらしい。

 ズールイは、場所は知らないけど、入ったことないし、弟ももういないよ、と静かに答えた。

「いつ行きたいの?ママとパパに聞かないと、多分入れないよ」

「今から」

「はあ?!」

「時間がないの。説明はあと」

「おなか減ってるんだけど。朝食だけでも食べさせてよ」

「私が作る」

「アニータのはまずいからいらない」

 アニータはむっとして、ナヒレに念じた。真っ白の生地に包まれた肉まんが出てくる。

「パオズ。ズールイが作ってくれたのとおんなじだよ」

「買ってきたの?」

「だから、おんなじだって」

 アニータがズールイにパオズを押し付けると、その温かさにズールイは目を丸くした。恐る恐る口に運び、ん、と小さな声が漏れる。

「チャイニーズは朝食にうるさいの」

「そうなんだ…… 」

「本当に同じ味だ。どうやったの?」

「この球のおかげ」

 アニータがナヒレをズールイに差し出す。

「この人たちってカルト仲間だったりする?」

「私が神とか信じてないの知ってるくせに。これは、宇宙のアイテム」

「コミック馬鹿が出た」

 もう、と言い合いに飽きたアニータは、リビングの隅に置かれたパソコンのところに行って、ズールイに弟を入れた赤ちゃんポストの場所を打ち込むよう指示した。

 パオズを片手に、ズールイは軽やかなタイピングで孤児院のサイトを出して見せる。ポストは中国のど真ん中の病院にあるようだ。
 アニータは地図と建物の画像を確認し、一同にうなずいてみせた。

「じゃあ、行こうか」

「は?」

「こっち」

 アニータはズールイの手を取り、一同が入ってきたドアを開いた。
 どうやらそこはアニータの部屋があった場所のようで、ズールイはドアの向こうのコバルトブルーの部屋に、いつの間にこんなリフォームをしたんだと驚いた。

 アニータはせっかちにも、もう次のドアを開けようとしている。すっかり戸惑ったままのズールイに、干川がアニータがいない間に何をしていたのかを簡単に説明した。

 最初はアニータと同じコミックオタクの妄想か、と呆れた顔をしていたズールイだったが、再び開けられたドアが、懐かしい中国の景色の前だったことで、ようやく、落ちた。

「信じられない…… 」

「ね、すごいでしょ、この球」

「お前、いつも彼にこんな調子なのか」

「もう慣れたけど…… 今回のは、慣れる気がしませんよ」

 ビクビクしたまま、ズールイはアニータに続いて二番目に部屋を出た。

 薄く砂がかかったようなアスファルト。赤ちゃんポストがある病院の裏口に、一同は降り立った。突如何もない道路に現れた大人たちに、近くで遊んでいた子どもたちが叫び声をあげて逃げていく。

「僕も子どもだったらおんなじリアクションをして逃げたかった」

「そういうの、もういいから。このポストに入れたらどの孤児院に預けられちゃうのか、聞いてきてよ」

 ピギが赤ちゃんポストを覗き込む。今は子どもは入っていないようだ。
 ポストと言っても、小屋みたいなものなのね、とピギは感心した。だが同時に、子どもを捨てていくなんて信じられない、と驚いてもいる。

「だいたい深夜に来て、誰にも見られないように置いてくから。朝、引き取る係の人が来て、孤児院に連れていく。弱ってたら病院のこともあるし」

「その子たちを助けられたら…… 素晴らしいことだわ」

 そう言って、ピギは少し後悔した。
 自分の子どもたちを守るために覚悟を決めてきたはずなのに、こんな状況を見てしまうと、心が揺らいでしまう。行かないでと訴えられないうちから、こんな風に捨てられるなんて。彼女の善意が、彼女の覚悟を迷わせ始めていた。

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「子どもすぎるのは俺たちの負担になりすぎる」

 グリーンが今にも涙を流しそうなピギに向かって、腕を組んだまま言い放った。

「連れていくのなら、すでに自分で意思表示ができる年長以上の子どもだ。そうじゃなかったら、赤ん坊を世話する人員まで連れていくことになるだろ」

「でも…… 赤ちゃんたちは」

「その子どもだって、もとはこの中に押し込められた赤ん坊だ」

 ピギが言いくるめられそうになる横で、ズールイがうつむいていた。

「ズールイを責めてるわけじゃないんだ。グリーンはもともと、ああいう性格で」

「ああ、いいんだよ。僕たち家族も、後悔はしてるから」

 ズールイは赤ちゃんポストの係員に話しかけ、孤児院の場所を聞いてくれた。ここから二〇キロ離れた場所だ。だが、自分たちにはナヒレがある。再びドアから部屋に戻り、一同は孤児院へと向かった。

「ズールイも、家族を救いたいよな、きっと」

「え?」

「僕たちが、百人を選んでるって話聞いちゃったんだし」

「ああ…… 。でも、うちのパパとママは結構強情で、そっちに避難しても、喧嘩ばっかりしちゃうと思うし…… 。平等ってのが、嫌いなんだ」

「嫌い?」

「ずっと虐げられて育ってきて、ようやく成功したから。いまさらみんなで同じ暮らしをしようって言ったら我慢できないんだ。だから僕も、体裁のために留学させられた。本当は中国で暮らしたかったんだけど」

 ズールイは苦笑した。

 高校時代であったら助けたい友人は数えきれないほどいたけれど、留学して交流も薄れ、今や疎外感を覚えていた。アニータくらいしか、今は仲良くしてくれる人はいないんだ、とさみしそうに、孤児院の廊下を歩いていた。

「干川さんが日本人でよかった。日本人が引き取るって言ったら、こっちの職員も万々歳だと思うからさ」

「そんなものなの?」

「だって結構、お金持ってるでしょ。スーツもいいの着てるし」

 干川はなんと言っていいかわからなかった。東京では、けして裕福な暮らしなんかしていない。社会人三年目ならこんなものだろう、と思うような、平凡な暮らしだった。
 ピギたちに比べたら確かに、恵まれていた。だが、それをはっきり、お金を持っている、というのはどうしてもはばかられる。

 孤児院には、朝食をとっている子どもたちが並んでいた。
 職員は、気に入った子を選んでくれ、とぶっきらぼうに言った。朝の喧騒にすっかり疲れたような、やつれた顔だった。

 子どもたちは干川達を見て、しばらく嘗め回すように観察した後、にっこりと満面の笑みを向けてきた。奇妙なほどの歓迎ムードだ。
 ズールイが、引き取ってもらいに来たのを分かってるんだ、と小声で干川に耳打ちした。

 ズールイの年の離れた弟は、五年前に赤ちゃんポストに入れられた。障害などはなく、単純に経済的な問題だったため、引き取り手はすぐに現れたそうだ。健康であれば里親が手を差し伸べてくれる可能性も高い。でも、ポストに入れられる子どもはたいてい、障がいか病気を患っているのだと、職員は言った。
 だから、リハビリや治療にかなりのコストがかかり、施設の多くは疲弊しきっている。

 ピギが主張するように、困った人を助ける、という観点で言えば、干川たちはそれこそ引き取り手がずっといなかった子どもを救うべきかもしれない。でも、グリーンが言うように、世話を多く必要とする子どもを引き取ってしまえば、その対応に追われるのも確かだった。

 里親が欲しがるような、健康で、素直な子ども。世界の終わりが迫っている時でさえ彼らは救えないのかと思うと、干川は胃が痛かった。

 それぞれの子どもたちと、学校が始まるまで話す時間が与えられた。一同はそれぞれ、駆け寄ってきた子どもたちと話した。
 多くの子どもたちは、干川に殺到する。ズールイの言うように、日本人への信頼が強い。ピギも身なりが裕福そうなままだったので、人気だった。

 一通り話し終え、また後日来る、と伝えると、職員はため息交じりに干川達を見送った。こうして、二度と来ない人も多いのだと子どもたちが言っていた、とピギは悲しそうに、何度もドアに入るまで孤児院を振り返った。

 ピギの子どもたちと孤児たちを比べる時間は終わった。二日間の濃縮な見学に、一同は疲れ果てていた。
 アニータも後で迎えに来ることを約束し、ズールイを部屋まで送った。次の星に何も持っていけないことを伝えると、ズールイは「準備が楽でいいね」と、干川たちにも丁寧にあいさつをして帰っていった。

 運べる人間は、百人。干川たちが話すべきことは、まだまだたくさんあった。

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