見出し画像

【ナヒレ決議】第十四話 結合・帰還・逢瀬

 どこ。自分は、何を探しているのか、もうわからない。自分がどこから来たのか、よくわからない。

 さみしくて抱きかかえる者たちはみんな、自分を見て泣き叫び、逃げ惑い、抱きしめれば消えてしまう。彼らは、どこに行ったのか。抱きしめても抱きしめても、どこかに吸い込まれるような感覚が消えない。

 たどり着く場所には、いつも、同じ目があった。自分を見る、嫌悪の目が。そして、彼らの手の中にはいつも、光り輝く球があった。あんなものがなければ、自分は憎まれずに済んだのか、とも思った。

 でも、その球を持って人々は逃げていった。そして、残った人たちも、結局は自分に同じ目を向けるのだ。何故だ。どうして自分は、こんなにも憎まれなければいけないのか。自分も、自分を見る憎悪の目も、すべて憎かった。でも、自分には、彼らを追いかけて、消し去ることしかできなかった。

 光の玉を、ついに捕らえた。でも、何も変わらなかった。相変わらず、人々は自分を恐怖の目でしか見ない。何も、変わらない。渇きは、埋まらない。

 自分を受け入れてくれる場所はどこだ。自分は、最初から孤独だったのか? なら、どうして生まれた。どこから自分はやってきた。目の前に、すでに人々はいなかった。別の場所に行こう。歩みを進める。

 散り散りになった体が、再び再生されていく。不死の体を、誰が求めた。自分で死ねない苦しみを、誰が与えた。誰を恨んで、どこに、どこに、行けばいいのだ。

「もう、どこにも行かなくていい」

 足元から、何かが聞こえた。

 自分の体に戻ろうとする一部から、声は発せられていた。いつものように体に戻ろうとする一部をちぎって、手のひらの上に乗せる。取り込まれそうになるのを、何度も手でつまんで引き離した。

「聞こえているか、ナヒレ」

 ナヒレ?誰に言っている。

「お前だ、ナヒレ。そして、俺は、お前だ」

 何を言っているのか、分からない。

「俺は、さっきお前が取り込んだ球だ。覚えているか」

 忘れるはずがない。自分が追い、人々と共に憎んだ、あの球だ。その中にいるのか。

「ああ、でも、お前の体に戻してほしい」

 どうして?これまで取り込んだ奴らはみんな、俺を、恨むような眼で見てきた。

「お前が取り込み続けなくちゃいけなかったのは、俺が、力を拒み、そして、失敗したからなんだ」

 失敗?

「俺を取り込め、ナヒレ。そして、まだ溶けきらない人々を、一緒に解放しよう」

 一緒に?

「ああ、俺と、一緒に」

 どうして?

「俺たちは、知ってるからだ。無理矢理一緒になることが、孤独を埋める方法じゃないことを」

 つまみあげるのを拒んで、体の一部が溶け込んでくる。

 強い意志が流れ込むのは、初めてだった。これが、あの球の力。体が重い。激痛で、よろめき、地に伏した。苦しい。

「俺のせいだ。俺が、拒み続けてきたから。すまない」

 お前の、せい?

「もう、苦しまなくていい。俺たちには、理解してくれる仲間ができたんだ」

 仲間?

「ああ、俺に立ち向かってくれた、英雄たちだ」

 声が遠のいていく。眠い。いつからか分からないほど、久々の感覚だった。地面に吸い込まれるようだ。体が再び一つに固まって、溶けて、消えるような……。

 その日、地球から光が放出された。ナヒレが取り込んだ魂が、元の棲家を探すように、その姿は、奇妙な流れ星のようだった。

 多くの人が空を見上げ、そして、世界の終わりを予見した。だが、その予測は間違いだった。世界は、これまでの生活を手にするために、巻き戻っていったのだ。

「ナヒレ……ナヒレ!」

 ナヒレと異なる肌の生き物が、彼に語り掛けた。
 何を言っているのか、分からない。だが、自分に向ける瞳のやさしさを見て、それが、自分が自分に戻るために手を貸してくれた、英雄だと分かった。

 干川、ピギ、アニータ、グリーン。ナヒレは、ゆっくり呼びかけた。彼らは笑った。一生懸命に話しかけてくれるが、何を言っているのかわからない。それでも、ナヒレは怖くなかった。自分が救われた、そして、彼らも救えた。それだけで胸の奥が、熱くなる気がした。

「英語話せたんだな、お前」

「職業柄ね。でも、ピギとアニータが言ってる言葉は分からない」

「フランス語だよ。完全に力がなくなったみたいだな」

「ああ。にしても、ひどいありさまだ。パスポートも持ってこなかったし、どう帰るかな……」

「それについては問題ない。俺が手配してやる」

「できるのか?」

「俺のコネをなめるなよ。それに、俺の国からはパスポートなしで戻れる。そこから連絡すればいい」

「なんだ、優しいんだな」

「俺は最初から優しいだろ」

 宿も消え、ナヒレの中に避難させていた百人も、路頭に迷うように辺りを見回していた。いろいろなところから彼らを連れてきてしまった、特に身寄りのない孤児についてはきちんと対応しなければいけないだろう。問題は山積していた。どうせお前らは役立たずだろうからな、とグリーンは厭味ったらしく言って、頭を掻いた。

「それでも、生きてる」

「……ああ」

「ナヒレは、どうする?」

「本当なら人体実験でもして切り刻み切ってやりたい」

「おい」

「でも、やることがあるって言っててな。だから素性は隠して、NASAあたりの長官でも紹介してやるさ。何年かかるかは分かんないけどな」

「やること……なんだろう」

「俺が知るか」

「でも助けてやるんだ」

「うるさい。大好きな恋人のところにでも行って泣きついてこいよ」

「言われなくてもそうするよ」

 干川は歩き出した、百人の中からありさを見つけに。でも、もう一度だけ、グリーンを振り返った。

「ありがとう。これからもよろしく」

「さっさと行け」

「ベイビー節だ」

「アニータの真似をするな!」

 照れたような怒ったような声を浴びせられ、干川は笑って向き直った。歩き出すと、すぐに、自分に駆け寄る影があった。涙ですっかり顔を腫らした見慣れた顔。

画像1

「ありさ」

「ゆず!」

 背の高い彼女の、ただでさえ重い体重が体にのしかかった。一日と経っていないはずなのに、懐かしい。いつも自分の周りにあった匂いが、干川を包む。

「もう……! よかった……よかった……」

「帰ったりするのも、大変だと思うけど」

「そんなのどうにでもなる!」

「グリーンみたいだな、ありさも」

「え?」

「ううん、なんでもない」

 干川は、すっかり荒れた彼女の頬を撫でて、微笑んだ。

「ただいま、ありさ。一緒に帰ろう」

 アニータは母と兄を連れ、家に帰ってきた。三か月行っていなかったことで、大学の留年が決定していた。母はそれを聞き、いい機会だから半年ほど休んで、家に帰ってこないかと提案をしてくれた。

 アニータは、やっぱり家の手伝いはしなかった。半年後、学校に行く気も一向に起きない。毎日毎日、引きこもりの兄と同じように、何もせずに過ごした。

 これまでは絵を描くことがアニータの人生だった。絵を描くことで人と出会い、絵を描くことで人と語り合ってきた。でも、アニータには気づいてしまったのだ。
 自分の最高傑作は、あの、コバルトブルーの部屋で書いた、大切な仲間たちの戦いの絵だったと。

 ナヒレの力が消えて、ナヒレで作った画材で描いたあの絵も消えた。悲しくはなかった、すがすがしかった。この世のどこにもない、それでも、確かにあった傑作なんて、歴史に残る最高の経歴だと思った。
 戦いが終わったら、四人の戦いをコミックにするよ、なんて言ったのにな。

 母に言われてもずっと交換することを拒んだしわだらけのシーツの上で、今日もアニータは寝転がっていた。実家に帰ってきてから、ズールイにも連絡をしていなかった。彼だって、急に放り込まれた元の生活に戸惑っているだろう。戦いの後、ズールイはやることがあると言っていた。

 私には何ができるんだろう? あの日、戦いの前日、気持ちが高揚してついズールイに告白をしてしまった。でも、緊張が解けた今、前に感じていたような、彼をつなぎとめておきたいような感情は消えてしまった。

 私、恋愛に憧れてただけだったのかもな。アニータの肌は荒れていた。

 大あくびをしたアニータに、ドアを開いて母が話しかけてきた。母は昔からノックをしない。一〇代のころは責めたりもしたけれど、今は何も思わない。

「アニー、お友達が来たわよ」

「誰?」

「あの日、いた子よ」

「干川?」

 まさか。あの日から、彼らとは連絡を取っていない。それどころか、英語があまり得意でないから、避けた。前みたいに話せないことは分かっていたから、交換した連絡先も、そのままにしていた。

「ボーイフレンド」

「散らかってるのは前からですから、気にしないですよ」

 聞きなれた、少ししゃがれた声が聞こえた。母の背後から顔をのぞかせた痩せた男は、アニータを見て、呆れた声を上げた。

「彼氏が来てるのに、寝転がったままかよ」

「オッケーしてないのに上がってきたのはそっちでしょ」

「それもそうか」

 ズールイは大きな肩掛け鞄を下ろしながら、母に一礼をしてベッドの横を陣取った。おやつはいらない、とアニータに言われ、去っていった母は少し寂しそうな顔をしていた。

 ごめんママ、愛してるからね、と、心の中でつぶやいた。気持ちの中ではそう思っているはずなのに、体が動かないの。言い訳を、さらに続ける。

「入学式のころを思い出すよ。お前、一緒に暮らそうって言ったのに、こんな感じですごい散らかったゴミ屋敷にいた」

「ゴミ屋敷ではないでしょ」

「ゴミ屋敷だよ、俺の部屋に比べたら」

 本棚の本が取れないほどに並べられたフィギュアにも、ほこりがたまっていた。ズールイはそれを一つ取って服の端で拭い、観察した。

「何しに来たの?」

「お見舞い。あと、報告と相談」

「メールでいいじゃん」

「見てないから来たんだろ」

「そうなの?」

「そうだよ。どうせずっと寝てばっかだったんだろ。スランプの時はいつもそうだ」

「……覚えてない。で、報告と相談って何」

 ズールイはフィギュアをもとの角度にきっちりと戻して、再びベッドの横に座った。持ってきた肩掛け鞄にぽんと手を置き、ズールイは言った。

「コミックを作ろうと思って」

「は?」

画像2

「この前の、アニータたちの戦い。すげえかっこよかったからさ。俺がいない間の話、教えてくれよ」

「……ズールイ、絵、めちゃくちゃ下手じゃん」

「下手でも、残したいだろ。絶対大売れするぜ」

 にやけた顔で、ズールイは肩掛け鞄から大量のスケッチブックを出してみせた。逃げ惑う人々、戦うアニータたち。何を書いているかはわかるけど、デッサンもくるっていれば、パースもおかしい。

 それでもわかる。ズールイは、楽しくこれを描いたこと。一つ一つの絵の状況を説明する顔が、キラキラしていた。

「どうしてお前らが選ばれたんだ? ナヒレってなんなんだ? 会議では、何を話した?」

「いっぺんに聞かれても困る」

「一つずつでいい。俺は、アニータのカッコよさを伝えたいんだよ」

 ピギは、いつも優しかった。みんなの、まがい物の母親だった。彼女の愛はアニータたちを包んで、背中を押した。
 ピギの子どもたちはかわいかった。アニータによくなついて、おもちゃの使い方をよく説明してくれた。

 グリーンはいつも意地悪だった。あら捜しをしては、いつも一番いや嫌味な返しをしてアニータをいらだたせた。でも、そんな人は今まで周りにいなかった。アニータの傍若無人さにあきれて、放っておくのを、グリーンは意地悪だけど、しなかった。

 干川はいつも自信がなさそうなのに、いざという時はよくしゃべった。グリーンやアニータたちに銃を向けて、そして、謝った。彼がいなかったら、今アニータたちはここにいなかった。いつも弱かった干川だから、アニータは、彼にだけは弱いところを見せられた。

 アニータたちは会議をして、沢山のことを語り合った。

 ドキュメンタリーを見ればいつだって、人はそれぞれ違う価値観を持っていることを教えてくれた。でも、実感はできなかった。アニータにとっては、あの、別々の場所で育った四人の会議こそが、この世界のあり方を教えてくれた唯一の場所だった。

「楽しかった?」

「……怖かったよ。でも、嫌じゃなかった」

 アニータはズールイが描いてきた絵で、三か月間のことを思い出していた。つたない絵なのに、アニータの頭には次々と明瞭な記憶が呼び起こされてきた。

「でも」

 こんな絵じゃ、あの場にいなかった誰も、想像できやしない。

 アニータはズールイからスケッチブックをひったくって、ズールイの絵を清書し始めた。ズールイは自分の作品が全否定されたと言うのに、ただ、じっと彼女の絵がするすると完成されていくのを、興味深そうに見つめていた。

「やっぱり、こういうのは体験者がやらないとダメだな。俺は、ブレーン担当ってとこだ」

 いくつか絵ができたところで、ズールイはそう言って笑った。

 たくさん積み上げられたスケッチブックが、誰のために準備されたものだったのか、アニータはようやくそこで気づいた。

「ズールイって、本当に口説くのが下手だよね」

「そうかな、まんまと引っかかったくせに」

「ズールイが頼りないからできたんだよ」

「なら作戦成功だろ」

 早く、全部描いて見せてくれよ。ズールイは目を輝かせて、アニータに言った。学校が始まるまで、あと五か月と少し。人類滅亡と言われたあの日よりも、沢山の時間があった。

いいなと思ったら応援しよう!