昨今のゲーム業界を取り巻くDEIについて
ドラゴンエイジの発売に合わせて思ったことを色々。
歴史的に見ればゲーム文化が男性的な文化であったことは疑いようもなく、またそれについての是非は色々な場所で議論されているのでそちらはそこに任せるとして、Metooやwoke、トランスジェンダー、キャンセルカルチャー、多様性、inclusiveなど複数の問題を巻き込んでいるのが今のゲーム文化で、解決は容易ではない。
ドラゴンエイジに関しては、バイオウェアというメーカーが作るゲームである以上そういった多様性を重視しているゲームであるし、またドラゴンエイジというブランドもそういったものに分け隔てなく対応してきた。少なくとも今までは。
では何が問題かというと、それはゲームが大事に守ってきた世界観、歴史を無視し、没入感を台無しにするということだと思われる。
細々とした要素を上げればきりがないが、クナリやエルフの造形を変えて、差別はなくなり、またシリーズファンが作ってきた歴史をゲームに反映することを諦めている。乳房の切除跡、ノンバイナリーといった描写はこのゲームには歴史的に存在せず、また説明もない。これらの何が問題かという人もいるだろう。開発の意思だ、受け入れろという主張もある。だがこれは商品であり、お金を払って遊び、何十時間も投資している。
ゲームとしてのシリーズの発足自体はPS3、Xbox360の時代であるゆえに今とそぐわない価値観も出てくるだろう。だがだからといって、出来上がったビルの一室だけ壊して作り変えるような作り方をすれば全体に影響が出る。バイオウェアも元の創設者は去り、思想は他の人間へとすり替えられた。もう元の思想は存在せず、違う会社になったと思うべきなのだろう。
ゲーム会社が1本のタイトルで負うリスクは、これまでになく大きなものになってることは疑いようもないが、開発者の誰がディレクター、どこの会社がコンサルティングしてるといった問題に関わってしまえば、リスクを増やす投資になる。彼らも実績として自分たちのやったことを公開する責務に追われている以上、火種を常に抱え、また時に燃やし続けることを受け入れなければならなくなる。
新しく、また受け入れられるものを作れずに既存のものを作り変え続けていれば、反発は免れない。シリーズファンはシリーズファン同士で争い、またその変化を受け入れなければなくなり、できないものは離れていく。シリーズは破壊され、名前だけ同じ別のものになる。開発者はどう思うのだろうか。
結局のところ、リスペクト、どれだけそのゲームの歴史に尊敬を払うかなんだと思う。それが足りないから突かれるし、舐めてると思われる。都合上出来ないこともあるだろうが、そこに対して言い訳をし、代わりに別のことをすれば、反発するし嫌われる。DEIで騒がれるタイトルはどれもそういった視点が欠けてるように思える。自分たちがやりたいことのほうが優先で、ファンの方を向かない。そういったタイトルが今後どうなるかは絶えず楽しみだ。
追記:考えてみればそのゲームの歴史を重視すればするほど、新しい歴史を急進的に作りたがるポリティカルコレクトネスとは相性が悪い。多様性を重視するなど新しい価値観を取り入れれば昔からの価値観でやってきた人間には受け入れがたいものだが、説得という段階をすっ飛ばしてマイノリティであるなど立場を利用してやりこもうとする流れにしてしまえば、やはり反発する。新しいブランドで成功してもらうか、もっと変化を緩やかにするかなどしないとずっとこういった反発は怒ってしまうだろう。ドラゴンエイジが仮にもっと歴史を刻んで、少しずつDEIを取り入れていけば、何も思われなかっただろうし言われなかったとは思う。おそらく火種を抱えるリスクを承知の上で大きく舵を切る必要があったのだろうが、そもそも火種を見たくない人だっているものだ。むしろそういった人が大半で、火種を無理矢理見せつけられて困惑してると推測するが、まあ燃やし続けたい人にはどうでもいいだろう。
個人的な理想を言えば別に思想が入ってもいいが世界観を邪魔しないようにわからないように自然に入れてほしいこと。重視されるべきはゲームであって作者のメッセージを聞きたいわけじゃない。
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