のっぺらぼうの頭の上の口
『奇異雑談集(きいぞうたんしゅう)』
(原題:人の表に目鼻なくして、口頂の上にありて、ものをくふ事)
私は若いころ、丹後の国の府中に住んでいたことがある。
丹後国は、京の都からは遥か北にある。
ある時、摂津の国の僧侶が私の家に来た。
この僧は九世戸(くせのと)参詣のために丹後に来たが、私の家に数日間逗留した。
これは、その時に語ってくれた話である。
「同郷に一人の僧がいる。
日本の六十六カ国を修行で廻り、国ごとに十日から二十日間逗留して、その国中の名所、旧跡、大社、仏像、それら残りなく観て廻っていた。
その人が、こんな話をしてくれた。
ある国に行った時のことである。
土地の色々なところを徘徊しているうちに、遥か遠くに大きな家を見つけた。
近寄ってみると、豪農の屋敷であった。
牛馬が数多くいる。
奴隷下僕、端た女らが大勢忙しく働いている。
かなりの繁盛ぶりである。
私は門から庭に入ってみた。
すると家主の女房が遠くから私をみて、侍女を寄越して奥に入るよう促した。
私は少し憚って、それに応えなかった。
まず竃のある辺りまで行って立ち止まった。
するとまた侍女が近寄って来て、どうか奥へ、と頭を下げた。
私がその後について上に上がると、客の僧をもてなす部屋に通された。
私はそこに座った。
若い者たちが私の接待のために忙しく立ち働いていた。
そのうち、侍女が斎(とき)を持って来た。
私はその食事をよく食べた。
食事が済むと家主の女房がやって来て、こう云った。
『いずれからいらしたお坊様ですか』
そこで、
『私は上方の者です』と答えると、女が云った。
『上方のお坊さまと聞いて、懐かしく思い出しました。
ご覧のとおりこの家は富も地位もありますが、主はあやしい、欠けた体を持つ人なのです。
しかしその主の数々の幸運によって、このように富み栄えて来ました。
極楽往生、成仏得度(じょうぶつとくど)のためにも、お坊さまに私の亭主を見せたく思います』
『よろしい。お目にかかりましょう』と、私が答えると
『では、こちらへ』と女房が先に立って歩いていく。
私はその後をついて歩いた。
屋敷の作りは広大で美しく、綺麗かつ厳か、隅々まで清められており私の目を驚かす。
屋敷の母屋の他に小さな御殿があった。
私たちはそこに至る廊下を渡ってゆく。
その作りも、華美を凝らしたものであった。
ふと女房が立ち止まり、振り返って云った。
『亭主の姿を見て、驚いて逃げる人がいます。
どうぞ悪く思わないで下さいね。
ご承知してご覧になって下さい』
女房は、明かり取りの腰板障子を開けた。
亭主は、縦横二間ほどのこじんまりした座敷の中に座っていた。
首から上は、常人と同じ大きさの頭が乗っている。
が、その形はひょうたんのようで、目と鼻と口が無い。
耳は両側に少しだけそれらしい物があるだけで、穴がわずかに見えている。
頭の上に口がある。
それは蟹の口に似ていて、いざいざと動いている。
部屋にしつらえた棚の上に、飯茶碗があった。
器には米の飯が載っていて、箸が添えてある。
『物を食わせてみせましょう』と、女房が云ってそれを取った。
箸で飯を頭上の口に置くと、飯粒がいざいざと動いて、自ら口の中に入っていった。
二目と見られない有様であった。
首から下は、まったく普通の人である。
その皮膚は桜色、太らず痩せず、手足や指その爪は、美しい形であり鮮やかであった。
着ている服は華美を極めていた。
上は綟(もじ)の透素襖(すきすおう)で、下は白袴にちぢみを寄せている。
だが、この華美な衣装は誰も見ることは無い。
夜の錦といった言葉の通り、全く無駄である。
私は長く見ることが出来ず、一人その場を去った。
最初の部屋に戻って座っていると、やがて女房が来て、
『怪しい人をお見せしまして、恥ずかしく思います。
このような人と夫婦となった事、私の悪行の浅ましさを思い知ります。
これは、仏様とのご縁のため』
と云って、いくばくかの銭を出した。
私はこれを旅の路銭(ろせん)として受け取り、その場を去った」
以上が、摂津の国から来た僧侶が、語ってくれた話である。
怪しい人の屋敷が、どこの国にあるのかは聞かなかったという。
(了)