[Column] 鎌倉幕府の成立は何年なのか
※これは学術的な考察ではありません。一個人の感想です。
年号語呂合わせ、言えるかな
年号の語呂合わせというものがある。有名なものを挙げてみよう。
このあたりは、単純に数字に五十音をあてはめただけではなく、その語句のもつ意味や時代の雰囲気、リズム感・語感、さらには余韻のようなものまでも詠みこまれた、語呂合わせの中のまさに傑作である。
歴史を学ぶ上で、なにが何年に起こったかを知っていることももちろん大切なのだが、それよりも、どの国が、どこの誰が、どういう動きをした結果、どのような影響がその後に起こったか、それらを全体としてつかむことが重要なのである。極論を言ってしまうなら、年号を知りたければ、そのたびに年表を調べればよい。
ところが近年、この誰もが知っている語呂合わせに否が唱えられいるらしい。
“いい国”か“いい箱”か
鎌倉幕府の成立は1192年ではなく、実は1185年だった、という主張がある。
2021年に改訂された帝国書院の中学歴史教科書にはこう書かれている。
1185年説支持者の根拠となっているのが前半部分の記述である。
すなわち、守護・地頭という鎌倉幕府の根幹をなすシステムができあがり、かつ平家を滅ぼして頼朝による実効支配が始まった年が1185年なのだから、鎌倉幕府の成立年は1185年とするのが正しい、というのである。
1192年というのは頼朝が征夷大将軍に任命された年にすぎず、武家政権の樹立年とするのは間違っている、というわけだ。
なるほど、たしかにそう言われるとそんな気がしてくる。
“幕府”の定義
しかし、筆者はこの説に異議を唱えたい。というのも、ここで論点となるのは「幕府とは何か」という定義の設定である。
手元にある国語辞典の説明には次のように書かれている。
また、電子辞書版百科事典『マイペディア』には、次のような記述がある。
つまり、「幕府」とはすなわち「将軍のいるところ」なのだ。ということは、「将軍」がいなければ「幕府」とは言えず、ゆえに頼朝が「征夷大将軍」に任命された1192年が意味的に正しいということになり、したがって1185年説は否定されるではないか。
そもそも「成立年」に意味はあるのか
少し調べただけでも、鎌倉幕府の成立年に関する議論は諸説紛々である。
もっと根本的な主張になると、平清盛ら平氏一門による政権が確立してからを、まとめてひとくくりに「武家政治の始まり」とする向きもあって、どこに起点を求めるかは考え方・捉え方によって大きく変化する。
ゆえに、頼朝の権力機構は、ある年にバンと動き出したわけではなく、支配を広げる中で少しずつ整えられていったと考えるのが、捉えかたとして正しいと言えそうである。
ということはつまり、「鎌倉幕府の成立は何年か」という問いは、実はそれ自体が間違っていて、1192年とは頼朝が征夷大将軍に任じられ、名実ともに幕府の創業に区切りがついた年なのである。
そもそも、「いい国つくろう鎌倉幕府=1192年、幕府成立」と単純化して覚えようとすることが、問題をややこしくしていると言える。
実ところ、いつまでが平安時代で、何年に鎌倉幕府ができて、いつから鎌倉時代が始まった、などということを論じるのは、歴史を学ぶ本筋からすれば枝葉のことである。平成が令和に変ったその日に、何かが劇的に変わったわけではないのと同様に、鎌倉幕府ができたその年から、過去の人々の暮らしが大きく変化したわけではない。
歴史とは連続的なもので、平安時代、鎌倉時代とブツ切りにして捉えたところで、歴史の奥深さに触れることはかなわないのである。
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