見出し画像

徳島の川の話②

先日弟と、海部川で泳いだ。
最高だった。
私が一番好きな場所だ。そして、海部川に飛び込んだのは、約10年ぶりだった。。。
約10年前までは、毎年夏になると過ごすのはもっぱら海部川だった。泳いで、潜って、流れて、天然の流れるプール、澄み切った水、鮎、あがったあとの爽快感、人生で最高の瞬間、夏の一番の楽しみだった。泳ぐ合間に水切り遊びをしていると平気で一時間は経ってる。水面を見たり、水中でも水中じゃないような足を見て透明感にびっくりしたり。
金も酒もセックスもぜーんぶいらない、最高の快楽がこれだと思えるくらい生きた心地がした。
川に飛び込んで泳ぐ。どシンプルな遊び。
カヤック、いらない、サーフボード、いらない、釣竿、いらない、とにかくサケになりきる。夏の日差しのもと、目が飛び出るくらいきれいな水中で川魚に紛れ泳ぐ。水中でゴーグル越しに先を見ると、水が透明だから遠くまで見える。衝撃の光景だ。水中の透明さに岸壁に繁茂する苔や木の緑が映り、エメラルドグリーンが広がるんだ。

そこには、虚構はない。
ビルも、役所も、新聞も、議論もない。
自然に出来上がった砂利、石壁、くねる川、繁茂する気や竹、それらの美しいフォルム、唸らずにはいられない。何度きても、弟と二人で感嘆し、叫ぶ。設計もなにもない、時の流れで、ただそうなった。それなのに、なぜこんなに美しい光景が生まれるのか。不思議だ。虫や鳥たちも同じように「ああ、美しい景色だなあ。」とか、思うのだろうか。

少ないが、そこに住む人々の暮らしは、自然と調和している。
よく大手の雑貨屋、家具屋、インテリアシンプルがこぞって掲げる【シンプルに暮らす】というフレーズがあるが、どこがシンプルなんだろう、と思う。膨大な食器、雑貨、家具をよりどりみどりに揃え、生きていくのに必ずしも必要ではないものばかりだ。「シンプルに生きる」なんてことをうかつに掲げないほうがいいと思う。
シンプルに暮らすとは何か、海部川に来るとヒントを得られる気がする。
そんなことを言いつつ、私は泳ぎ終わって家に帰ると、結局また物質的に満たされたいと思うし、本、服、雑貨、身の回りは自分が執着しているものばかり、メールをチェックし、映画を再生して、また虚構の世界に戻っていく。
それでも海部川で弟といるときは、宇宙と一つになるような、大地と一体化して全身全霊で遊び、ヒト科の生物として最大の楽しさを味わって、野生に近づいているような気持ちになる。 
持ち物は最小限に。アウトドアショップで揃えたこともない。海パンと、透明の水中ゴーグル、サンダル。ビア海部で全部揃ったんだ。(2023年現在は揃わない)

自分にとってそういう場所に、なぜ10年近く行かなかったか。東京にいたからだ。
彼女が大の東京好きで、住みたいと言ってきた。結婚も婚約もしていなかったが、彼女のことが好きだし望みを叶えてあげたかったのと、都心を知ることで、海部川、徳島の見方が変わって、更に徳島が好きになるのではと思ったことが大きな理由だ。
東京を知り、見えてなかったいつもいる場所の素晴らしさが見えてくる気がしたのだ。

そして上京後すぐ、私はあっけなく東京の魅力に取り憑かれた。徳島では知らずにいた価値観、思想、食、人、触れれば触れるほど新しく、楽しくて、30前の心身ともに最高のときを彼女と二人で満喫した。良くも悪くも、どんどん染まった。弟から毎夏海部川の写真が送られてきたが、まだあそこには戻れないと思った。いつかまた、自然と流れのままあの地に戻ることになるとなんとなくわかっていた。連休をとって泳ぎに行くこともできた。しかし、まだ早い。アップデートした俺で、またあの川に飛び込みたいんだ。
新宿で蕎麦を立ち食いしながら思っていた。ああ、今戻っても、だめだ。もっとこのバカでかいまとまりのない活力的な街に溶け込んで、なんでもあるけどなんにもない、なんにもないけど全部あるって、説明しにくいけどそのへんをもっと肌で感じたかったのだ。
住んでも住んでも、東京の魅力は深まるばかり。神保町で本の虫となり、新宿の裏道をさまよった。私たちは大田区役所で籍を入れた。
そして弟に似た空気を醸し出す同い年の友人もできた。彼は背が高く、元モデルで一流ブランドの洋服店を中目黒で経営しながらも、どこか野性味溢れ、活力的で、小動物的な愛くるしさも兼ね合わせ、そして何より話し方も表情も、優しかった。
気が付くと私は店に通っていて、それまで東京の誰にもしなかった海部川や徳島の話を夢中でしていた。そして彼は、家族を伴い海部川に訪れたのだ。
みんな海部川を心から好きになり、毎年家族で夏に訪れている。弟が現地で出迎え、あっちこっち案内しているようだ。いつもキラキラしてる彼の目が、海部川に行った感想を語るときは更にキラキラしていて、弟と話している気がした。

上京後、約8年目、徳島に帰る話などなにもなかった我々のもとに、妻の両親から家業を継がないかと話が舞い込んだ。そして、その後すぐ、妻が妊娠した。
私の人生の歯車がまた動き出したな、と思った。何も抵抗せず、身をまかせた。自分という人間が主人公の映画を見ている気がした。おっ、第二部、終わりか、次は再び徳島編かあ。といった具合に私は私を見ることができていたんだ。
鮭じゃないか。川で育ち、大海に出、川に戻って産卵する。俺は鮭だ。
息子の名前を鮭太郎にしようと思ったがさすがにやめた。
東京で得た経験は本当に大きかった。(後に書きたい。)
私は私を大きくアップデートできたし、都心の素晴らしさもわかったつもりだ。なんでもあった。それはそれはなんでも。新しいモノ、価値観、古い文化、未来と過去が交差して、SFの街にいたみたいだ。

そして、私は思った。
海部川に帰ろう。この感性のまま、東京に染まったまま、海部川に帰ろう。
妻と息子とともに。

帰徳二年後の夏。
弟とともに、海部川へ。。。


!!!!
やばすぎる!!!!
きれすぎる!!!!
うおおおおおおッッ!!!

いつも泳ぐ場所。その目で直接見に行ってほしいです。

膝から崩れ落ちた。東京での最寄り駅や新宿のビル群や出会った人たちがランダムに脳内で明滅した。私は私をそれすら空から見下ろして、映画のワンシーンのように見えるはずだったが、そんなことは無理だった。
体は震え、歓喜しているのか慟哭しているのか分からず、わかったのはひとつ、自分にプラスの氣が満ち溢れてきているということだけだった。
「ただいま、戻りました。」
そう呟いて、弟が後ろで見守る中、ダイブしたのだ。

目が見える、手足が満足に動く、普段意識もしないことが水中では浮かんでくる。私はこんなふうに泳げる私の体に感謝し、この体を作ってくれた両親、食物、葡萄酒に感謝しながら、遊んだ。

まだ6月で、キーンと冷たくてサラサラの水が気持ちいい。
天敵の虻はおらず、二人で心行くまで遊んだ。
大海には鰻や海豹、カモメなんかがいる。外の世界は広い。揉まれ、戦い、ようやく生まれた川に戻った二匹の鮭といったところか。疲弊し、傷も負ったが、ひとまわり逞しくなって次は産卵、子育てだ。

息子よ、徳島は素晴らしい。徳島に生まれたことを嬉しく思え。
そしていずれ、都会に出よ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?