NPO法人 森のこだま|上野真司さん(1)
2021年1月17日(土)10:00〜11:30
北海道網走郡津別町を拠点に活動するネイチャーガイドの上野真司さんをお迎えして、「しつもん×探究トーク」第6弾を開催しました。
大いなる自然の営みの中で子どもたちと接している上野さんのお話にはハッ!とする瞬間(探究の入口)がたくさんありました。お話を聴いているだけで、視点を変え、視野を広げる体験ができる内容です。本物の森の写真もたくさんご紹介していただきましたのでご覧ください。
「しつもん×探究トーク」最新のお知らせは、しつもん財団ホームページをご覧ください。
<ゲスト講師> 上野真司さん
特定非営利活動法人 森のこだま 代表理事
1971年愛知県生まれ。2010年に横浜より移住。「ランプの宿 森つべつ」の支配人を経て、現職。代表を務めるNPO法人森のこだまは、自然と人間が一体となり「こだまする」社会の実現を目指し、津別町上里地区(通称ノンノの森)を中心とする近隣の自然資源を活用した様々なサービスの提供や、
自然体験・自然学習の機会を創造している。
夏のシーズンは、自ら創設した津別峠で雲海や星空を鑑賞する「雲海ツアー」「宇宙ツアー」や、地域の畑を活用した「畑ツアー」のガイドとして毎日フィールドへ出るとともに、地域の魅力を全国へ発信。そのほかにも、地域イベント「クリンソウまつり」の主催や、ガイドのための救命救急講習の主催、地域の子供たちを対象にした「森のようちえん」や「木育の授業」の取り組みなど、さまざまなアイデアで町を盛り立てる仕掛人。
<対談者>しつもん財団理事 藤代圭一
教えるのではなく問いかけることでやる気を引き出し、考える力をはぐくむ「しつもんメンタルトレーニング」を考案、全国大会優勝チーム、アイスホッケーU14日本代表チーム、さらには地域で1勝を目指すキッズチームまで、数多くの実績を挙げている。現在はスポーツだけでなく、子どもの学力向上をめざす保護者や教育関係者に向けた講演・ワークショップをおこない、高い評価を得ている。著書に『しつもんで夢中をつくる!子どもの人生を変える好奇心の育て方』(旬報社)ほか。
代表理事 松田充弘よりご挨拶
しつもん財団代表理事の松田充弘と申します。
今回のこの企画の背景を少しお話したいと思います。
15年ほど前から「しつもん」を研究し続けてきました。しつもんは「問い」なんですが、相手に問いかけるコミュニケーションだけではなく、どちらかと言えば「自分に問いかける」ということを中心に行ってきました。「自分と対話する」ということですね。なぜ自分と対話するのかというと、”自分の答えを自分で見つける”、”自分で課題を発見して自分で答えを見つける”、ということを大切にしたいなと考えているからです。
生き方・お仕事・コミュニケーション、そういったところで「自分との対話」はすごく大事だと思います。それと同時に教育というか、子どもの段階から学んでいくプロセスにおいて「自分に問いかけて自分で答えを見つける」ことが重要ではないかということで…最初は個人の活動として学校でしつもんの授業を行い、先生たちにもしつもん力、どう対話するかということを伝えてきました。その後、今回の主催でもあります「しつもん財団」ができました。今は財団としていろんな学校でしつもん授業をさせていただいたり、先生方の研修をさせていただいたりしています。
毎年夏休みには全国の先生方を対象にして、幼稚園から小中高、大学、専門学校、塾も含めて最近では200校以上の先生をご招待してしつもん力の研修を行ってきました。2020年は元々東京オリンピックが夏に開催予定だったので時期をずらそうと思っていたのですが、コロナになってしまい、どういう形でしつもんを学ぶという機会を作ろうかということをみんなで考えていたところ、学校教育の中で「探究」というものがありまして、そこでは「しつもん」が重要ということが言われてたので「しつもんと探究」という2つのキーワードで、その専門家の方やそのような活動・取り組みをしている方々との対話をしていければなと思っています。
みなさんにどういう気持ちで受講をして欲しいかというと、ただ話を聞くというよりも、この対話の中できっとヒントや学びやインスピレーションが出てくると思うんですよね。それを日々の教育だったりとか、お子さんと接する時にいかしていただきたいなと思います。
今回は学校教育関係者だけではなく、特別ですね一般の方にも公開してますので、様々な立場の方が参加していると思います。その中でお子さんと関わることもあるかと思いますし、もしくは子どもではなく、例えば部下と関わることもあると思います。そういう時にもきっと、相手に自ら考えてもらうとか、しつもんを活用して解決を導き出すとか、そういうこともできると思いますので、そんな視点で聞いていただきたいなと思います。
自然と人間が一体となり「こだまする」
社会の実現を目指して
藤代:しつもん財団理事の藤代圭一と申します。昨年2020年の8月から素敵な講師の方をお招きして「しつもんと探究」についてのトークセッションをしています。今回は北海道の津別町より上野さんをお迎えしております。今日はどうぞよろしくお願いします。
上野:よろしくお願いします。
藤代:まず、今どちらにいらっしゃるか、教えていただけますか?
上野:北海道網走郡津別町というところなんですけど、、たぶん馴染みがみなさんないと思うんですよね。Google マップ北海道のこの辺ですね。
上野:屈斜路湖の西のふもとにある、ノンノの森ネイチャーセンターにいます。これを写真にすると、どういうところなのか分かるかと思うんですが、ポツンと一軒家みたいな、こんなところにいます。一番近いコンビニエンスストアが25km先にあります。
藤代:わかりやすい!ありがとうございます。昨年の秋の始め頃に初めて上野さんのところに遊びに行かせていただきました。
僕は今、隠岐諸島の海士町という離島に住んでるんですけど、その教育に関わる中で、離島の子どもたちって、年齢を重ねても同じメンバーで成長していくんですよね。だからなかなか新しい刺激とか新しい考え方とか価値観に触れることがなくて、『何かできることがないかな?』と思った時に、まず『それは本当にそうなのかな?』というのを確かめたいなと思いまして、東京の離島とか沖縄の離島とか、それで北海道にも行かせていただいていて、そこで、女満別の友人の紹介で押しかけるように行ったんですよね。これは本当に素晴らしい活動だなと思って今回、ご登壇いただきました。
まず最初に映像を見いてただいたら伝わりやすいですよね?YouTubeでも公開されている動画なのですが、一緒に見てみましょうか。では、中学生の取り組みを見ていただけたらと思います。
藤代:はい、ありがとうございました。とても素晴らしい映像でした。
上野:こんなこと言ってたんですね、僕。笑。
藤代:では、簡単にあらためて自己紹介していただいてもいいですか?
上野:はい、生まれたのは愛知県です。名古屋市街で生まれて、父親の仕事の関係でそのあと大阪、神戸、小学校に入る時に東京に出てきて、小学校4年生まで目黒区にいまして、4年生の3学期から千葉県の船橋市に引っ越しをして高校までは船橋市で過ごしてます。そのあと大学が八王子だったり新宿だったり、社会人になって神奈川、世田谷、人生の大部分を過ごしたのは関東ですかね。
転機となったのが、スキーが好きになってインストラクターを目指して26歳のときに福島県に丁稚奉公に行き、そこからインストラクターをずっとやらせていただいていて、7~8年かな?スキー学校の運営も関わったりする頃から、ちょっとずつ人生が変わり始めたという流れで・・・話すと長いんですけど今に至るという感じです。
もともと別に自然好きでもなければ、教育の勉強をしてきた訳でもないし、全然違う世界から今の仕事に入ってきたので、ずっとこの道をやってきた方から見ると邪道というか視点が違うのかな?と思っています。
藤代:今回は上野さんもそうですし僕もそうなんですけど、学校の先生ではなく、外側から子どもたちと関わっている立場として一緒に考えられたらいいなと思っています。
上野さんは森を中心に子供たちと学ぶ機会をつくってらして、森の話を今日はたくさん聞こうかなと思うんですけど、直接的な教育、子どもたちにこうした方がいいんじゃないか?とか、子どもたちにこう問いかけた方がいいんじゃないか?とか、子どもにこう接したらいいんじゃないか?という話も出てくるとは思うんですけど、どちらかというと、上野さんが森と接している視点とか、森との対話に、実は僕たちが子どもたちと関わるヒントがたくさんあると思ってまして、なので直接的なヒントというよりは、森との関わり方によって、あ、私の現場だったらこんなふうに活かせそうだなとか、子どもとこう関わったら好転しそうだなという視点をもって聞いていただけたらとても嬉しいなと思っております。
今回初めてご参加いただいている方もいらっしゃると思うんですが、ぜひお飲み物なども用意してリラックスしながら聞いていだたけたらと思います。また、どちらから参加されているかなども気軽にコメントしていただきたいのと、一方的に僕たちが話し続けるわけではなく、しつもんさせていただき、みなさんと対話をできればなーと思っております。本来であれば皆さんのお顔を拝見してお話するのが一番いいと思うんですけど、今回は僕と上野さんでお話させていただき、しつもんを通じてチャットで対話するスタイルでやっていきたいと思っているので、ぜひご参加いただけたらと思います。
最初のしつもんは、
「今日この時間が終わった時にどうなっていたら最高ですか?」です。
この1時間半ほどが終わったら、どうなっていたら今日参加してよかったなーと思えるでしょうか?教えていただけたら嬉しいです。
・森のいぶきを感じられたら最高です
・自然教育を取り入れた学校の様子をよく理解できたらいいな
・今後の子どもとの関わりに活かせたらいいなと思います
・人も自然の一員だとより感じられたら嬉しい
・暗くて怖いという森に対する恐怖感が減ったらいいなと思います
引き続き皆さんのコメントをお待ちしてますが、途中でも、何か質問があればお寄せください。できる限り対話できたらなと思っております。
では、上野さん、先ほど津別まで来たストーリーは聞いたんですけども、どうして津別でそういうことをされているか?が全く分からなかったんですけど。笑。
上野:そうですね。きっかけが、そういう意味で言うと先生と呼ばれていたインストラクター時代がそうなんですね。インストラクターやってる時に、スキーを教えるのは大半が子どもが多くてですね、お父さんお母さんも一緒に来たけど、子どもに教えると感情的になってしまうと。「なんでできないんだ?」ってなるので、学校に預けて自分たちがちょっと滑っている間に上手くなってたらいいなという感じで預かるお子さんがすごく多かったんです。で、子どもにしてみれば『やりたくない事』だったんですね、スキーは。
藤代:なるほど!
上野:寒い中で、ガンダムみたいな靴履かされて、クソ長いもの付けられて、動きにくくてっていう中のもので『やったら楽しいよね!』というのを伝わるようにするのがインストラクターの仕事だったんです。スキーを教えるというよりはスキーの楽しさを感じてもらうというのがメインだったわけです。
そうやって教えているお子さんの中に若干、発達障害の子とかもいらっしゃって、そういう子達にふれている時が一番僕が教わったことで、そのスキーをやっているというより自然の中にいることで生き生きするんですね。それを見ていて、あーやっぱり自然には何かあるんだろうなって薄々感じていたんです。
どうしてもスキーが集中できない時には、お絵かきの時間も作るんです。レッスンの中で。ある子どもが、木の絵を描いていて茶色い物体をぶら下げたので、僕はりんごがなっている絵を描いているんだなと思って「このりんごちょっと茶色いからもっと赤い方がいいんじゃない?」って言ったら、怒られたんですね。これはりんごじゃないと、じゃがいもだって言うんです。あの時のショックと言ったらハンマーで殴られた感覚ですね。そうか、じゃがいもが土の中にできることを知らないんだって言うことだったんですね。
藤代:なるほど!うんうん。
上野:別にそれが悪いとか良いではないんですけど、見てないとか、本当の自然を知らないって怖いなって思ったんですよね。じゃがいもなんて自然でもなくて畑の産業なんですけど。そう思った時に、もうちょっと子どもたちに自然と触れ合う時間を作れたらいいなと。僕の中でネイチャーセンターを作ったのは自然の取り扱い説明書を学ぶ場所。それは子どもも大人もですけど、そんな機会を作りたいなと思ったのがその出来事がきっかけだったんですよね。
で、スキーだけではなくて通年通して自然の中で触れられてっていう場所がないのかな?と思って、北海道が僕はもともと好きだったので、北海道でやってみたいと思い、飛び込みでやったんだけど最初移住してきた時はすぐ失敗するんです。経営のノウハウも無ければ、人脈も無ければ、まぁ全然ネットワークも無かったし、そんな中で東京でもう一回戻って仕事して、2010年の4月にたまたま津別町で森を活用した取り組みがあるので一緒にやりませんか?というお誘いを受けて、それがきっかけでここに来ました。
自然の取り扱い方法を子どもにも大人にも知って欲しいなと思っていて、子どもに教育しようなんてのはずうずうしい話で、大体お子さんの感覚っていうのは『親の鏡』って言いますけど、お父さんお母さんが考えていることが反映しているなっていうのをよく感じていて、だからお父さんお母さんと一緒に楽しみながら発見してもらえばもっと子どもたちも感じてもらえるんじゃないかな?ということで、学校というよりは旅行の中でお子さんたちとお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんが一緒にっていうのが理想かなっていうのが僕の感じたことだったので、なので今、観光業というスタイルを取りながら、そこから得られることを地元の学校とかとプログラム化できたらいいなっていう取り組みに発展してきたっていう感じですかね。
藤代:ヘぇー、すごい。今はあれですよね。あらゆる年齢の子どもたちと定期的に関わる機会があるんですよね?
他者の視点が教えてくれること
上野:そうですね、年長さんから始まって年4回「森のようちえん」という名前で遊びにきてもらって、そのあと1年生で総合の学習の時間で、今度は「雨」とかですね、感じるだけではない部分で森に入ってもらって、中学校の1年生でもうちょっと進めて今度は自然・気象とか、自然に育まれた森があってそれが産業につながっているんだというのを1年間を通じて「木育」という取り組みをさせてもらっていて、高校1年生で「津別学」というのをやって、もう少し産業とか地域っていう視点で3年間の「津別学1、2、3」てあるんですけど、1と3で関わらせてもらってます。
藤代:日本全国で森から学ぶっていう教育をされているところはたくさんあるんですか?
上野:たぶん北海道は多いですね。下河町という有名な町もありますけど、あとは本州でも森がないところは難しいですけど西日本とかでは多いんじゃないですかね?
藤代:地域にあるもので学ぶって、できそうでできないというか、これは僕が感じていることなんですけど。いま住んでいる海士町は「世界ジオパーク」に認定されてて、壮大な自然がたくさん残っている場所なんですよ。僕も詳しくはないんですけど、北海道にしか生息していない生き物と沖縄にしか生息していない生き物がなぜか隠岐諸島にはいるとか、すごく面白い場所で、ただそこで育っている子どもたちが、その自然に興味を持ち、そこから学んでいるかというとそうではなくて、やはり東京の子達と同じようにゲームに夢中になり、その中で自然から学べることに興味を持ってもらう機会ってなかなか作るのが難しいなと思う中で、上野さんがやられていることって津別の子どもたち、さっきの動画でもみんないい表情していたし、もっともっと知りたいと思うんじゃないかな?と感じたんですけど、その辺は上野さんどう思いますか?
上野:僕もそれってまだ課題なんですけど、この10年は僕は"よそ者"としてやっているんですよね、ある意味。よそからやって来たからという視点でやっているんですけど、やっぱり僕も道産子になりたいというかなれるものでもないんですが(笑)"地元の人"になりたい、ここの"土着"ということをすごく意識はしているんですね。ここが大好きなので。北海道民にはなってますけど育ってきた北海道民ではないんですね、それは悪い事ではないんですけど、逆に言えば、ずっとここで育ってきて、ここの価値がわからないのはある意味当たり前だなって最近は思うんですよね。
藤代:うーん、なるほど。
上野:それを否定するつもりもないし、だからこその視点もあると思うし。だから僕も東京にいた時に同じように東京のことでって思ったら無い物ねだりになってるんですよね、緑が少ないこととか。津別町には一般の人が普通に乗れるエスカレーターっていうのが無いんですね。エレベーターもたぶんホテルにあるのが唯一普通の人が乗れるみたいな。じゃあ、エスカレーター乗りに行こうか!っていうのがあってもいいと思うんですよね。
二人:あははは
上野:だけど永田町とかあの辺で通勤している時にはね、半蔵門線で降りて異常に長いエスカレーターとか乗っていると無きゃいいのにって思いますよね。だからその「無い物ねだり」になるのが当たり前なんだって思うようにしていて、その中で他所から見た時の無い物ねだりで、津別がなんで良いって言ってくれるのか?というのを知るのに観光ってすごく重要だなと思っていて、他所からの視点で価値をつけてくれますよね?そこを学べば僕はいいと思っていて。町の人たちが「マイナス30度とかで寒いじゃん!ろくなことないじゃん!」て思ってるのを、マイナス30度を体験したいっていうあんぽんたんがいっぱい来るわけですよ、僕みたいな。その人たちをうまくこう利用すればいいなって地元にとって。そういうのはいつも思ってますね。それがきっかけとなって逆輸入するのが普通なんじゃないですかね?
藤代:そうですね、確かに。ちょっと脱線しちゃいますけど、海士町の子達も旅というか、今は外にはいけないじゃないですか?なので、長崎の子どもたちと交流するということで自分たちの街を旅行してきたかのようにzoom上で紹介をして「こんな海ありますよ」とか「こんなもの食べてますよ」とかそういった取り組みをやってみた中で「もっと知りたくなった」とか気づき始めたところがあって。外との交流があって初めて自分の内側を知るみたいなことってあると思うんですけど、確かにずっとその場にいるとあるものって当たり前で気づかないってことはありますよね。
それは子どもたちと関わっていてもすごく感じてて、教室でずっと毎日会ってると、やっぱりちょっと欠けてるところとか、もうちょっと話聞いて欲しいなとか、いろんな感情ってあるじゃないですか?でも、たまに来た先生が「あの子今日すごく集中して聞いてるね」とか「目が輝いてたね」とかいう話を聞くと、あーそういった面もあるかもしれないと思うのと共通しているかもしれないですよね。
上野:ですね。僕もスポットで、担任をやるわけでもなければ普段の苦労を知らないわけですよね先生方の。ある意味、遠足みたいな楽しい瞬間だけをする、たぶん先生方からすればズルイなと思われている存在だと思うんですよね。
二人:あははは
上野:でもだからこそ、子どもたちを見ていてフラットに見れるというか、だからその"よそ者"ですよね、学校の授業にとっても。そういうのは大事だと思っているのであえてそこをキチッとやればいいかなって思ってますし、地元の人が気づかないというか、地域が大きな要素を持ってて、ここには何も無いみたいなことを無意識に子どもたちに擦り込んでいる部分はあるかなと思っていて、でも実際子どもたちが来ると全然何も無いとかじゃなくて、僕でさえ10年見てたって気づかないような事に気づくんですよね。
藤代:へえーーーーー!!
上野:だから、妨げているのは子どもたちではなくて大人の方というか、大人の側が「蓋をしてないかな?」というのはいつも自問自答しています。
人間の視点と森の視点
藤代:なるほどね、へぇーおもしろい。じゃあせっかくなので皆さんの、森に限らず、自然から学んだことがもしあるとすれば何があるかな?というのを聞いてみたいなと思うんですけど、まぁ地域によっては森よりも海が多くて、海で感じたこととか川で遊んだこととかあると思うんですけど、森に限らず、「あなたが自然から学んだことは何がありますか?」
その答えをぜひ教えていただければと思います。
さっき上野さんでも気づかなかったことに気づいた子がいるってお話をされてましたけど、たぶん、皆さんにもそれはあって、東京で暮らしてても観光的な側面で自然にふれて学んだり気づいたりしたことがあるかと思うので、ぜひそれを思い出して教えていただければと思います。
・千葉県市川市に住んでいるので台風や地震など自然の脅威から人間の力はちっぽけであることを学ぶことが多いです
藤代:沖縄も台風多いんですよー。僕もね、数年前まで知らなかったんですけど、台風が来ないと海の中がかき混ぜられなくなってサンゴが死んじゃうって話を聞いて「なるほどそーいうこともあるのか」と。台風なんて来なければいいのにって思ってたんですけど、ずっと。
上野:森にいるとよく感じるのが『災害』っていう言葉なんですよね。すごく"人間視点"なんだなというのを、僕もこっちに移住してきて気づいたんですけど、、
藤代:たしかに・・・あ、上野さんちょっと待ってください!いや、大丈夫なんですけど、コメントをちょっと読ませてください(笑)
・この10年位は自然の脅威、人間との力の大きさの違いを実感しています
・森の中だとこんなに大きく肺がふくらむんだと実感しています
・自然は人間には到底敵わない、恐怖心
藤代:なるほど、恐怖心とか災害みたいな話はやっぱり結構ありますね。
上野さんごめんなさい、さっき話を切っちゃって申し訳ない。「災害」について。
上野:なんか今、僕も頭の中ぐるぐるしてて。みなさんのコメント見て、なるほどなー。いいですね、こう考えが頭の中でぐちぐちゃするのは。
・ずっと田舎暮らしなので何を学んできたのかわかりませんが、デジタル化がどんどん進んでいく世の中に対して自然が人間に与えてきたものの大きさや偉大さを感じています
・本来は人も自然の一部
藤代:さっきの災害のことなんですけど、それはどういう気づきだったんですか?
上野:そうですね、災害っていうのがすごく"人間側からの視点"で、"森の側からの視点"で考えたらどういうなんだろう?って考えたことがあったんですね。僕のいる、このノンノの森ではものすごい数の倒木が起こったりするんですよね。僕の生きてるスパン80年100年の中では、その倒れた木っていうのは倒れた木のままなんですね。ところが100年前に倒れたであろうっていう木も残ってるんです。3日前に倒れた木もあれば、100年前、200年前に倒れた木もあれば、おそらく1000年前に倒れたであろう木っていうのも分かるんですね。それを見ていると
藤代:うーーん
上野:森の中で木が生えてる場所ってある程度決まっていて。これは実際に来て見てもらわないと実感が湧かないと思いますけど、理科の言葉で学ぶだけなら「倒木更新」ていうやつなんですが、木が倒れることによって次の木が育まれる場所がつくられ、光があたる場所ができ、いろんな理由で落ちてきたタネから芽を出すっていうのが、実は倒木のあとに起こるんだっていうのが森の中の至るところで起こっていて、
例えば僕が、3~4年前にいっぱい北海道に台風が来て、木が倒れてて川があふれてるのを見たときには森がひどいことになったなって感じたんですね、一瞬。なんだけど、あれ?と。この川があふれたことによって、この森でいっぱい咲いている湿性植物の範囲が広がるんだなとか、でもそれは30年後とかの世界だと思うんですね。今はあふれちゃって土砂というよりも石だらけのそこに流れてくる土があると、溜まる葉っぱがあって腐っていくと、ここに水芭蕉とかクリンソウっていうお花が咲くスペースができていくんだなとか、倒れてしまった木を見にいくと、上の空間がすごく広いんですね。ものすごい陽がさすんですよ、
藤代:うんうん、もともと木があった場所が無くなるから、、
上野:そうすると、木の下敷きになった幼木もあったけど、ならなかった幼木もいっぱいあるんですね地面には。なんかものすごく俺の世代が来たぜ!って言っているように見えたんですね。
藤代:うーん、なるほど!!
上野:ま、言い方はトゲがありますけど、あの爺さんやっといなくなってくれたぞと。
二人:あははは
上野:周りにいた子どもたちが喜んでいるようにも見えたんですね。木が倒れると、例えば、東京神奈川で街路樹が倒れたら、車の走行のジャマだとか、人が巻き込まれたとか、ケガとか災害とか人災とか言われますけど、森の中でそれが起こった時には恵みなんだなっていうのも、側面としてはあるのかなと。
藤代:うーん、そうですね。
上野:で、災害だなんて呼んでるのは本当に人間の都合で、東京なんかで街路樹を見たら地面全部コンクリートで覆われてて、根っこは自由に張れなくて、ある時突然ビルが建って全部陽を遮られってなると、なんかたまたま東京に出張で出た時に木がかわいそうに見えたんですね。やっぱりこの森にいて見ている木と都会の木と何が違うんだろう?って見た時に『倒れる自由すらない』という、
藤代:なるほど!倒れたら倒れたで怒られちゃいますもんね。
上野:そうなんですよ、倒れることによって価値が生まれる木もあるはずなのに、
藤代:あーーー!しかも、根っこも張れてないから立ってるだけで精一杯なのに、、
上野:で、それを倒れないようにワイヤーで固定されていて、なんて不自由なかわいそうな木なんだろうって思ってしまったんですよね。昔出勤している時は緑があるっていいなって思ってたんですよ。だからちょっと視点が変わったんですけど、災害って呼ばれるのはどうなんだろうって思ったんですよね。
藤代:確かに、そうですよね。この話、僕も教育界に関わらせてもらう中ですごく、自分ごとに置き換えられる話だと思っていて、まず、失敗することだったり、なにか上手くいかなかったりすることもたくさんある訳じゃないですか。でもそこの局面だけ取ると、確かにその災害っていう話になるけど、それによって光があたる場所ができたりとか、恵を受ける人たちもいたりする。それって、一人の子がクラスで失敗することによって、他の誰かがチャレンジしてみようって思われたりとかって大いにありますよね。
上野:あると思いますね。森を見てて、よくあの自然界では強いものが生き残るって言われますけど、例えば、森の中に何本も幼木って生えるんですよね。その中でたまたま日当たりが良くて強かったやつだけが生き残るのか?っていうと、たまたま運悪くそこに倒木がくることもあるんですよね。
藤代:確かに。。
上野:もうそう言ってしまうと運じゃねーかと言われてしまえばそうなんですけど、どれが生き残るかなんてその時の風向きだったり、たまたま来た鹿がそれを食べてしまうとか、だから全くわからない中で、でも数多くの幼木があって、強かったやつがダメでも次に強かった、もしくは運が良かったというバックアップがいっぱいある訳ですよね。だから、木1本で見た時にはたまたま残る木と枯れる木といろんな強弱があると思うんですけど、森全体で見た時にはすごくバックアップができていて、繋いでいくべきはその「1本の木」ではなくて「森」として生きていくというシステムはものすごく良くできているって思ったんですよね。で、無駄がまったく無い。
藤代:すごいな、自然なのに。
上野:そうなんですよ、あまりにも計算され尽くされているというか、神様の設計図みたいなものをすごく感じるんですよね。
藤代:すごいなーそう考えちゃうと僕たちが人工的にじゃあどういうコミュニティーを設計しようとか教室を設計しようとか言っているのは、ちょっと恥ずかしくなってきちゃいますね。
上野:そうなんです。なんかこう排他的になってしまうというかそうではないんだよっていうのを森の中を歩いていると感じる瞬間があって、昔は本当にそんなこと全く感じてなかったんですけど、ここに移住してきて、森を2年3年と森を散歩してただ歩き続けている時で、ある瞬間からフッ!って変わったのをすごく覚えていて、その瞬間がユーミンの歌で『やさしさに包まれまれたなら』って魔女の宅急便のテーマにもなってますけど、あの歌詞の中に『木漏れ陽のやさしさに包まれたなら』っていうところから『目にうつるすべてのことはメッセージ』っていう歌詞があるんですよね。ちょっと歌うの恥ずかしいので歌わないですけど。
藤代:みんな分かりますよ、ちっちゃい頃から聞いてますから。
上野:あの瞬間に「なるほどな!」っていうのを森の中で思ったんですね。森の中で見えてるものって全てが、宗教という話じゃなくて、神様からのメッセージなんだなって感じた瞬間がすごくあって。いま森を子どもたち案内したり、ガイドっていう名前でお客さんを案内するんですけど一番感じて欲しいのはそこなんですよね。その人が目にするもの全てにメッセージがあって、それをできるだけ多く受け取れるように翻訳してあげるというか、森は森語でしかしゃべってこないし、川は川語でしかしゃべってこないので、それを翻訳するOSがないと、なかなか理解しにくいんだなーというのを最近よく感じていて、ありがたいことにここで暮らしをしているとそのOSが自然とできてきている。さっきの話にちょっと戻りますけど、地元の人ってそのOSを持っているんですね、きっと。でもあまりにも普通過ぎるので当たり前だと思ってると思うんですよね。
藤代:今のメッセージの話って、すごく僕も意識をしていて、例えば、講演とかさせていただく中で、まぁ、そりゃー聞きたくない子もいますよね。もしくは寝てたりとか遊びまわってる子もいますよね。これも僕はメッセージだと思っているんですよ。要は、その子は何かしらの理由でここにいたくなかったり、僕の話がつまらないのかもしれないし(笑)、これをメッセージだと受け取り『僕には何ができるかな?』と考えるのか、『あの子が悪い、あの子の集中力が足りない』と考えるのかでは、メッセージを受け取っているか受け取っていないかという意味では全然違いますよね。
上野:そうですね、ドキッ!っとしますよね。寝てる子がいると、どれだけ俺の講義がつまらないんだろう?とか・・・
二人:笑
藤代:もちろんね、それだけじゃないかもしれないですからね。
上野:昨日徹夜したのかなー?とかね、いろいろ考えるんですけどね。笑。
藤代:一応自分を慰めながらも、ちゃんと自分ごととしてメッセージを受け取るかどうかってのもありますよね?
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