プロフィール。よろしくお願いします。
ハローと言います。
このネームは自転車で日本一周を共にした自転車の名前からとりました。
【プロフィール:表】
現在、大学で学生の就職支援のキャリアデザイナーをしています。
日々、大学生の就職に関する相談や悩みを「心」込めて対応しています。
その前は専門学校で就職主任と担任をしていました。
一人ひとりの学生に最高の学生生活を送ってもらいたく、熱く、時に暑苦しく関わっていました。学生は本当に可愛い。そしてその潜在力は素晴らしい。教育者は「教え育まれる者」であることがモットーです。
他にもこれまで、求職者支援施設やニート・引きこもりの方の施設で20歳から65歳まで10年以上就職をサポートしてきました。
全てに共通するのは「人の成長サポート」です。
つぼみが花開く瞬間、
サナギが羽化する瞬間、
それと同じように、
人も成長という変化を遂げる瞬間を見るのが至高の喜びです。
【プロフィール:裏】
実は、自分に自信が持てず、劣等感のカタマリであり、自己否定の達人でした。
小学校時代は、問題児すぎて、教頭先生と課外授業の日々。校長先生とは、なぜか毎日文通をしていました。
中学時代は、親の離婚で大阪から北海道に移住し、関西弁が周りにいじられる。
高校では、部活・バンド・バイトの3Bに励みすぎた結果、浪人という、学生でも社会人でもない、社会の隙間で3年間を過ごしました。
2浪の時から、新聞配達奨学生でつないでいました。
大学は希望が通らず、苦渋の決断の末、一度はゴミ箱に捨てた、滑り止めで受かった大学に入学。でもこれが今思えば最善でした。
浪人、大学とずっと新聞配達をして過ごしました。
お陰でこの時の苦労に比べたら、他の全てが楽しめます。
4畳半一間、風呂なし、トイレなしで、朝の1時からスタート。朝刊>学校>夕刊>チラシ入れ>集金>サークル活動>寝るの毎日。
よく生きていたなぁと思います。
とは言え、大学は寝過ごすこともしばしば。
単位が足らず、留年。その年インドに行って、そのまま大学は中退。
何かしたいけれど、それが見つからず悩みつづけていました。
大学卒業後、カッコよく言えば「自分探し」。実際は怪しい住所不定無職として、自転車で日本一周してきました。1年かかりました。
そこで気づいたのは、「成長サポート」がしたい!でした。
その原点が、大学時代に障がい者の方々と学生を連れて、キャンプに行ったことです。
初めは車椅子を押すのも面倒くさそうにしていた学生たちが、数日間で見る見るうちに変わり、「何かオレにできることないっすか!」と、人のために尽くすことを楽しいと思うように変わりました。
どうして、そんなに変わったのか聞いてみると「誰かの役に立つと、相手がすごく喜んでくれる。その時、自分はこれでいいんだと思える」と。
そこから足掛け数十年。
思いを現実にするため、うよ紆余曲折しながら、迷いながらも「成長サポートしたい」という想いで、ここまで来ました。
その結実が「質問手帳」です。
・・・つづく。