古い定食屋を営む、東京のおじいちゃん。
街の個人経営の定食屋さんだとか、古びた町中華が好きだ。
チェーン店にはない趣ある風情と、懐かしい素朴な味わいでどっぷりノスタルジーに浸れるし、「そうそう!結局毎日こういうのでええんですよ!」と心の中のリトル上沼恵美子が唸るような安心感がある。安くて美味しいのが一番だ。生姜焼き定食や、サバの塩焼き定食、ラーメン+チャーハンセットみたいなメニューを一生愛し続けて生きていきたい所存である。
3年ほど前、現在のマンションに引っ越してきてほどなく、近所の路地を曲がった先に古びた定食屋を見つけた。【焼魚・刺身 定食】と毛筆で書かれた看板を掲げ、中を覗くとカウンターが7席ほどと、4人掛けのテーブル席が1卓のみのシンプルな店内が目に入る。まさに「これこれ!!近所にこれとセブンイレブンがありゃあ、もうそれでエエ!」と心の中のリトル千鳥ノブが目を細めるような仕上がりであった。
ある寒い冬の夜、初めてこの店の暖簾をくぐってみた。老舗あるあるで扉の立て付けが悪く、一度上に持ち上げてスライドしないと開いてくれない。「いらっしゃい。」と呟きながら奥から出てくる店主は、それはもう、『おじいちゃん』のWikipedeiaのページに参考画像として掲載されているような“THE おじいちゃん”で、腰が曲がって白髪を極めたのその姿は推定80歳前後。おじいちゃんの中のおじいちゃんであった。
「めちゃめちゃおじいちゃんだ・・!」と思いつつカウンターに座ろうとすると、おじいちゃんは「誰もいないからここでいいよ」とテーブル席に案内してくれた。文字通り一歩一歩踏みしめるようにゆっくりと歩み寄り、温かいお茶とおしぼりを差し出しながら、
「初めてかい?」
「ここはもう50年の老舗で昔はもうちょっと都会にあったたんだけど、立退きにあってねえ」
「今でも毎週バスと電車を乗り継いで市場まで鮮魚を仕入れにいくんだ」
と優しく談笑してくれる。
「このおじいちゃんを“東京のおじいちゃん”としてこの町で暮らしていこう」と堅く心に決めつつ、鮭の西京焼き定食と生卵を注文した。カウンター内でこなれた様子で調理を始めるおじいちゃんを横目にお茶をすすっていると、店内がどうも寒い。入り口を見てみると、先ほどの扉が完全に締まりきっておらず、空いた隙間から寒風が吹きこんでいることに気付いた。
ご飯を食べる前にしっかり締めておこうと席を立ち、もう一度扉を掴んで上に持ち上げて引いてみると、古い扉がガラガラと音を立てる。するとその物音を聞いたおじいちゃんが、新たな来客があったと勘違いし、背中越しに「…いらっしゃい。」と声をかけてくるのである。
「いや、違うんです!ドアが閉まってなくて!」とおじいちゃんに説明しつつ、さらに2度ほど扉を閉めようとガチャガチャと試行錯誤すると、そのたびにカウンターからおじいちゃんの「いらっしゃい。」が飛んでくる。
もはや否定することはせず、何とか扉を閉め切って、席に戻ると、おじいちゃんが震えた手で追加のお茶とおしぼりを3人分持ってゆっくりと歩いてくるのが見えた。
美味しい定食を平らげ、おじいちゃんにそろばんで会計をしてらもい、帰り際は細心の注意を払い、一発で扉を開閉することに成功し、店を後にした。
嗚呼、東京のおじいちゃん。こんな時期が落ち着いたら、また食べに行くね!