「痔にはボラギノール♪」はガチ

「痔」。
「やまいだれ」に「寺」と書いて「痔」である。

こんな漢字が用いられるのは、寺と「痔」が切っても切り離せない関係だったと聞いたことがある。坐禅や正座で座ることが多い坊さんが「痔」になりやすいだとか、かつては女人禁制だった寺では男と男がチョメチョメしたからだとか、そんなことが言われるほど寺と「痔」は縁が深かったのだろうと推測される。

そしてこの「痔」。これもまた忌み嫌われる存在であることは疑いようがない。

「できることならなりたくない」

様々なガンや、命に関わる疾患は当然だが、「痔」に関して言えば、排泄が困難になる、痛みを伴う、さらに加えて、誰にも言えない恥ずかしさまで抱え込まなければならないという意味で、なりたくない病の一つに数えられることだろう。

昨今では、その羞恥心を緩和するため、「痔」を持つ人を「痔主」と呼称するということをネットで見かけた記憶がある。言うまでもなくこれは「地主」とかけた造語である。誰もが憧れる存在である小金持ち=「地主」のように表現することによって、「痔」を持つことがまるで「土地」、つまり財産を持ったかのように錯覚させ、「痔」に悩む人の尊厳を守るという見事としか言えない表現である。さらにはお互いに「痔主」と呼称することによって、「痔」を持つ人たちの間にそれぞれが抱える痛み・苦しみを共感し合えるという連帯感まで生み出す効果も確認されているとかいないとか。

しかしいくら絶妙の表現が生み出されている現代日本に会っても、やはり「地主」にはなりたくても「痔主」にはなりたくないことには変わりはない。まさに人類普遍の真理と言っても過言ではないだろう。

私もこれまで幸いなことに生まれてこの方三十有余年、「痔主」となることは一度たりともなかった。それは私が極めて快便であるという体質に由来していると考えられる。どれほど快便かと問われれば、1日に必ず2〜3度は大便をする。ともすれば、食後すぐに、まるでところてんのように、便が押し出されるような体質なのである。

かと言って、常に便意に悩まされるというほど腸が弱いというわけではない。便秘の経験はほとんどなく、下痢をするのも滅多にない。それほど快調であり快腸な体質なのだ。

また、大便に要する時間も極めて短い。トイレに入ってものの1分とかからずに出てくることさえある。

かの有名な小沢健二に「ドアをノックするのは誰だ?」という名曲があり、歌の中で彼は「One little kiss」と歌い、「君の心の扉を叩くのはいつも僕さ」と歌っている。それと同じように、私に便意が訪れる時、決まって大便が私の肛門に小さなキスをするかのようにノックするのだ。私の肛門の扉を叩くのはいつも便なのだ。そのノックを合図にトイレに駆け込めば、便座に腰掛けると同時にホーリーシット。それが私の大便に要する時間が極めて短い理由なのだ。

なぜこんな私の大便の時間などというクソのようなクソの話をしているかと言えば、つまり私は「痔」になりにくい体質でもあるということが言いたいのだ。何かの研究では便器に座って気張っている時間が長ければ長いほど「痔」になりやすいとされていた。便を溜めやすければ便が固くなり、これもまた「痔」の原因となるだろう。便を溜めない、そして短時間で排泄ができる。まさに私は「痔」とは縁遠い幸せな人生をこれまで歩んできたのだ。

ところがである。

先日、例によって便が私の肛門をノックする。それに催されて私はトイレに入って腰をかけ、ホーリーシットしたところ、いつもと様子が違うのだ。毎回得られているあの得も言われぬ「出た!」というスッキリ感がない。出たことには違いないのだが、まだ残っている感じがするのである。再度トイレに戻り腰をかけ、息んだ瞬間、それは起こった。肛門の少し内側で強烈な痛みが走ったのである。何かが刺さったような感覚。そして大いなる違和感。まるで小さな金属が、そこに引っかかっているようなのだ。

こんな経験は今まで人生において一度たりともしたことがない。肛門の中が痛い。なにかがその存在を穴の中で主張している。その主張の感じにはどこか覚えがある。そうだ、ホッチキスの針だ。ホッチキスの針のような引っかかっている。そんな痛みと、自分ではどうすることもできない無力さに身を捩りつつ、とにかく時間が解決するものと信じるしかなかった。

ところが1時間もしたころであろうか。先程の「残っている感じ」が、こんな時に降りてきたのである。そして「One little kiss」である。これはヤバイと私は覚悟した。この痛みの中で、奴らを外に出せば、私の直腸や肛門はタダでは済まないかもしれない。ホッチキスの針のような何かによって、激しく傷つけられ、肛門科のお世話になることは間違いない。かと言って、押し寄せる奴らを括約筋がいつまでも食い止めておくこともできない。私は意を決して、便座に座った。

すでに扉の向こうまで来てノックを済ませていた彼らは、扉が開くと同時に狭い通路から即座に開放されていった。私は一つの問題を解決し、同時に大きな問題を抱えるはずだった。

ところが。

全てが開放されたにも関わらず、私は痛みを感じることがなかったのである。そして先程まで燻っていた違和感も消失していたのだ。どうやら便と同時に、その異物はスムーズに流れ出たらしい。私は歓喜した。肛門科のお世話にならずに済んだことは、大いなる喜びであった。異物が何だったのか、下水管の中へと流されていってしまった今となっては知る術はないが、とにかく私は人生最大のピンチから見事に生還した。

その時私は、確かにそう思っていた。
しかし事件はまだ終わらない。

夜、家に帰り、風呂に入る。1日の終りの至福のひと時だ。「今日の汚れを明日に残すな」と言う父の教えに従い、私は身体の隅々まで念入りに洗うことを心がけている。そう、もちろん肛門もである。

その時私は指先に、小さな違和を感じた。

「何か……いる」

石鹸の泡の付いた指先で、何かがいた場所を再度確認する。そこには確かに小さな膨らみがあったのだ!

まさか……

そう、いぼ痔である。肛門の外にあるので外痔核と呼ばれるらしい。私はとうとう「痔主」となってしまったのである。

幸い、痛みはそれほどなく、普段は違和感を覚えることもないほど。デスク仕事をしていても差し支えはなく、大便時にも痛みや出血が起こることはなかった。「ひょっとしたら、数日のうちに、コイツは無くなるかもしれない」。そんな淡い期待を私は抱いていた。しかし毎晩風呂に入って確認をすると、指先に感じる小さな膨らみは、数日に渡って静かにそこに存在し続けているのであった。

「このままではマズいことになるかもしれない……なにか手を打たねば」

発覚から一週間経って、そう考えた私は、古い薬箱を漁った。するとそこから表れたのは「ボラギノールA軟膏」。そう、私の家の薬箱には、「ボラギノール」が眠っていたのだ。箱こそ年月を感じられる様子があったが、まだ封切られていない、新品の「ボラギノール」。誰が忍ばせてくれたのかは定かではないが、まさに天の救いである。

そこに、微かな希望を見出した私は、おもむろに下着を脱ぐと、「ボラギノール」を右手の小指につけると、慎重に患部に塗布。とくに染みるということもなく、すぐに効果が現れるわけでもない。

「本当に効くのだろうか」

一抹の不安が頭をよぎったが、とにかく今はこの「ボラギノール」だけが、私にとって唯一助かる道であった。「ボラギノール」の力を信じて、私は数日間、塗布を続けた。

5日も過ぎた頃であろうか、日課となっていた肛門チェックをした時である。そこにはまだ奴が居座っていた。だが、当初の存在感に比べれば、明らかにそれは小さなものとなっていたのである。放置していた際には、何の変化もなかった奴が、「ボラギノール」を塗り続けることによって、ついに縮小へと促されたのである。

しかし今はまだ、奴は完全に消失はしていない。微かなサイズだが、まだ危機はまだそこにあるのだ。

だが、私には「ボラギノール」という名の希望がある。

今ある危機が去っても、この先、再び「痔主」となる日がやってくるかもしれない。

けれど私は恐れることはないだろう。

なぜならば、そう。

「痔にはボラギノール♪」

なのだから。

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