東京の正体
大都会東京。
清濁併せ呑む大都市が、たかだか20cmの雪ごときでこれほどまでに混乱するとは。
雪の降る地方出身の私は、幼いころから雪に親しんできた。30cm以上は必ず雪が積もる冬。長靴に雪が入らないようにカバーをつけてもらい、気分は「無敵」だ。今から思えば小さな長靴だが、歩いて30分はかかる小学校まで毎日雪の中をザクザクかき分けて歩いたものだ。
中学生の頃には「長靴ダセー」という厨二的価値観が芽生え、雪道でも敢えてスニーカーで登下校をするという愚行も行ってきた。
雪が降るのが当たり前の田舎で育った私が、太平洋側の都市に出てきて思ったのは、雪のない素晴らしさだった。田舎の鈍色の鬱屈とした空ではなく、曇りのない晴天の冬空は、田舎に蔓延する呪いのような柵からの解放を私に想起させたものだ。
ところがどうやらそうではなかったらしい。
わずか1日雪が降るだけでこの慌てふためき様が露呈させたのは、呪いから解放してくれるような晴れ晴れしい強さでは決してなく、ただ単に、見たくないものを見ようとしない弱さであり愚かさだった。
東京は地方出身者の集まりだと聞いたことがあるが、雪の降る地方出身者は少数派なのだろうか。それとも東京に出てきて雪のことを忘れてしまったのだろうか。
あるいは長靴にカバーをつけた小学生の私のように、東京は「無敵」だとも思っているのだろうか。
そんなはずはない。
いくらカバーをつけた長靴であっても、雪の中を歩けばだんだん長靴の中も冷えてくる。融雪装置の水が出ている所を歩けば当然濡れる。注意を怠れば、勢い良く走る車に水をかけられて、真冬に全身がずぶ濡れという悲惨な目に遭うことだってある。
いくら準備をしても、決して「無敵」になることなんてない。我々はマリオではない。「無敵」なんてものは、所詮幻想にすぎないのだ。
にも関わらず、だ。
東京はその備えすら、怠っている。
そして備えすらせずに、自分たちを「無敵」だと誇っているのだ。
まるで厨二の頃の私の姿。
それが東京の正体だったのだ。
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