SHITHOLE(このブログについて)
Shithole。
トランプ大統領が使ったとか使っていないとかで話題となった言葉だ。トランプ大統領の差別的な発言や態度を首肯する気は毛頭ないが、トランプ大統領の発言でこの言葉を知った人も少なくないだろう。何を隠そう私もその1人。
直訳すれば「糞の穴」とでも訳すのだろうか。もう少し日本語らしくするなら「肥溜め」とでもすればいいのか。「肛門」と書いてあるサイトもあるようなので、正確な意味はよくわからない。しかし言葉としても意味としても汚いということだけはガンガン伝わってくる。
だからこのブログのタイトルを見て不快に感じる人もいるかもしれない。不快に感じた人には先んじて謝っておきたい。
「嫌な思いをさせて申し訳ございません」
しかしどうだろうか。いくら汚いものであっても、それが必要だということは往々にしてあることだ。例えば便器。我々の排泄物を処分するためのものであり、お世辞にもキレイなものではない。だが私たちの生活にとって必要不可欠なものである。それと同じように、肥溜めだってかつては有用なものであっただろうし、ゴミを集める場所である掃き溜め、かつて見られた痰壺だって、当時は必要とされていたからこそ存在していたのであろう。そして汚いのはその物自体ではない。肥溜めも掃き溜めも痰壺も、それ自体が汚いのではなく、汚いものを入れる物だから汚いとされるのである。
ではその汚いものと何か。それは紛れもなくこの私から排出されたものだ。それこそが汚いとされるものなのだ。汚いからこそ、それを入れるもの、処分するためのものが必要なのであり、便器にも肥溜めにも痰壺にも本来ならば汚いと忌み嫌われるような汚点は何一つなかったはずだ。しかし私たちの汚物を受け入れるという、いわば慈愛の心によって、自ら汚されてゆく。そして汚したはずの私たちに、汚らしいものを見るような目で見られることになるのだ。私たちにとってそれは必要なものであるはずなのに、だ。
話は逸れたが、「汚物は消毒だー!」という名言(?)もあるように、汚物を浄化するということは誰にとっても必要なことである。外来語を使うならばカタルシスというらしい。とにかく、このブログもそれと同じである。私の中から湧き上がる汚らしいクソのようなサムシングを吐き出すための容器。SHITHOLEという汚い名前をつけたのは、つまりここには汚らしいものがあることを知らせるためでもある。
どうか誰もこの肥溜めに足を踏み入れないように。
そんなことを願いながら、私はネットの中に肥溜めを作り、ここにクソを放り出すのである。
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