職人文化人類学は、何故、文化人類学なのか!〜過去から未来へ一貫した何かを見つけるため〜
2021,02,17 ミドリヘアーワタナベ
いやぁ。起業ってハードですな。体力と気力!
ブレイクスルー前夜でまだ明けない...
というそんな嘆きは琵琶湖に沈めて、本日はなぜ職人文化人類学なのか!というお話をミドリヘアーワタナベが担当させていただきます。
文化人類学に行き着いた経緯_「過去から未来へ続く一貫した何かを探すこと」
私、もともと文化人類学の研究者なわけではありません。大学での専攻は美術史でした。「史」を専攻していた私は、どちらかというと、過去から現在に至ったことあらゆる角度から全て掘り起こすのが得意です。
その得意技を使いこれまで、弟子入りをしながら、その土地の歴史、産業の歴史、論文を読み、などなど深い深ぁいリサーチをしてきました。
このリサーチがめっちゃ重要になります。むしろこのリサーチがなければ何も進まない、何処へも行けない!何故ならば、このリサーチを元に職人の「DNA」を抽出するからです。
(↑この写真は仕立屋のDNAワークの一部です。)
ただ未来をつくるのではなく、過去から続く一貫した未来でなければ、その職人、工房である理由が無くなってしまいます。その先祖から子孫へ連綿と続く大事な核(DNA)となるものを見つけることが、この職人とプロジェクトを一緒に進めていく上で一番重要と考えています。
「今、これが売れているから、この製品をつくりましょう!」
「この見せ方が流行っているから、このアプローチでいきましょう!」
これももちろん必要な場面があります。
しかし、その前に、職人たち自身が「何を守り、何をつくりたくて、何を育てていきたいか」というところからスタートしなければなりません。
この「何を守り、何をつくりたくて、何を育てていきたいか」ということを見つけて整理する為にディープなリサーチが必要になってきます。これを知るための文化人類学なのです。
まず文化人類学とはどんな学問なのか_「文化相対主義で差異を理解すること」
「文化人類学」の「定義」を求めても不毛であるのは、もちろんである。「文化人類学とは何か」を先に決めた上で、個々の作品がそれにそれに当てはまるかどうか判断するやり方は「学問」の領域を後ろ向きに守ろうとするものでしかない。
木村秀雄(2007)愚直なエスノグラフィー『文化人類学』p.384
OMG。。。
早々に定義を求めることができなくなりました。色んな論文や本を読み漁ったりしても、なかなか「コレ!」という定義がなかなか見つかりませんでした。
文化人類学が人間の生活様式、慣習、文化を対象としていて、それは時代とともにどんどん変化し流動的であり、様々な専門分野が混じり合う研究であるからなのかもしれません。
そのため私が書くこの記事が文化人類学の全てではありません。職人文化人類学のなかでの文化人類学の解釈になります。
その中で参考として見つけたのがこちら↓
差異をどう扱えるかというテーマこそが人類学本来のテーマであり、独自のテーマであろう。その為に文化人類学が文化相対主義を生み出してきたのであり、その倫理的態度の重要性は未だ失われていない。
綾部 恒雄 編集『文化人類学20の理論』(2006)弘文堂p.252
この、文化相対主義とは
同等に価値のある文化がいくつもある。その全てに敬意を払い、誠実に研究しよう。
綾部 恒雄 編集『文化人類学20の理論』(2006)弘文堂p.60
という、文化人類学を成り立たせている世界観であり、研究者の心構えと基本的姿勢である。文化に優劣はないという考え方です。当たり前のようですが、とてもコアな部分になります。
そして、
文化相対主義に基づくフィールドワークは、〜(略)〜 文化的差異にカルチュア・ショックを受け、異文化のもと社会的生存に煩悶するなかで、自らの環境を理解し適応するために、文化的差異生み出している両者(対象社会と出自社会)の文化を同時に理解するということである。
綾部 恒雄 編集『文化人類学20の理論』(2006)弘文堂p.252
フィールドワークを通じて、自らの文化と相手の文化の差異とは何だろう、どんな違いがあるのかを理解していくという事。そして、何が違うのかということを認識し、理解して、分析していくことが文化人類学の研究です。
文化人類学的視点の必要性_「職人のことを理解するため」
どうしたって私たちの生活は変化していきます。それと呼応するように文化も変化していくものです。
着物文化も日本の文化、原宿のkawaii文化も日本の文化。それは、今の10代が思う日本の文化と、今の60代が思う日本の文化には相違があるかもしれません。けれども側から掘り起こしてみたらそこにはちがう2つの事柄から何か一貫性が見つかるかもしれません。
例えば...福島県郡山市で作り続けられている高柴ダルマ。ダルマを作っている職人を張り子職人と呼びます。
張り子職人がこれまでつくってきたダルマは、生活の中に必要なものでした。ダルマとは1年間の豊作を願うもので、年始に誰もがダルマを買い、神棚にダルマを飾る。これが当たり前の習慣でした。
しかし現在では、ダルマを買う習慣が減ってきてしまっています。それは専業農家が減ってきているからなのか、家のスタイルが変わりダルマを置く神棚がなくなってしまったからなのか、代わりに他のものを買うようになったのか。様々な要因が複雑に絡み合っています。
この時代の変化から、高柴ダルマをつくっている職人がどのように変化を受け入れ、どんな挑戦をしてきたのか。そして、その結果どうなっているのか。
といったことをダルマのある生活が当たり前ではなかった私がフィールドワークをとおし、客観的な視点と主観的な視点で張り子職人の過去現在未来を理解し、分析していきます。
弟子入りといったフィールドリサーチをすると、職人との心の距離も近くなっていきます。すると、職人たちからの悩み事や、挑戦したいことも聞く機会が増えます。そうして課題が見えたらアクションリサーチへ転換し、、、、このアクションリサーチについては次の記事で詳細を書きます!!
職人文化人類学の展開_「職人に研究内容の還元を!」
職人文化人類学は、認識し、理解し、分析するところで止まりません。
調査の成果は少佐報告や民族誌という形をとったものだけではないから、成果を現地に学問的成果とは別の形で還元することはもちろん可能である。
木村秀雄(2007)愚直なエスノグラフィー『文化人類学』p.388
この研究を還元するというところがかなり肝です!
職人のことを研究した内容を、ただ事実として「職人というものは〜〜でした。」と重要なことが論文の中で息を潜んでいたら勿体無い!!!
この研究の成果を職人自体が使いこなせるように還元する、これこそが職人文化人類学です。文化人類学の枠を超えていきます。これがアクションリサーチへとつながっていきます。(しつこいですがアクションリサーチは次回...)
なぜ還元が重要かというと、職人はつくったものを売って生計を立てています。ものをつくり、そのものが多くの人に生活の中で使われることによって、その価値観が構築されていき、やがて文化となってきたのです。
職人がつくったものを消費者に使ってもらい、身の回りにある状態。というのは、経済と文化の循環が成り立っているということだと考えます。
この研究を活用することで、保護される職人ではなくアップデートしていくshokuninをサポートすることができるのです。
これからの職人文化人類学の文化人類学_「心構えは変えず、解釈はアップデート」
これは今現在の仕立屋の職人文化人類学の解釈です。どんどんアップデートしていくと思います。今日言っていたことが、明日には「やっぱり違かった!」ということは大いに起こり得ます。
なぜならば、文化とは今生きている私たち人間が、その時一瞬の積み重ねでつくられているものであるため、その時の人間に変化が起これば文化にも変化が起こります。今までのやり方でうまくできたけど、ある時から「あれ、なんか違う」という違和感があります。その時に解釈をアップデートしていくのです。
現在必要なのは、対象社会の人々の実践を文化の創造過程として捉え、その主体性を否定しない語り口なのである。 〜 現代社会とは、個人が文化要素を選択し自己形成しなければならない、そんな社会ではなかろうか。
太田好信(1993)文化の客体化『民俗学研究』p.388,400
情報過多な時代であり、選択肢が無限にある現在、文化に優劣もなければ、進化することがいいのかはわかりません。
しかし、相手の素敵なところを見つけることができるのは、異なる多くの文化を理解できている人だと思います。その視点を与えてくれるのが文化人類学です。
と、長々と書いてしまいましたが、次回はこのリサーチをどう展開していくのか、ちょいちょいチラホラ出てきたアクションリサーチの話を、ボブカットにしてロン毛じゃなくなった、ヒゲボブ石井にバトンタッチです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?