『擬娩』俳優レポート|増田美佳
したため#7『擬娩』(2019年12月)の出演者に、『擬娩』という作品の経験についてレポートを書いてもらいました。執筆時期は2020年の年末から2021年の初頭、上演からちょうど1年が経ったころです。その後、『擬娩』は2021年秋にKYOTO EXPERIMENTにて再創作版が製作され、そして来る2023年2月には東京での再演が計画されています。
このレポートを書いてくださった増田美佳さんは2022年5月にお子さんをご出産されました。『擬娩』再演には、リサーチ協力者として稽古場でご自身の経験をお話しいただく予定です。
擬娩その後|増田美佳
擬娩の初演は2019年の12月。
その頃はまだ誰もマスクをしていなかった。沖縄の空気を思い出す。
京都から沖縄にツアーし、12月半ばにも関わらず日中は半袖で過ごせる非日常感に浮かれていた。ジーマーミ豆腐を買いに行ったスーパーには、しめ縄や鏡餅といった見知った形の正月用品も売っている。鮮魚コーナーにはグルクン、楕円形のくんぺん、街路樹はガジュマル、道に落ちている見たことのない実を拾う。
生まれてこの方京都に住んでいる者は、手足が冷えない年の瀬が存在することなど知らなかった。底冷えの盆地ではなくこの温暖な島に生まれていたなら、今よりもう少し大らかな人間に育っていた自信がある。
初演から1年後の2020年12月。
大寒波とコロナの到来により一層底冷える京都で私はブライダルチェックというものを受けていた。
ブライダルチェックとは妊娠に支障のない状態かどうか、一通りの婦人科検診を行うもの。別に結婚と関わりなく受けていいはずなのに、わざわざ婚礼検査と銘打たれている。その名称からも結婚すれば産むものとみなしてきた社会の無言の圧力が滲んで見える。近所の産婦人科を数件調べると基本料金25000円くらいが相場だった。問診、内診、感染症検査、超音波検査。
擬娩の稽古をしていた1年前は、妊娠情報誌たまごクラブ、ひよこクラブを読み倒し、時折稽古場を訪れる経産婦から妊娠出産体験談を聞くという毎日を送っていた。舞台上で台詞となったのはそんな日々から煮詰められた言葉だったが、やがて自分に備わっているリアル生殖器の存在も看過できない心地になり、稽古の合間に数年さぼっていた子宮頸がん健診を受けに行った。
その時風疹の抗体検査が無料だからと一緒にしてもらった。抗体がない場合は予防接種をするが、その後2ヶ月は妊娠できないので、思い立ってからよりは早めにしておいた方がいいとのことだった。妊娠について具体的な希望はなかったが、そう言われると打っておいた方がいい気がした。検査結果では抗体がなかったのでワクチンを打ってもらったが、その時の抗体が出来ていることを1年経って確認した。
超音波の白黒のモニターに写るモヤっとした子宮内部の映像を見て、こっちが右の卵管、こっちが左と説明されるが構造は今ひとつよくわからない。中の状態はきれいですねと言われるがそれもよくわからない。
基本料金の範囲でチェックできる項目にとりあえず問題はなく、これより先はなかなか妊娠しないとなったら卵管の詰まりなどを精密に調べるらしい。妊娠できるかどうかはまず作ろうとしてみないとわからないですね、ということだった。ちなみに男性のブライダルチェックに相当するものは、基本的には泌尿器科で、不妊の兆しがある場合に行う。まだ作ろうともしていない場合はわざわざ受けないのが一般的であるらしい。着床する場を提供する母体側に気がかりが多いのは仕方のないことだろうか。
家に帰って、子供は作ってみないとできるかどうかわからないと至極当然のことを報告する。
ブライダルチェックを受けに行ったのは、ひとまず人間をこちらの体で預かるという一大事業が可能なのかを知りたかったからだった。過去に無月経になった時期があり、月経がきていても排卵がない場合があると聞いたことがあった。それに何より、未だに自分の体に他者をはぐくむ余地があるとは信じがたかった。大丈夫だと言われれば指針になるかと思ったが、結局のところそうでもなかった。
『擬娩』という作品は、産んだことのない人間たちが、妊娠から出産までの心身の変遷を演劇として辿るに構成になっていたが、それを経ても取り立ててよっしゃ産もう産もうとはならなかった。作品としても出産を推奨するでも否定するでもなかった。
ただ、経産婦から聞いた「出産直後、空っぽになった腹部を触ると、腸などの内臓が横に押されて移動しているので、内側の背骨が腹の上から触れる」などという状態、そこまで変形する体の拡張機能を知らないまま、私は死んでもいいだろうかという未練のようなものはあった。
決めるなら早いに越したことはない。
最近では月々到来する生理は、刻一刻と「期限が近づいております」というお知らせアラームのように感じられる。血の色は年々濃さを増し、限界まで血を吸って重たい多い日夜用をちょっと眺めて捨てる。意思に関わらず充血を繰り返すばっちり器管ある身体。
ある程度の年齢に達するとそう簡単に子供はできなくなる。もちろん知らなかったわけではないし、妊娠には計測や計画、能動性が必要となるが、私はどうしても子供を欲しいわけではないのだった。しかし自然に任せるという選択肢ではどうやら難しい。現時点から妊娠を望むなら実直な努力と計画性を要する。
ここまで書いて自覚したことがある。
つまり本音は、他者を発生させるなんていう人智を超えた現象は、私の意思の外で、まことに偶発的に起こっていただきたい、ということだった。
この意見は心から子供を望む人たちから見れば悠長で、その程度なら別に産まなくてもいいんちゃうと思われるかも知れない。
妊娠も出産も、する前からその経験から膨大な思考と言葉を生み出す予感に満ちている。どのようなものであるかを知らないままでいいと言い切れない気分と、是が非でも欲しいと思っていないために放置されたまま迫ってきた期限。
産まないことは、私が像を結んでいる現在に至るまで、脈々と引き継がれてきた流れをここで終わりにすることである。引き継ぐ責任はない。ないのだけれど、というところ。
『擬娩』の演出家である和田ながらがこの作品を構想した動機のひとつには、自身にもある期限と迷いが関わっていたようだった。稽古期間中にも出演者それぞれ子供を持つことをどう考えているか話したが、はっきりとしたビジョンを誰も持っていなかったと思う。
あれから1年経ち、またひとつ歳をとった。
擬娩を経た皆さん、その後いかがですか。
したため#8『擬娩』
日程|2023年2月9日(木)~12日(日)
会場|こまばアゴラ劇場(〒153-0041 目黒区駒場1-11-13)
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