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『擬娩』再演 俳優レポート|石原菜々子

2019年12月に京都と沖縄で初演した『擬娩』を、2023年2月に東京で再演しました。公演の詳細な情報についてはこまばアゴラ劇場のWEBサイトよりご覧ください。
再演に参加した出演者が、『擬娩』の経験について執筆したレポートを掲載します。石原菜々子さんは今回の再演で初めて『擬娩』に参加してくださいました。初演とKYOTO EXPERIMENTでの再創作は、観客としてご覧くださっています。


『擬娩』俳優レポート|石原菜々子


したため#8『擬娩』 photo by Toshiyuki Udagawa

 『擬娩』とは自分にとってどういうものであったか。いざ言語化しようにもなかなか言葉が出てこず、少し書いては「寝かせよう」と言って放置し、また覗き込んでは頭の中でぐるぐると考え、また寝かせる。そうこうしているうちに1ヶ月以上が経ってしまっていたが、寝かせるばかりでは文章量が全く増えず熟成もされず、脳内で言葉になりきらないものたちがぶくぶくと太っていくだけだった。これは寝かせている場合ではないと思い、本番後1ヶ月の地点から改めて、とにかく指を動かして文字化しながら、一体どういう時間だったのか思い返し、眺めるように書いていく。

 私が『擬娩』に関わりたいと思ったのには、少なからず私自身のセクシュアリティが関わっていたと思っているので、まずはそこから書き始めてみたいと思う。
 私は幼少からいわゆる性別違和を感じていて、第二次性徴で自分の体がどんどん女性として成長していくことが嫌だった。街へ出れば公衆トイレ、病院の問診票、更衣室、レンタルビデオ屋の会員登録、パスポートの申請など、何かにつけて男か女かを選ばなければならない事も多く、その度に戸惑っている。生まれた性を選択することで相手を混乱させ不安にさせることも多い。内面の性は男性寄りかもしれないがあやふやで、見た目の性は男性に見られることの方が圧倒的に多いが、それも時期や体調、振る舞いによっていくらか変化する。どちらを選択しても正解とは思えないし、どちらを選択してもリスクがあると感じる時がある。男性か、女性か、私はいつも入り口の前で逡巡する。
 性的指向は男性の方には向いていないため、結婚や妊娠、出産など、戸籍制度の関わってくる話題は長らく蚊帳の外であると感じていた。むしろそれを良いことに妊娠と出産に関しては逃げ切りたいとさえ願っていた。子供を産んでもちゃんと育てられる気もしなかったし、全くほしいとも思わない。そもそも自分が妊娠するのには、他人の精子を体内に受け入れなければならないし、その後育っていく過程では悪阻や肉体の変化が進み、大変恐ろしい噂しか聞かない陣痛と出産を乗り越えなければならない。女性の体を持つものばかりがリスクを負う羽目になることも全く解せなかった。そして産むことで必然的に「母親」という役割を請け負うことになり、私が「女性」であるということが確定してしまうのではないか。それが私にとって最も恐怖するところであった。
 それがここ数年、30代に入ったぐらいからか、ずっと避けてきた出産の話題に少しずつ興味を抱くようになった。「産みたい」とか「産まなきゃ」とは相変わらず思わないが、自分がジェンダーについて学ぶ機会が増え、自分が「産まない」という選択をしている理由について改めて自分に問い直すことが多くなったからだ。妊娠、出産、その先の育児について私の中で「女性の仕事」として閉じ込めて考えていたのではないか。私自身が「産む行為」と「女性性」を結びつけることで、根拠のない恐怖で自らを縛りつけ「産む」という選択肢を閉ざしていたのではないか。「産む機能を持った体」の中に「女性性」を押し込むようなことを、私自身がしているのではないか。もし自分で閉ざしていた選択肢が、実は選択可能なのだと考えた時、改めて、私はどういう選択をするのだろうか。
 ある時パートナーと共同する未来について話し合った時、私あるいはパートナーのどちらかが子供を産み、育てていくという選択肢が現実的に浮かび上がってきた。この選択肢を前に「いってみるか?」「いやいやちょっと待て」とやはり入り口の前で行ったり来たりウロウロもやもやしている。ここにきて、「産むこと」について考えることは、自分にとってとてもビビッドな問題のように思えてきた。

したため#8『擬娩』 photo by Toshiyuki Udagawa

 THEATRE E9 KYOTOで行われた『擬娩』の初演を観たのは、ちょうどそんなことを考えている時期だった。「擬娩」という初めて聞く言葉と、その習俗についての人類学的、演劇的な興味もあったが、今あえて「産む」ということを演劇の中で取り扱う姿勢に興味が湧いた。
 劇中では妊娠することを誰かの思想によって肯定も否定もすることなく、ただ「こういうことが起こるらしい」として、誰かにとっての現実なのであろうことを自分の体で試そうとしたり、本当にはそこにいない胎児を想像し対話しようとする出演者の姿には、真摯さとそれ故のおかしみがあった。ブラックユーモアのような感じで笑ってしまうシーンもあるのだが、近くの席の男性から楽しそうな笑い声が聞こえると「それはどういう立場から笑っているのか?」とモヤモヤし、そういうふうに突っ込んでいる自分もまた妊娠未経験者で「どういう立場でモヤモヤしているのか?」とも考えた。客席は舞台に対する反応や、その反応に対する反応によって、観客同士の立場の違いが浮かび上がっていたように記憶している。最後の呪詛のような台詞は重くもあったが、それを語ってくれたことに救いのようなものも感じていた。KYOTO EXPERIMENTでの再創作版も観にいったが、10代の出演者たちが妊娠をシミュレーションする様子は、軽やかでありつつも切実でハラハラし、客席の様子も初演とはまた違う緊張感を持っているように感じた記憶がある。
 その客席のあり方がとても興味深かったし、舞台に乗るまでの稽古の過程に豊かさがうかがえ、羨ましかったのだと思う。ので、今回の再演に出演しないかとお声がけいただいて嬉しかった。

したため#8『擬娩』 photo by Toshiyuki Udagawa

 さて1月に入り稽古が始まるのだが、最初の頃は座って話している時間が多かった。妊娠・出産経験者の方に稽古場まで来ていただいてお話を伺ったり、別日に和田さんがインタビューで伺った内容をシェアしていただいたりした。たまごクラブ初期を三等分に解体して、付録の冊子と合わせて出演者と演出助手の堀井くんで分けて読み込んだりもした。本を読み、ニュースを見、Twitterやインスタで関係ありそうな発信をしている人をフォローして、稽古中も稽古外でも誰かのシェアする知や経験のカケラに必死に手を伸ばそうとする。中筋さんからTikTok最強です(という言い回しだったか忘れたが)と教えてもらい、TikTokもインストールする。
 そこから少しずつ、自分の今の生活に、体に、「妊娠」を代入しシミュレーションしていく。未知の景色であり感覚なので戸惑いつつも、知り得たことを手がかりにして妊娠を擬えていってみることで、今の自分には見えてない部分について想像してみる。そしてまた話す。代理母出産について、不妊治療とその引き際について、アフターピル、経口中絶薬について。
 それらの時間の中で行っていたのは、アウトプットのための知識や情報を自分に蓄積していくインプット作業ではなく、むしろ受け取ったものによって自分を解体するための作業であるように感じた。今まで自分が生きてきた中で構築してきたものを少しずつ解体して並べ、じっくり眺めた後、もう一度組み直していくような時間であった。自分が過去にかけられた言葉、自分の放った言葉、何を見て、どうやって育ってきたか、どういう教育を受けてきたか。新しく得る知識や、聞いた声や言葉、誰かの立場を想像してみることによって、様々な感情、感覚が揺すぶられ、それによって解体されていく。私の当たり前として過ごしてきた生活の中に違和感や疑問が生まれてくる。それは私が、持って生まれた性で社会を生きていく上で、私自身が閉ざしてきたいくつもの思考や眼差しへの気づきでもあった。
 1月下旬、制作室の床の冷たさがマシな日が増えてくる頃に、ようやく通しをした。それは東京へ出発する直前だったが、それまで聞いたり話したり調べたりしたことと、そこから受け取った感覚や気づいたことと、舞台に立って言葉を発している自分とのつながりが曖昧なように感じ、心もとなさがあった。

したため#8『擬娩』 photo by Toshiyuki Udagawa

 東京に移動して、劇場での稽古日が2日ほどあった。返し稽古で「身体変容:お腹その他」のシーンをあたる時、和田さんからは「一般論的に妊娠のことをレクチャーしてほしいわけではない。自分の体を使って具体的に想像したところから言葉を語ってほしい。」と指摘された。このシーンはその名の通り、私が自分の体を通して妊娠によって変化していく体の様子を語っていくというシーンで、実はこの前にも何度か指摘を受けつつも「うまくいっていない」と思うことが多く、このうまくいかなさはなんだろう、と悩んでいた。この時言われてふっと気づいたことがあった。今まで私は「ちゃんとした」言葉で語ろうとし過ぎていたのではないだろうか、ということだ。この「ちゃんとした」とは私が外向きに何かを語ろうとする時、「ちゃんと」「論理的に」伝えなければ、と思う癖だ。それは普段の自分のとっ散らかった思考や、あやふやなままにしている性別のこと、その他あげればキリがない様々な「ちゃんとしてない」部分を隠そうとするなけなしの武装だ。しかしそもそも私が『擬娩』の中で触れたいと思うのは、そういう「ちゃんと」した物言いによって隠されてしまうような、沢山の誰かのあやふやで、柔らかで、なまあたたかく、ぼんやりとしたものたちなのではないのだろうか。和田さんは続けて「演劇であり、シミュレーションだからこそ、語っていく中でトライアンドエラーをしてほしい」とも言っていた。トライアンドエラーを繰り返すことで、近づこうとして、でもわからない、ということに誠実であってほしいという意味だと受け取った。
 今回、色んな方の妊娠・出産の経験を聞いたり、読んだりした。当たり前かもしれないが、言葉にされたことの裏側には、沢山の言葉にされなかった(できなかった/したくなかった)ことたちがあると思う。言葉にされなかったことについて私が知りたいと思い、調べ、擬えることでトライしようとしても、結局それはその人の持ち物であってわかることはできない。けれどもわかろうとしてトライして、わからないということを確認する、その行為は重要なのではないかと思った。私が誰かの言葉を借りるとき、誰かの言葉を語ろうとする時、わかったと思った瞬間、知った顔で「語れる」と思った瞬間、私の視界から「誰か」の姿は消えてしまう。それが、誰かの言葉を自分の所有物にしてしまうということなのかもしれない。そういう風にして、人は、私はどれだけの「誰か」を透明にしてしまって、「ちゃんと」した言葉によって押し除けているのか、と想像する。
 言葉にされていない部分を想像しようとする。触れられない、わからないことがそこにあるということを悲観せず受け入れる。わからないの向こうに広がっている空間の広さを想像する。トライアンドエラーを繰り返していくこと。そこに人と人が目の前の透明な境界線を認識し、対話していくことの希望がある。綺麗事になってしまうかもしれないが、それが芸術の役割であれば良いなと思った。

したため#8『擬娩』 photo by Toshiyuki Udagawa

 『擬娩』を振り返って、まだまだ思うことはある。妊娠すること、出産すること、それにまつわる周辺の様々なこと、いろいろな立場の方の経験や知について、とにかく情報が膨大で根深く、稽古後はグラグラした頭のまま帰り道を歩いた。稽古場に集まった人たちで情報を共有し、痛みや感覚について想像することで、未知の感覚に対して興味が湧いたり、妊娠・出産・育児を取り巻く環境に腹立たしさややるせなさを覚えることもあった。共有できることに救われる気もした。様々な感覚や感情を含めた時間が私の中にまだまだあるが、言葉にすることが難しかった。それらの事柄に関しては、これからの私が生きていく時間の中で、手に取ったり眺めたりしながら、少しずつ消化していきたい。
 また私の個人的な「産むこと」についての問題は、当然ながら簡単に答えの出るものではなく、もやもやしたままだ。けれどもこのもやもやを持ち続けることが、隣にいる誰かや、遠くの誰かの痛みを想像することの手がかりになるはずだと信じつつ、これからもこのもやもやと付き合い続けていけたらと思う。

したため#8『擬娩』 photo by Toshiyuki Udagawa

石原菜々子 いしはら・ななこ
東京都足立区にて育つ。高校卒業後、東京の小劇場にて活動。 2012年に劇団維新派『夕顔のはなしろきゆふぐれ』に出演。同年11月、維新派に入団し大阪に移住。2017年解散まで全ての作品に出演する。 2018年より元維新派の金子仁司と共に kondaba を旗揚げ。都市の中に上演場所を探し、その場所が持つ規則や制約、身体との関係性に着目し演劇作品を創作する。その他に、Monochrome Circus、akakilike、極東退屈道場、ピンク地底人3号などの作品にも出演。「都市」「移動」「あそび」をテーマに自身の創作も行う。

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