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そんな風に、おばあちゃん本人も 私たち周りの人間も辛い、2日間が 終わろうとしていた。 …
祖母が入院するまで。 あと2日。 これが、壮絶だった。 もう、正直言って…
入院は、入浴介助をしてくれている 市民病院に決まった。 自分の家から、小さな山を 1つ越え…
それからしばらくの間は 祖母の体調が悪化することもなく 平和な日々が続いた。 田舎か…
昔の人はよく言ったものだ。 私が小学校高学年ぐらいから 中学ぐらいまでの間、 何か大…
最近、亡くなった祖母が、 夢に出てくることが多くなった。 朝、その思い出に 泣きなが…
祖母がシンガポールから帰ってきて 二日後に、祖母は近くの大学病院にかかった。 その日も私は アルバイトで帰宅が遅くなり 寒い中自転車を漕ぎ漕ぎ帰宅したので ほっぺたを真っ赤にしながら リビングにたどり着いた。 「おばあちゃん、癌やねんて」 なんともいえない顔をして 母が言った。 うちの家では、 「行ってきます」と「行ってらっしゃい」 「ただいま」と「おかえり」 だけは、どれだけ喧嘩してても 言わないと行けないルールだったのに その事
私はおばあちゃんっ子だ。 母親が嫉妬するぐらい、 おばあちゃんのことが大好きだった。…
それからの1ヶ月は、忙しかった。 当時おばあちゃんは、母の弟夫婦と同居していたのだ…
祖母が家に来る準備をしていた頃、 電車で1時間の距離に祖母は住んでいた。 ある時、い…
おばあちゃんとスマホを買いに行った日は 2月にしては暖かい日だった。 いまいちスマホ…
祖母と暮らすのは、初めてだった。 厳密には、父の職場が、一時的に 当時の祖父母の家か…
朝、5時に飛び起きて 家から自転車で5分のファミレスで 朝食バイト(6:00~9:30) バイト先から…
本当に気持ちのいい天気だった。 春の訪れを感じる、素晴らしい日だった。 祖母の足取りは、天気に触発されてか 家にいる時より数段軽かった。 とはいえ、今まで知ってた祖母と比べれば 5倍は遅かった。 典型的な大阪のおばちゃんである祖母は 競歩選手並みに、歩くのが早かった。 それを考慮しても、だ。 体調が悪い時に一緒に歩いたりすると、 私が息を切らすレベルで早歩きなのだ。 しかし、100メートルほど歩いて、 明らかに祖母の顔に疲れが見えた。