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流転


Xを始めて10年以上が経っていた。10年でSNSはとんでもないスピードで変化していった。

ここ最近違和感を感じていることは、著名人が亡くなった時に現れる発信者たち。もちろん、その方を本当に敬愛し、思いを綴っている人もいる。一方でインプ稼ぎをしているように見えるものも目立ってきた。どこからか引っ張り出してきた過去の映像や写真などを投稿している。百歩譲って、著名人の偉業を広めること自体はとても意味のあることだと思う。追悼番組とかね。

違和感の原因は、話題の消費速度の異常な早さ。むしろ、それはSNSの良さでもある。何かがあれば爆発的に話題になり、すぐに落ち着き、また次の話題へ。出来事を悼む余白を奪っているような気がしてしまう。

現代社会において生活はタイパである。でも、音楽は倍速では聴かない。音楽を聴く時間、ライブの瞬間は、みんなが平等な時間で、同じように耳を傾け、体感する。これは去年のワンマンのMCで話した一部。

SNSの流れに乗ることで、タイパ社会では情報も素早くキャッチできて良い。そして良いも悪いも、知らなかったことを知ることができる。そして気軽に発信できる反面、大切な何かを置き去りにする。私もSNS使っているので、違和感を覚えながら使っているのは矛盾している点があるかもしれない。

ということで先月Xのアプリを消した。

トレンドをキャッチしていくことは職業柄かなり大切なことで、世間とのズレが発生してしまうことは致命的だが、それを凌駕するほど心が安定してきた。

何かがあった時、SNSに投稿するのもひとつの形であるが、私はその方が残してくれたものにまず向き合ってみる。それが音楽であれば曲を聴き、映像であれば観る。言葉にするなら、立ち止まり、本当に感じたことだけを残していきたい。

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