2012年9月から10月。なんかOsaka気に入ってきてるぞ。
投稿日:2012-09-12
電話の応対。派遣会社からかかってくる電話の事ね。
派遣歴は実はあんまり長くない。6年ちょっと。でも転職回数は多いし、登録した派遣会社の数も多いので、派遣会社から電話がかかってくることもよくある。
で。電話の愛想がいいからって、仕事ができるわけじゃないね。
やたらと腰が低いのもよくない。自分はPC苦手だとか英語できないとか言い過ぎるのも。だってそんなこと関係ないもんね。
仕事するのは私なんだから、私がどの程度なのか見切ってくれさえすればいいわけで。TOEICですっぱり割り切ってくれるもよし、テストしてくれるもよし。面談で英語使ってもらってもよし。
変わってたのが、やたらと自己紹介ばっかりしてた人。いや、名前を聞いてますからそれだけで充分でしょう。いまここであなたの前歴言われても。その人は面談に遅刻し、面談では私ではなく自分を売り込んでいました。
できれば、誰かに電話をかけている時に横で聞いていてもらうといいよ。スピーカーじゃなく、こちらの様子だけね。変な電話の時には横で聞いててもおかしいものらしいから。まともに挨拶しないで切ったり、何度も聞き返してたり、妙に無言になったり。それは向こうがきちんと挨拶していなかったり、内容が明確でなかったり、無礼だったりするから、らしい。案外、話している間は話すことに集中しているから気づかない、らしい。
こっちが変だと、たいていは向こうが変。電話はそういうものらしい。
今はつきあいなくなったけど、まるで機械みたいな受け答えするところがあって。そこは電話でいきなり営業かけてくるところだった。お仕事の御紹介ですうー、土日完全お休み残業少なめで入力業務でのお仕事なんですけどーー、勤務地は○○駅から徒歩7分の食品会社さんなんですけどーー、エクセルワード初級までなんですけどーー。
今思えば、よくまあこんなところで働いたよね・・
遠いから行けないって断っているのに、まるで聞かなかったかのように最初から話し始めるところもあったな。そこも嘘ばっかりつくので今はエントリーしてない。
お世辞なんて言わなくていいから、ちゃんと仕事の説明して欲しい。その人の言葉でね。その職場の長所も短所も、最初にきちんと教えて欲しい。こっちもちゃんと聞くから。
だから、嘘つくのだけはやめて。
面白かったのは。派遣先に断られた理由を妙に丁寧にメールに書いてきたわりには、こちらがかけた電話に返事してこなかったところ。
逆だわよ。断られた理由なんていらんのよ。頼んでないからね。けど、電話します、って言ったからには、かけてきてよ。
まあ、もうエントリーしないけども。
機械みたいな受け答えはスタップサービスで、リクルートと合併したみたい。パーソルはいろんなところとくっついて大きくなったので、仕事の数が増えた。それに大きくなったからか、営業の人の質が上がった気がする。何でって、営業の人のスーツがすっごい綺麗になったわよ。
投稿日:2012-09-13
職場の「いじめ」について、いつになく真面目に考えてみる。
学校なら我慢なんてしないけどな。
ほぼ初めて、明確に「いじめ」られた。畦道ではあんまりネガティブっぽいことは書かない、っていうスタンスでやってきたわけだけれど、そんなshishowにもいじめられた経験がある。
あれは官公庁でのヘルプデスクで。
派遣が私の他にも二人いて、二人とも女子だった。うち一人が一日中わめき散らしていた。Kとしよう。自分はどんなに優秀で、どんなに苦労して、どんなに頑張っているか主張していた。サーバー管理してたこともあるんです、必死で仕事覚えたんです、私は厳しい人間だと思います。
私はその官公庁に五年ほどいたので、公務員がどの程度かよーーく、知っていた。でもKにとって公務員というのはとっても偉い人々らしくて、○○さんは凄い、○○さんはやっぱり違う、と言いまくっていた。
仕事は簡単で、というよりこれをヘルプデスクと言っちゃいかんなあ、という程度だったけれど、ケーブルの加工とかは楽しかったのでるんるんだった。窓口っぽい仕事があって、同期がやってきたりして、そこそこ面白かった。
PCのセットアップは、USBメモリに落としたセットアップファイルをPC一台ずつにインストール、という、ああアナログです・・なやり方だった。HUBに繋いでサーバーから一斉に落とすんだろうと思っていたけど。まあ、それはそれで楽しかった。PCいっぱい触れたし。
今思えば、Kは私が楽しそうにしているのが気に入らなかったのだな。USBのフタがなくなったのを私のせいにした。最初からなかったけどね。探せとかいうから探したよ。あるわけないし。
管理職に「KさんにUSBのフタ探せって言われましたけど、フタって、そんなに重要なものなんでしょうかね」と聞いてみた。私もさすがに「Kの口のきき方が気に入らねえ」とは言わなかったけど「Kさんてずっとああいう感じなんですか」と言ってみた。
管理職はちょっとぴくっとした。今思えば、Kにはそういう類いの前科があったんだろうな。
PCのセットアップは事務所とは別の階でしていた。管理職がKの背中から「USBのフタだったら」と言いかけると、Kは「私ここの仕事が好きなんです、ずっとずーっとここでこうしていたいんですっ」とまくしたてた。管理職は「うんうん、分かってる、Kさんはよくやってくれてるから、ここの仕事をまかせるから」と宥めた。
Kは、私が同期と楽しそうに話していたり、隣の席の公務員と同等に会話しているのがとても気に入らなかったらしい。その頃には、といっても三週間くらいしか経ってなかったけど、Kに説明を求めなくなって、無視していたのも気に入らなかったのだろう。
なので、管理職のいない時、私の席が取られた。
席替えの名目で、私の席にKのファイルが置かれ、私はもう一人の派遣の席に座らされた。Kのファイルは妙にでかくてまとまりがなく、よって私が使えるスペースはとても狭くなった。トイレに行って戻ってくると、Kは私の席のはずの椅子に座っていた。
もしあそこが学校だったら。
あそこまではさせなかっただろう。まず始めのうちに私が怒鳴りつけるなり殴るなりして終わり、だったろう。女子だから怒鳴るだけかな。お前みたいな阿呆と誰が口きくかボケ、とか言って泣かして終わり、だったろう。
でも仕事場なのでそうもいかず。私はそのまま辞めることになった。派遣の営業はすぐに職場まで来てくれて、もう一人の派遣とも話してくれたけどね。あれはどうにもならない。Kがやりにくいっていうのは前から相談していたし、3人とも同じ派遣会社なので、そういう意味では話が早かったわけだけど。
もともと、システムのレベルがあまりにも低過ぎてスキルにならないので、そんなに長くはいないだろうとは思っていたけれど。
けど。
なんかさー。いろいろ思い出してここまで書いて、やっばり腹が立ってきた。すっきりしないよ。書いたからっていじめられた事実が消えるわけじゃない。私がいじめに対抗しなかった事実が消えるわけじゃない。
学校とは違う。それは分かってる。
でも、Kのいじめは続くんだろう。Kがあそこにいる限り。それが分かっていて、私はそれを変えられない。
変えなきゃいけないのは公務員だから。管理職だから。分かってる。でも、空しい。
だから、他の派遣会社で他の会社に行った時。いじめじゃないけどちょっと困ることがあった時は、細かく相談した。相手は社員だったので、それも話が早かった。派遣会社も派遣先の会社も私の話をちゃんと聞いて、ちゃんと対応してくれた。
そういうことにちゃんと対応しない派遣会社で働く必要はない。相談した電話に返事してこないどころか、折り返しの電話もしてこないところなんて働いてやらなくていい。
ちゃんと話を聞くところで働こう。
学校には先生がいて、生徒を管理している。それが仕事だ。
そして生徒と学生は、学校に行かなくてはならないのだ。
いじめられたからといって学校に行かなくていい、なんてわけにはいかない。学校に行くのは権利であると同時に義務だ。学校には、行かなければいけないのだ。健康上の理由などで通えなくても、学校教育は受けなければいけないのだ。
いじめる奴の方を矯正施設に入れればいい。そこで学校教育は受けさせなければならないけれど、普通の学校でやっていけないのだから、根性を叩き直せばいい。それだけのことだ。
いじめを見逃したり、黙認したりなんていうのは職務怠慢。そういう先生は首。そんな先生がいる学校は学校じゃない。そんな学校がいらない。学校が辞めさせたがらないのなら、そんな先生の授業は受けません、ってボイコットすればいい。
いじめは非行なのだ。そして犯罪なのだ。重大な人権侵害なのだ。
いじめがあるのを認めなければなかったことになるって、どこで覚えたんだ。そしてまだ懲りずに官公庁で働いたのは誰だ。
投稿日:2012-09-15
「おじいちゃん&おばあちゃん、ありがとう」
まずは父方を。父の実家は神戸にある。なので必然的に「神戸のおじいちゃん、おばあちゃん」と呼ぶこととなる。
神戸に限らず、阪神間には九州出身者が非常に多い。神戸の兵庫区には長崎村みたいなところもあるらしい。港町だからかなあ。私の父の実家も、もとは長崎。祖父は今で言う商社マンだったので、いろんなところに転勤して、落ち着いたのが神戸だった。
神戸の祖母は、私とは血がつながっていない。父の実の母は戦争中に病気でなくなった。でも、父の姉や二人の妹は祖母をとても大事にしていて、血がつながってないなんて思えない。
祖母は綺麗好きで、神戸の南の方にある父の実家はいつでも新鮮な空気が流れている。二階建ての長家で、小さいけど庭もある。京都の町家風だと思っていただきたい。
祖母は洋食好きで、缶詰めのアスパラガスの食べ方を教えてくれた。あんたは若いからこういうの好きやろね、と神戸に来て30年くらい経つはずなのに全く抜けない長崎弁でニコニコしながら。マヨネーズをつけて食べると美味しいのだ。
祖父は体のとても大きな人で、離れて住んでいる私を「行儀がいい」ととても気にいっていたらしい。なので、祖父の膝に座らされると逃げられない。祖父の腕は太くて長くて、まるで老木の精に捕まったような感じになるのだ。正月だと鯛の尾頭付きなどがあって、祖父は小皿に鯛を取り分けてくれたりするのだが、醤油嫌いの私にはちと辛かった。
祖父は90まで生きた。十日ほど寝込んで、最後の言葉は「あーーもうあかん」。あっぱれ。祖母は100近い。
そして母方。母の実家は三重県にある。なので私の家では、少しずついろんなものが関東風である。卵焼きは甘いし、正月のお雑煮はお澄ましに四角い切り餅である。タコ焼きやお好み焼きは作ってくれるけど、主食じゃない。
母方の祖父はとてもとても大人しい優しい人で、近所でも仏様で通っていたらしい。冗談好きな母の弟が言うことなので本当かどうか分からないが、祖父のお尻を拭く係がいたらしい。
母方の祖父は少し若く、60代で亡くなった。外出先から帰ってきて、祖母の肩に「ああしんど」ともたれて、そのまま亡くなったそうな。こちらもあっぱれ。
母の実家は商家なので、家はだだっ広かった。こちらももちろんのこといつでも掃除が行き届いていて、米屋なので挽きたての糠のいい香りがした。途中から花屋も始めたので、菊の香りも清清しく漂っていた。
祖母がディサービスに行った日のこと。自分の娘のようなのと混じって「年寄り」がするような簡単なテストをさせられたらしい。絵でも字でもさっさと上手に書く祖母は、もちろんテストなどさっさと済ませてあたりを見渡し、お茶の片づけをしている職員に「いつもすみませんねえ」などとあれこれ話しかけて困らせたそうな。
ちっとも年寄りらしくない祖母は、こちらも100近い。
家風があるとしたら。
思えば、どちらの家も親戚が仲がいい。父も母も五人兄弟なのだが、何かあれば全員が集まる。従兄弟達も、みんな兄弟のように仲がいい。
母が父を選んだのは、そういう仲の良い家風に合格点を出したからだと思う。どこの家庭にでも小さなもめ事はどちらにも普通にあるが、疎遠になってしまうほどの決定的なことはない。
仲良きことは美しきかな。
仲さえ良ければ、少々の事は乗り越えられる。仲の良い朗らかな家庭では、自然に人に誉められたり大事にされる子供が育つ。人を大事にする人が育つ。
そういう家風を育んでくれた祖父や祖母、御先祖に感謝。
月が差し込む荒屋も なんの辛かろ 共苦労 好いて好かれて暮らすなら 夢に黄金の花が咲く
さのよいよい
氷川きよしさんの炭坑節より。作詞 高橋掬太郎 作曲・編曲 石倉重信
投稿日:2012-09-16
女子の再就職は大丈夫なんじゃないかと。
関西の大学もこういうのやって欲しいなあ。
40代の女性の再就職。
新聞で、大学(日本女子大だったかな)でみっちり勉強してスキルつけてしっかり再就職しました、の記事を読んだ。40代女性、四年制大学卒でホテルや商社で働いていました。
もうね、それだけで最強なのよ。勉強の仕方を知ってるから。
今よりもずっと男女差別があからさまだった時代。女子は制服組と私服組、一般職と総合職に分けられて、そりゃあもうひどい扱いを受けていましたとも。寿退社とかウェディングケーキとか(最近は年越しそばなんだって)、若いしか取り柄がないみたいに言われていましたよ。四年生大学出てるのは女じゃない、みたいな。どうせ結婚して辞めちゃうんでしょ、みたいな。
その頃はまだ派遣の仕事が今ほど多くなくて、しかも金融や貿易の専門職種がほとんどで、就職といえば普通に会社に就職すること、だったなあ。私は一回も会社員になったことないんだけど、その頃の就職活動の話とか聞くと、腹立ってくるもん。
たぶん受験戦争が最も熾烈だった80年代に、それでも四年生大学を受験するのはプライドがあるからで。せっかく勉強したんだから自分の実力はどのくらいなのか見てみたいし。受験には男女差別はない、はずだし。そもそも勉強が楽しいし、一回手にした学歴は消えないし。
だから、離職していた間にITが進化していても、それはそれでやる気が湧いてくるわけで。だって自分が子供を育てていた間、世の中が全く変化していなかったらつまんないもん。しばらくぶりに勉強する英語だってTOEIC800点(すごいな私無理だわ)っていう目標があるからやる気出ちゃうし。
勉強する間にできた友達とお茶するのも楽しいし、勉強の成果を家族に報告できるのも楽しい。しかも就職できたら収入が得られるんだもの。ちゃんと勉強しててよかった。
自分の勉強法を知ることがまず勉強で。
勉強できる人は、自分の勉強法を持っている。どうやったら効率良く学習できるか知っている。
ちゃんと計画立てて、きっちりこなす。うまく行かなかった時は、どうしてうまく行かなかったか謙虚に考える。たとえ頭がよくても、謙虚さがないと頭打ちになっちゃうな。
すっごい勉強してもいい点が取れないこと、ままある。それはどうしてだろう、この前はできたのに、どこが良くなかったのかな、って客観的に考えられなかったら次に進めない。どこが良くなかったか、自分の弱点を見極めないと、成績は伸びない。
自分は早く計算はできないけど、文章題は好きかも。だったら毎日計算問題をすこしずつこなして、計算が早くできるようになろう。
自分は年号を覚えるのは苦手だけど、歴史上の人物の名前はすぐ頭に入ってくる。だったら好きな歴史上の人物を中心にして、周りの出来事を並べて覚えていこう。てな感じに。
80年代の逆境を逞しく生き抜いた女子なら、できるはず。だから、女子の再就職の未来は明るいのだ。
でも男子はそうはいかない。以下略。
80年代の男子も、もうちょっと覇気があったけどなあ。
投稿日:2012-09-17
悪いのはシャープだけなのか。
私も、たまたま三重県に親戚がいるから覚えていたのだけど。
二年前の秋。三重県亀山市で、大きなバス事故があった。六人が亡くなり、乗客のほとんどが重軽傷を負ったという。シャープの下請け工場に出勤するためのバス。乗っていたのは運転手を除いて全員が外国人。
やっぱり大きな工場ってたくさん外国人を雇っているのだな。
三重県のことは、少し知っている。人口は多くない。山がちで大きな企業もないので、大学から県外に出て、そのまま県外で就職する若者が多い。または家業を継ぐ。あるいは公務員になる。私の従兄弟も三重県出身の友人も、大学は県外で、ほとんど県外で就職している。
さすが忍者が出た地域だけあって、昔から他所者を信じない風土である。だから他所から来た大きな会社だからといって、なだれ打って就職する、という気質ではない。だから亀山に工場ができた時、新聞にしょっちゅう求人チラシが入っていた。新しい工場で働きませんか。住み込み、研修あり。社員待遇。
海の向こうから、おそらくは家族のために働きに来ていた人たち。彼らはきっと、慎ましい生活の中で貯えたお金を母国に送っていただろう。家が建ったら、子供が学校を卒業したら、母国に帰ってしまっただろう。
彼らは真面目に働いただろう。けれど、彼らは三重県では生活しない。消費しない。高い服を買うことも、街にくり出すこともない。もともと亀山には娯楽施設はほとんどない。彼らは働いているけれど、真の労働者ではない。体は懸命に動かしていても、心は母国にある。彼らは心の母国を支えにして、日々働いているのだ。
対して堺。シャープに就職できる高校は決まっていたそうである。高工一環。だから今年は求人が一人もないらしい。それはシャープが悪いのか。あの高校に入ったらシャープに入れる。そんなレールが敷かれていて、誰が真面目に勉強するだろう。シャープが好きだからでも何でもない。大きな会社だから。潰れないだろうから。
安い労働力と安い用地を求めて工場は地方へ、そして海外に流れた。
そこで働く人々に、私たちは敬意を払ってきただろうか。その労働を評価してきただろうか。
日系企業に投石したり焼き討ちをかけたりする大陸の人々は、おそらくは日系企業で働けない人たちだろう。あるいは政府への不満をうちに秘めながら、日本を批判しているふりをしているのだろう。
そんな人々を、私たちは本当に非難できるのだろうか。
人を、人の労働力を、ヒトモノカネなどと一括りにして軽んじてきた私たちは、ひとつ間違えばあちら側にいたのではないか。
何故働くのか。何故その仕事を選ぶのか。何故そこで生きるのか。
暴力では得られないその答えは、たぶん日本人の手の中にある。
ああFUNAI。
投稿日:2012-09-22
サンヨーを思い出した土曜日。
いい会社ってどういう会社だろうね。
はい、ハローOsaka。なんだかんだでまた大阪です。月曜から仕事です。
さて。新聞に、サンヨーから名前の変わった会社の洗濯機のリコールが出ていた。
私の大学時代だから平成の始め頃。大学生してた。大学は東京にあるのだけれど、通信制だったので地元で授業(スクーリングという)があって、大阪出身で大阪で働いている友達ができた。彼女はサンヨーで働いているという。
仕事はけっこうきついけど好き。職場も勉強していることに理解がある。休み取ることにも協力してくれる。
でも、いずれは東京に出たい。
なので、仕事が落ち着いたところで辞めようと思って、と同僚と立ち話していたら、そこに通りかかる課長。自転車にまたがっている。
あれ、仕事辞めちゃうの、もったいない。勉強したいから東京に出るの。うちの支社東京にもあるよ。どこそこの管理職知り合いやから、言うとくわ。まかせとき。
そして彼女は東京のサンヨーの人になった。
彼女は仕事が好きで、もちろん会社も好きで、だけど勉強も疎かにしたくなかった。
そんな彼女を会社は離したくなかった。
もちろん、サンヨーの社員がすべてそうだというのではない。
けど、自転車にまたがって道ばたでそんな話ができるような、そんな暖かい会社だったのは間違いない。
かつて世界一の売上を誇ったことのあるレナウンも中国に買われた。たった四十億で。たった四十億で、日本の誇りは買われてしまった。
何故働くのか。何故その仕事を選ぶのか。
共産国の人々には得られないその答えは、たぶん日本人の手の中にある。
投稿日:2012-10-08
私にとってのよい職場。
Osaka続いてますよ。だいぶ慣れました。男子派遣がいないのでいいです。ほんとに。
私にとってよい職場の基準。会社のトイレで大きい方ができることです。
もちろん朝の一発目は家で。会社のは二回目です。初日からそうでしたわ。リラックスできているということですね。もともと周りの環境に流されない性分ですが、初日からっていうのは自分でもびっくりしましたね。のびのびしてますね、し過ぎてますね。
・・「大」阪だからですかね。そういえば会社にも大がついているわ。
まあ、全体的にいろんなところがちょっと「狭い」のですが。それは大都会なのでしょうがない。広々してても駄目な会社もありますんで。
職場の雰囲気がいいとか、仕事しやすいとか、残業がないとか、いろんな角度からいい会社っていうのは比べられますけど。その中に「残業がない」っていうのがあって。NTTとかゆうちょが上の方に入ってましたが。
それって、元公務員だけが楽してて、子会社は残業山積み、っていう状況なんじゃないですか。違いますかね。
病欠して釣り番組に出たり出張中に盗撮しても首にもならない人たちが、仕事するわけないでしょ。そんなランキングに何の意味があるんでしょうかね。
残業があるのがいい会社、っていう人もいるけど。
どうして残業が多いのかはっきりしてるのはいいんですよ。システムがしょぼいから、っていうのはちょっと悲しいけれど、そのシステムがあるところて働かなければいいわけだし。
でも、「なんとなく雰囲気でみんな残業している」っていう職場ね。
まず、人員配置のバランスが悪い、っていうのね。さぼっている人と忙しい人の差があり過ぎるところ。忙し過ぎる人はどんどん辞めていくので、どんどんバランスが悪くなる。
その次に、必要じゃない仕事がたくさんあるところ。無駄なメールや電話が多いところ。
仕事が仕事になっていない。そういう職場が残業ばかり多い。就業時間内に仕事を終える、っていうのも仕事のうちです。特に派遣に残業なんてさせてはなりません。効率が落ちるだけ。
ふたたび、何故そこで働くのか。
その仕事、必要ですか。
ってなると、「あなたは」その職場に必要ですか、ってことになるわけだけど。
劣悪な環境で働くこと、安い賃金に耐えてサービス残業することは、他の労働者にもそれを強いること。それを社会的「善」としてしまうこと。
デフレされたくなければ、自分を安売りしないこと。安物にならないこと。
ちゃんとした職場で、ちゃんと仕事のできる人間になること。
でなきゃ働く意味がない。
また別の理由で、この会社も次の年に辞めてます。
投稿日:2012-10-08
「文化祭・体育祭の想い出」
中学、大学は意外と普通。
文化祭、体育祭とも、中学ではごく普通に。スポーツはあまり得意ではないのでリレーは応援するだけだったけれど、文化祭では演劇したり落語したり。文化不毛と言われる兵庫県の中学でしたが、音楽も演劇も盛んでございました。
中学では器楽部だったので演奏会は当たり前。そういえば受け狙いで宇宙戦艦ヤマトも演奏したっけ。私はセカンドバイオリンなのでメロディーではなくてバックコーラスみたいな役目。
ぱっぱらーっ、ぱぱぱぱっぱらーっ、っていうトランペットが嫌だって友達はいっていたけれど、あれっていい曲だったわな。今ならドラゴンクエストがいいかも。
演劇はみんな好きで、クラス対抗でした。台本書いたりセット作ったり。友達の家に集まって、近所の神社の神主さんに頼んで、参道に画用紙や模造紙広げてわあわあ言いながら森とか建物とか描いてたっけ。ミステリーとかコントとか。二年の時は合作でコントを書きました。ドリフターズの時代でしたので、わりと楽しく書けました。ひとりで書いたのは三年の時、「アルプスの少女ハイジ」と「卒業」をくっつけました。
大学は通信制だったけれど、そこは日本最大の大学でございます。夏祭りがありました。昼間のディスコ(死語でございます)で踊りまくって、髪が五倍くらいに膨らみました。中央線の窓に映ってびっくりしたのでございます。
高校は変でした。
高校では文化祭ではなく文化部発表会、体育祭ではなく体育大会でした。
兵庫県ではありがちですが、妙に教師が偉そうにしている高校でした。なんか生徒が楽しそうにしていると嫌がる風潮があってね。別にいいんですけどね、高校にもなったら。
体育祭では応援合戦で張りぼてとか作ったっけ。私は色を塗るのが下手なので、クラスでは材料の調達くらい。みんな上手だった・・放送部だったのでスピーカーの設置。裏方しまーす。
文化部発表会ね。はいはい。音楽とか男女交際とかは禁止の高校だったので、こっそりコンサートして途中で止められました。今思えば、会場には教師は最期まで来なかったので、強行してしまえば良かったですね。
それで終わりだったらただの想い出なんですが、ろくに来たこともない顧問がいきなり顧問面しだしてね。面倒でした。思えば、面倒な教師が多い時代でした。今みたいに無気力な教師が多いのとどっちがいいですか・・どっちも嫌か。
中学の時に文化祭的な活動はよくしていたし、高校ではスピーカー担いだりしていたので、イベントの楽しさは知っています。
まあでもね、ずっとそうだと飽きてしまう。
三ヵ月だけ専門学校に通って、他のクラスが演劇科だったりアニメ科だったりして、いろんな恰好した若者達とすれ違ったわけですが。
ずーっと文化祭、っていう雰囲気でね。
なんかね。
学校では勉強しましょうよ。先生の話を聞きましょうよ。
大人になったらそんな時間はなくなるんだから。
雇用保険の研修で塾の教室を借りてて、トイレが少ないのが困りました。いろんな理由で多目的トイレが使えなかったから。
投稿日:2012-10-21
阪神。球団ではなくて電車の話。
Osaka。かなり慣れました。梅田は駅周辺の工事がほとんど完了して、歩きやすくなりました。通勤には普段はJR使ってますが、時々いろんな事情で阪神に乗り換えることがあります。
そいで感じたこと、いろいろ。
関西地方にあまり詳しくない方のためにおおざっぱに電車解説。神戸の三ノ宮から大阪の梅田までが関西最大の通勤経路なわけですが、直通で行けるのがJRと阪急と阪神。阪神の阪は大阪の阪、阪神の神は神戸の神。まんまですね。
他にも大阪の地下鉄とか神戸の地下鉄、京阪や山陽や神戸高速鉄道なんてのもありますが、直通乗り換えなしで行けるのはこの三社、JRと阪急と阪神。
んで、JRにばかり乗っていると気づかない、阪神のいいところ。
車両がきれい。阪神の車両は広くてきれい。揺れも少ないし、なにより音が静か。JRの車両みたいな妙な軋み音はありません。スピーカーも雑音が少ないし、アナウンスも聞き取りやすい。JRの車両みたいなテレビ広告もないしね。あれ、好きじゃないです。
阪神は各駅停車に通勤特急に(覚えきれない)と電車の種類が多くて、慣れるまでは間違えないかとドキドキものなんですが、覚えてしまえば本数が多くて便利なんですな。
駅員さんが若くて、しかも体格がしっかりして堂々としてます。頼れます。
景色がきれい。阪神は高架が多いので、尼崎のセンタープールのあたりなんかパノラマ。shishowが一番好きなのは西宮。昔住んでたし。ぐーっとカーブしていて、西宮市が南からぐーっと見渡せます。気持ちいい。
高架だということは、建物の壁からの照り返しが少ないってことでもあります。ちらちら眩しいと朝から目が疲れてしまうので、景色のいい電車はそれだけで価値があります。
まあ、完璧ではありませんが。
まあね。阪神の梅田駅のホームは狭いし、出口も狭い。JRに比べると遅い。定期は高い。
そう、高いだけ。そこだけなんとかなれば、通勤に使えるのはJRより阪神。
だってJRって、多い時には週に二回遅れるんだもの。阪神はめったに遅れない。JRはスピーカーがぼろいからか、アナウンスが多いのにまともに聞こえない。尼崎が「あーがあき」、ドアが閉まりますが「とあがいばります」に聞こえる。うるさいだけよ。地面を走っているから民家やビルの照り返しがもろに来る。時々混む。時々臭い。
阪神を利用する人は、定期よりビタパなどを使ってるみたいです。その方が安くなるんだって。
もうちょっと定期が安くなれば。みんなそう言ってます。
あ。阪神が優勝したら定期安くするとか?
ICOCAも使えるようになりました。梅田駅大きくなったな。
投稿日:2012-10-27
大阪駅の歴史。など。
Osaka。なんだかんだで一ヵ月。通っているよ。
田圃を埋めたから埋め田で、梅田、っていうのは有名な話。地盤沈下で駅が埋まりそうになっていタらしい。駅の地下には地盤改良用の杭が何百と刺さっているので、ほとんど地下は掘れないんだって。阪急の改装の時も、あるはずのない地下街が発掘されたらしいし。他にもいろんなものが埋まっているのだろうね。不発弾とかさ。
大阪の人は日本一歩くのが早い、っていうでしょ。そうでもない。神戸が遅いのかと思っていたら、私が早過ぎるのだ。大股でがんがん歩くの好きだもん。
梅田駅の周辺には神戸でいうと昔の新長田みたいなところがいっぱいあって、駅からちょっと離れると住宅街になる。新大阪の周辺だけかと思っていたけど、大阪の繁華街って意外と狭いのね。
じゃあさ、梅田周辺に行くたんびに迷っていた私って、ほんとにほんとに方向音痴なんだね。
だって神戸だったら必ず北に山があるんだもん。・・でも神戸でも迷う時は迷うわ、私。
んで、歩き煙草は三ノ宮の方がひどい。梅田のあたりは煙草のポイ捨てに厳しいからかも知れないけどね。その代わりビルの近くに煙がたまってるけど。
見慣れてないからかも知れないけど、大阪のビルは似ている。同じ色でだいたい同じ高さ。
神戸のビルは色が違うし、高さもまちまち。古いのと新しいのが混ざってる。
大阪のビルは新しくて、ほんと、どれもよく似ている。
東京はどうだっけ。しばらく行ってないけど。世田谷のあたりは綺麗な住宅街だった。そういえば東京ではあんまり迷わなかったな。歩道も広かったし、静かだった。
上野もそんなにビルはなかったな。上野はもうニ十年くらい行ってないや。
歩き煙草率は低いけど、街の中の臭いはやっぱり大阪の方がきつい。だから、通勤途中に体中にいろんな臭いがついてくる。
煙草吸い放題だった国鉄に比べたらはるかにましなんだけど、やっぱり夕方の電車は臭う。
毛のジャケットには臭いがつきやすい。髪もそう。だから、髪は椿油をつけて、服は柔軟仕上げする。臭いなんてお土産にもならないからね。
そうだ、この時の職場を辞めた理由はいろんな臭いだったわ。
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