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2007年から2010年まで飛んでいる

投稿日:2007-04-22 (Sun)
楽しみにしている日記が更新していないと心配なんだけど、よく考えりゃ自分もたいてい更新してないや。秋の薄着はいいけど、春の薄着は体によくないんだって。そういや、腕の痛みがひどかったの、暖めたら直った。

このあたりって、最初の事務派遣が終わりかけている頃。派遣元が変わって、仕事の内容も変わって、だった。

投稿日:2007-05-08 (Tue)
野球はプロも高校生も嫌いなので興味ないけど、高野連には腹が立つ。なんや今更。で、それにへいこらしている連中も大嫌い。そんなだから野球の人気が下がるんだ。

下がったな。

投稿日:2007-09-02 (Sun)
ふと思い立ち、昔のアクセスを調べてみた。
すると、三年前は常に一日30以上あったコチュコチュのアクセスが、ここんとこ限りなく一桁に近づいている。
サイトの賞味期限は二年くらいだという。それにしたらコチュコチュは続いているほうだ。アクセスも多いときはまだ20くらいある。韓国語で検索する人が減ったのか、ハングルで検索する人が減ったのか、はたまたサイトを見る人全体が減ったのか。
分かんないけど、自分がどんなサイトを好きで、よく行くのかを、つらつら考えてみた。
毎日更新する人が好きとは限らない。でも、更新したことが一目で分かること。あ、元気そうだな、と思えること。季節感のあるサイト、その人の考え方が好きなサイト、写真の使い方が上手なサイト。
で、自分のサイトはどうか。更新、ほとんどしてない。ふりーずなんて二年近くいじってないよ。ちょっと近世なんかいつ更新したか覚えてない。人のサイトは更新されてないと結構気にする癖に、自分はこうだもんなー。
サイトの棲み分けを気にしすぎたこともあるかもね。切り分けしすぎ。どのサイトにはこの話題、って、厳密になりすぎて、かえって書けなくなっていた。
ということで。日記はその時の気分で、テーマ決めずに書きます。そんでもって、書きためたログを後で適当に編集してもっていきます。それがいいやそうしよう。
ということで、他のサイトもよろしくね。

珍しく反省しているよ。コチュコチュは韓国語のサイト。一番古いのはちょっと近世で、ふりーずは上げてない。アクセス数気にしてた時代もあったのな。
大きいデータを扱えるようになったから、動画や画像が増えたな。でも、結局テキストばっかり読んでいる気がする。

投稿日:2007-09-02 (Sun)
何度もいうようですが私はMac。しかもOS9。なのでネスケ。だから字が小さい。IEで見ると字がでかい。・・不細工だーー。

ネスケもIEも、使えなくなった。

投稿日:2007-09-03 (Mon)
はーん。なるほど。日記ブログは、ログが溜まらないのね。古いのはどんどん消えていくもんね。そうでないと、管理者は自分の書いたものの整理に忙殺されてしまう。読み手の方は、過去ログを読もう、と思うだけでげんなりしてしまう。
古く見えるサイト、つまり過去ログが堆積しているサイトは読み手の意欲をそぐのよ。なら、読み手の意欲、って、どんなものなんだろう。とにかく最新のもの、できたてのもの、ライブなものリアルなもの、が望みなんだろうか。今この瞬間の世の中の動き、一番新しいものの見方、それを分かりやすい言葉で説明してくれるものが欲しいんだろうか。それに同意したり、共感したり、反感を持ったりして、世の中と繋がってる、っていう気分になりたいんだろうか。
意欲。ありそうでないもの。だって、読んでる時点でそれはすでに満たされていて、痒いところを掻いた時点で痒みは消えているから、もともと痒いところなんてなかったんだ的なもの。じゃあ、どうして私は日記を読むんだろう。それはどういう類の欲望なんだろう。

技術系以外の動画はほとんど見ないな。どういう日記を読むか。書き手がちゃんと管理している日記。今は個人作成のWebに載っている日記っていうのはほとんどなくなったけど、やっぱり書き手の管理がしっかりしている日記が好きだな。

投稿日:2007-09-04 (Tue)
一世を風靡したイミダス、知恵蔵も休刊。平凡社の百科事典を読んで育った世代としてはちと複雑だけれど、ネット検索はやっぱり便利。
だって、韓国語の百科事典サイト。すっごいもんね。データ量が半端じゃないし、見やすい。もともとハングル文字がネット向きにできてるっていうこともあるけど、関連項目の豊富なこと。「フナとコイの見分け方」なんて、真剣に見入ってしまったよ。
一時期は、Webで検索するとそこ一部分しか見ないから知識も広がらない、なんて言われたけど、ディスプレイが大きくなって処理能力も早くなって、窓3つくらい開いて平行して読めるもんね。便利だわ。
こういうことのためにネットってあるんだなあ、と思う。例えば、「食器」で検索すると、もちろん韓国の食器は出てくるわけで、同時に世界の食器と見比べることができる。「東京 千代田区 店先」の食器と、モロッコの壺と、韓国の民族村の瓷を並べてみることができる。
しかも。それは並べ替えが可能。「モロッコ」で検索すれば、もちろん壺も出てくるし、服飾その他の文化のあらましがずらっと並んで出てくる。これは紙媒体にはできない芸当だ。本は確かに読まれなくなったけれど、確実に文字は読まれているし、書かれている。

今はそれも全部AIがやってくれるらしい。仕事で使うなら時間が節約できていいけど、趣味ならのんびり検索したいな。

投稿日:2007-09-05 (Wed)
ドコモダケがいつの間にか7匹に増えている。私のもっているPHSは古式ゆかしきNTTパーソナル。64Kとか書いてある。でもついにNTTもPHSをやめるので、ウィルコムへの引継をしなきゃならないわけだけど。
パンフレットが送られてきて、一部だぶり一部漏れ。お問い合わせの電話はこちら。しかし、電話が通じない。繋がりにくくなっていますのでもう一度おかけ下さい、と言って切れてしまう。そんならとメールしてみると、こちらでは調べられません、電話してください、って。電話が通じないのでメールした、って書いたのに。何を読んでいるんだろう。で、もう一回、何のためのメールや電話なのか分からない、と強く出てみると、電話が掛かってきた。
インターネットからいただきましたそうで、えーと、あのメール、をいただきましたそうで、すぐに対応するようにと上のものから強く言われまして、とオッさん。気持ち悪いので、はい、はいと答えていると、半額のキャンペーンでごたごたしてまして、とオッさん。同じ回線にするからだろうが。なんやねんNTT、としばらくむかむかしてたら。
NHKの特集で、人事も総務も中国へ、っていうのがあった。NTTのオッさんとよく似た感じの、うだつの上がらないオッさんがいっぱい。自分の会社の人事の重要なところは日本に残すけど、顧客情報は中国で処理して貰うんだって。へーえ。顧客情報は重要じゃないんだ。
でも、これで、謎が解けた。NTTの電話、中国に送ってるな。中国でなければ、どこか他の国。珍しくオッさんは自分の名前を何度も繰り返し、受付のものでは分かりかねることもありますので、って言ってた。マニュアルにないから、中国あるいは他の国では答えられないんだ。だからメールが署名がない上に、とんちんかんな返事だったんだ。二回目のメールで怒ってるのが分かったから、オッさん言うところの上の方に回されたわけだ。どうせもうPHSはなくなるから、とりあえず中国にふっとけ、ってなもんなんだな。顧客の情報を海外に流して、それがどんな風に漏れるか、なんで考えていないんだ。
企業の機密の一つである人事や総務のノウハウをそのまま売り渡して、企業の心臓部が空っぽになる、のは、私の知った事じゃない。中国の人件費が低いのは今だけ。うまいこと経費を削減したつもりが、気がついたら乗っ取られて、吸い取られて、路頭に迷うのは、その企業。オッさんは中国の若い女の子を馬鹿にしてるけど、彼女たちの頭の良さと来たら、オッさんが何十人掛かったって太刀打ちできない。そして、オッさんは永遠にそれに気づかない。そして会社は贅肉を落としたつもりが脳と心臓を取られてしまう。
消費者は、自分の情報が海外に送られているのを知らされていない。遺伝子組み換えの大豆っていうのは知らされるのに、通販で買う商品がどこで生産されたかは知らされるのに、掛けた電話がどこに繋がるかは分からない。それは商法には触れないのか?

この十年後、中国に業務の一部を移管する仕事をしました。会社は移転し、規模が半分になりました。この時の中国の女性もそりゃあまあ優秀でした。NTTは相変わらず。

投稿日:2007-09-09 (Sun)
本の検索が楽になった。今は古本の検索までできるのね。「韓国の食」という本。1988年の本だし、平凡社の本だから新書になってるかも、と検索するとぱっと出てくる。私としては最初の表紙の方が好きだけどね。
韓国語の勉強をしているだけでは知ることのできない、韓国の食の本当のところが、分かりやすく書かれている。どうして中国にも日本にも茶文化があるのに、朝鮮半島にはないのか、っていう質問に誰も答えてくれなかった。その本には分かりやすく書いてあった。
李王朝の時代、お寺にお茶を無理矢理献上させたことがあった。無理矢理と言うからにはもちろん只で、しかもお寺には百斤要求しておいて、実際に献上されるのは十斤とかいうことが続いた。たまりかねてお茶の木をわざと枯らしたりしたので、お茶が飲み物として発達しなかったのだそうな。
もし地方の役人が中間搾取したりしないでお茶を大事にしていたら。半島の食文化は大分違っただろうなあ。まあ、お茶文化っていうのは中国の文化だから、半島独特の文化ではないし、お茶の木は暖かいところでないと育たないから収穫するのは大変だったろうけども。
韓国では伝統茶というのは漢方薬の溶け込んだ甘いものを差します、っていうだけで、お茶に関してそういう歴史があったこと、誰も教えてくれなかったな。
日本では、江戸時代にお茶ばっか飲んで仕事さぼるな令まで出たくらい、何かといえばお茶だった。今でもそうだけれど。
官僚制度のおかげで衰退したお茶を蘇らせて、名物にする、っていうのはどうかな。甘い伝統茶、毎日飲めないもん。麦茶代わりだったスンニュンも飲まれなくなったし。
台湾では、虫が食べたお茶の葉が、高く取り引きされているそうな。虫が出す酵素がお茶の成分を変化させて、とってもいい香りがするのだそうな。そのお茶畑には虫どころか鳥が巣まで作っていて、でも単価が高いから、そんなに大量に作らなくとも悠々としていられる。
母の実家が三重県なので、お茶畑はよく見た。完璧に管理された茶畑は確かに綺麗なんだけど、たまには暢気な台湾風の作り方っていうのもいいんじゃないかと。

紅茶スパイって本が面白すぎた。日本のお茶畑が太陽光発電のパネルの下敷きになっているのが悲しくて、日本茶カフェを開いた若者がいる。頑張れ。

投稿日:2007-09-11 (Tue)
ああ、やっと涼しくなった。んでもいい加減にしないと懐も大分涼しいぞ。
今年は桃をよく食べた。皮ごとジュースにするといいというので、塩で産毛を洗い落として、ざくざく切って牛乳とミキサー。母の友人の実家で採取されたという蜜柑の蜂蜜で甘みをつけてがんがん飲んだ。
父が桃好きだった。「水蜜桃」といっては、歯で上手に皮を剥いてうまいうまいと食べていた。私は桃の産毛で手がかぶれたことがあるので、自分で剥こうとしなかった。林檎や梨ならさっさと剥いて食べるのに、桃を触ろうとしない私は、家では桃嫌いということになった。
なので、夏は葡萄や梨だった。葡萄や梨は秋のイメージがあるけれど、私の中では夏。葡萄の渋さと梨の酸味が、泳ぎすぎて疲れた喉にちょうどいいのだ。
泳がなくなって、日焼けもしなくなって、今更のように桃を食べる。塩をつけて揉んでも、やっぱり産毛は手に刺さった。特に指先の指紋の隙間にとりついて、いつまでも痛い。よく濡らしてから塩をふり、そっとこすった。桃はつるつるとアンズのように光り始め、くやしそうにつっぱった。

涼しいんだな。果物は今でも好きだけど、大き過ぎる甘過ぎるのはちょっとなあ。

投稿日:2007-09-12 (Wed)
南海電車と高野山がタイアップして、観光客呼び込みキャンペーン。胡麻豆腐スイーツ。うーん、煩悩が。
高野山といえば高野山合宿が思い浮かぶ。高校一年の春、高野山の宿坊でひたすら勉強するという合宿が恒例だった。今は学校の近くにできた交友会会館とかいうところでするらしい。学校も人里離れた田舎にあるから、環境は変わらないだろうけど。
高野山の宿坊は広くて、でも私の学年は五百人近くいたのでぎゅうぎゅう詰めだった。クラス単位で固まってプリントをひたすらこなしていくのだが、机で肩が触れ合うほどだった。そうこうするうちに先生がまいってしまって仮眠し始めるので、最後の方はプリントの写し合いになっていた。それでもみんなさぼらずに最後まで協力しあいながら答え合わせしたり分からないところは教え合ったりしていたから、それなりに成果は上がったんだと思う。次の日にはすっかり仲良くなって、名前も覚えて、胡麻豆腐の押し付け合いをしたりしていた。私は好物だったので七つくらい食べたっけ。
ただ料理が出てきたりデザートが出てきたりっていう受け身のものでなく、何か集中してこなすものがある方がいいんじゃないか。高野山の歴史を徹夜で学んで、次の日に試験して一番だったら旅費が戻ってくる、とか・・煩悩か。

インバウンドで高野山もえらいことになってそうだな。

投稿日:2007-09-16 (Sun)
結果返ってきたよ。ふーん、こんなものなのかなあ。まあ、英語は一番苦手だったから、よくできた方なのかも。文法は苦手かと思ってたらけっこうできてた。
ようするに、語彙が足りないのね。覚えるしかないのね。数学や物理が好きだったのは、覚えなくていいからだった。理解すれば、どんどん先に進んでいける。それはまさにグルーブ感ってやつで、一度分かったことはあっちでもこっちでも応用できる。
でも、英単語の語彙に応用は、ほとんど利かない。知らなかったら、もうどうしようもないのだ。そのどうしようもなさが嫌いで、それでどんどん英語が嫌いになった。普段使うわけでもない単語を覚える馬鹿らしさ、同じ文章を何度も声を出して読むあほらしさ。
英語は幼稚な科目に思えて、国語はできるんだからいいんだと言い訳しているうちに、英語の偏差値は頭打ちになって、結局全体的な成績も頭打ちになった。
で、考えてみると、母国語を学んだときも暗記はしたわけで、暗記という意識すらしないうちに覚えていたわけで。今はそれよりはるかに多くのツールがあり、大人になった私はそれらを駆使できる。英単語なんてお茶の子で暗記できるはずなのだ。
なのだ。

この次の次の年くらいにTOEICの点はちょっと上がった。外資系で働いたら勝手に英語力は上がるんだ、ってことにはまだ気づいていない。

投稿日:2007-09-17 (Mon)
告知。もしかして、質問を送ってこられた方、いらっしゃいますか。ソフトがスパムと判断して削除してしまったので、よろしければもう一度お送り下さい。

投稿日:2007-09-24 (Mon)
質問した記憶のある方。もう一度お願いします。まあしかしなんですな。いろいろありました、この一週間。で、よく分かったのが、私は伝聞の話しするのがものすごく下手、っていうこと。誰それがどういって、その誰それが誰それにその話をして、そしたら誰それがこう言って、っていうの、できない。どれが誰で何が何でどれなのか、すぐ分からなくなる。電話が苦手なのは分かっていたけど、こうまで人の話伝えるのが下手だとそりゃあ電話苦手だよなあ。って、納得している場合ではないが。

この頃は暇なんだね。

投稿日:2007-09-29 (Sat)
こんな私でもアクセスのログは取っていて、いらっしゃいませありがとうと画面に向かって愛を送っているのだが。
2004年ころは、一日に50件近くアクセスがあった。まあ、アクセスがあるのはいいことなんだろうけど、なんかこう、そんなに多いのは気味が悪い。それだけの人が来ているっていうの、玄関先に知らない人がいっぱい立っているみたいで。
そんならサイトなんか立てるなよ、っていう話。知らない人とネットを通じてコミュニケーションしたいからサイトを立てたんじゃないか、っていう話。で、私はそんな話をしたいわけじゃない。サイトを立てた動機なんて語りたくない。

それだからか、これ以降日記のログを取っていない。

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