酒場放浪記、川島商店街、タモリ倶楽部
先日、いつものごとく休肝日なのに酒場放浪記を見ていたら、
4つ目の店の最寄り駅は中野富士見町、
飲みの前のぶら歩きは中野区弥生町の川島商店街だった。
学生時代の大学院の研究室が川島商店街のすぐ横だったので、
弁当を買いに行ったりかき氷を食べたり、
時には銭湯に行ったりした商店街である。
懐かしいのはもちろんだが、しばらく行っていないし、
もうずいぶん店の入れ替わりもあるだろう。
銭湯もしばらく前に無くなったはずだ。
ところで。
川島商店街というと私が思い出すのは、
アイルランドのアラン諸島とタモリ倶楽部である。
話せばやや長い。
それにもしかしたら、
もう何回もこの話を聞いた人もいるかもしれないが、
思い出したので書き留めておくことにする。
アイルランドに初めて行ったのは1999年7月のこと。
まだ大学院生で、イギリスでの学会に参加して、
ついでに憧れのアイルランドにも一人旅で行ったのだった。
今みたいにモバイル機器はまだ使っていないし、
カメラだって持っていったのはフィルムのカメラだ。
アイルランドでは公共交通機関を使い、tourist information で
大学の宿舎とかユースホステルとかB&Bとかを紹介してもらって泊まりあるいた。
基本的なやりかただと思う。
アイルランド音楽に興味はあったが、まだパブとかよくわからず、
結局この旅では生演奏に巡り合うことはできなかった。
初めての海外一人旅で、深夜に一人でフラフラするのもまだ怖かったのだ。
まずダブリンに2泊位して、長距離バスで Galway に向かった。
バスはわりと混んでいたかと思う。
同じくらいの年齢と思われる日本人らしき男性がいたが、
特にそのときは話をしなかった。
日本人は珍しくもないし、そうかどうかもわからないし。
さて、Galway についたらとりあえず information に行って宿の確保である。
行くと、「シングルの部屋はない」ときっぱり言われた。えぇっ。
なんでもこの日はお祭りの日だそうで、どこも空きはないと。
「ツインならある」と言われたところで、横を見ると、
先ほどバスで見かけた人が一人で同じことを言われて途方にくれていたのであった。
そこで初めてお互いに話をして、恐る恐る、
「シェアどうですか?」ということになったのであった。
アブナイ人には見えないし、と思ったのだが、
きっと向こうもそう思ってくれたのでしょう。
川島商店街の話をしていますよ、はい。念のため。
翌日、私はアラン諸島に船で行くことにし、
彼は Galway でもう1泊して、その後アラン諸島に行くとのこと。
「じゃあ島で会うかも知れませんね」と話をしてその場は別れたのでした。
その次の日(あるいはまたその次の日)、
観光客で賑わうイニシュモア島の町なかを歩いていると、
件の彼に「鈴木さん!」と声をかけられたのであった。
彼ともう一人、船で一緒になったという女性がいて、
3人で飯食いましょうということになった。
一人旅だといろいろ皿を並べて食べられないですものね、
とかいう話になった記憶がある。
で、何の話のはずみか、住んでいるところの話になったのだが、
そのとき一緒になったお姉さんは、中野区弥生町の川島商店街
(かそのすぐ近く)に住んでいる、とのこと。え、僕そこよく行きます。
そうして、ヨーロッパの西の果てのイニシュモア島のパブの庭のテーブルで、
西日に輝き遥かに広がる大西洋を眺めながら、
川島商店街の話で盛り上がったのだった。
きっといまでも、イニシュモア島で川島商店街の話をしたのは我々だけに違いない。
さらに何の仕事をしているんですか、という話になったのだが、
タイムキーパーだという。
タイムキーパーって何ですか?と聞くと、
テレビ番組作成時の時間管理だということであった。
タモリ倶楽部の最後のテロップのところに名前が出てますよ、と。
帰国してテレビを見てみると、確かに「タイムキーパー 〇〇〇〇」と
その人の名前があったのであった。
あれから20余年、その人の名前は今もタモリ倶楽部の最後に出続けている。
最後に名前を確認するのがいつもの楽しみである。
ところで、Galway で一緒の部屋に泊まった彼のことは、
名前も覚えていないのである。
薄情この上ない、が、仕方あるまい。