ケアリングノーベンバー˗ˏˋ🍂🤝🏻ˎˊ˗
実習を乗り切った10月、そして11月は地域に出向くことを意識した。
母子支援の実習を経て、制度上なかなか難しいところも実際はあるけど、これからの新しい福祉はもっと地域に、人同士に、開かれたものであってほしいと常々思っている。
その第一歩、だれしもがふくしの当事者であるからこそ、まずは自分が行動して関わりをもち、絶やさない関係性の大切さを学びを超えて、実践に移そうと思った。
学ぶという言葉は、少し堅苦しく聞こえる。
しかし、その過程は、「自分の生き方を考える」ただそれだけのことで、
それだけと言いつつもとても重要で大きなもので、心がちぎれそうになるくらい気が滅入ることもあった。けれども、毎日何かしらのことについて考えたり、小さな課題を見つけることは、ぼく自身の力であると実感できた日が少なからずはあった。
そうなれた1つはじぶんノート。
要するに日々の日記だけど、書きたい時に書く。
はじめは自分が少しでも自己肯定感を上げられるように、ポジティブなことしか書かないって決めていた。だけどぼくとしては、ポジティブが良いネガティブが悪いみたいな善し悪しの捉え方はあまり好きではない。なのに、このようなやり方で、見返した時に良いことしかなったというようには完結したくないし、その時の自分の気持ちで書こうとしなかったことを良くないと決めるのは、浅はかだろうと思った。だからこの変なルールは早くにやめた。
ノートに向かって自分をさらけ出すことは、自分のノートなのに、ぼくにとっては全く簡単なことではなくて、大変だったし、今も時々そう感じる。
自分が紡いだ言葉を外に出すことで初めて自分で理解して、自分の気持ちを真に知る怖さと、自分の中にある相反する自分が攻撃してさらに追い打ちをかけるのではないかと思ってしまうのである。
でも、繰り返しノートと向かい合わせることで、心の中にあるものを言葉にしてみようと思えるきっかけが増えたこと、また、まずはノートに伝えてみようと、人だけではなくて伝えたい選択肢が増えたことが続けてきた成果なんだと思う。
そんな5月から始めたじぶんノート、1冊目が終わり、2冊目に突入した12月はじまりでした。🧶
それから、たくさんの本を読んで、ぼくの大好きな作家
角田光代に救われたことも多かった。
自己啓発本はあまり好きじゃないけど、物語を通して自分と同じ境遇なのかもと思いに耽る時間も好きだし、
人間の核心につく言葉の数々が心にすっと入ってきた時には、現実から逃避して、もう仕方ないと片付けることもできた。
物語である以上、自分と生きる世界は必ず異なるはずなのに、こうして寄り添ってもらっているような感覚があるのは、自分が日々感じていることが生きるうえでの恒なのだろうと思う。
ケアというものが身近にあるということを身に染みて深く考えられるようになったのは、2023年に入ってから。
社会的弱者を支えることだけが「ケア」いわゆる福祉ではなくて、
私たちが日頃から抱える困りごとやささやかな悩みに向き合っていく姿勢が本来の福祉であること。
まさにいまの自分にとって欠かせないものであり
これからも大切にしていきたい。