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【覚え書き】雨は冷笑。

こんなこと書いてもなあ、とは思っていたけど、覚えているうちにちゃんと書いておこうと思ったので筆を執る。

約1年前だ。秋のちょっと肌寒いくらいの日だった。
その日、僕は人生2度目の家出をした。まだ一人称が俺だったころだ。
夜の8時とかだった。お夕飯を食べる直前である。
といってもこのご時世、財布も持たずに家をでた自分が行ける先など無いに等しい。
行けて友達の家だろうか。だがそんなことをしたところで、十中八九適当な時間に家に電話がいってそのまま帰されるのがオチだろう。
それにこの時間に夕飯も食べずに押しかけては確実に迷惑だ。
あいにく、もちあわせの傲慢さではそんな選択はできっこなかった。
そんなんだから前回の家出も家の前で1時間ほどうずくまるにとどまった。
でも今回もそれってのは流石にちょっと面白みに欠ける。
2度目だ。しかも前回よりも相当怒ってる。せっかくならどこかふらふらと、ちょっと歩こうじゃないか。
靴下もはかずにサンダル一丁で夜の東京の住宅街を歩く。
うん。住んでる場所が場所だからこれだけでもなんだかしゃれおつな感じがするぞ。当時の僕にはそんなことを考える余裕はなかっただろうけど。
でもなんか、その日のことはやけによく覚えている。

家の近くの小さな公園。
結構面白いデザインの滑り台があってトレードマークのようになっていたのだが、最近「危ないから」と取り壊されてどこにでもある鉄パイプ製のこぎれいな滑り台に取り換えられてしまった小さな公園だ。春には桜でいっぱいになるし、砂場の頭上にはちょっとした藤棚もある。小さいながら見どころのある公園だったのだが…
滑り台なあ…
趣のあるデザインだったのに台無しだ。ここもどこにでもある普通の公園になってしまった。
昼間でもたいていサラリーマンやら清掃員の方やらおじいちゃんやらが1人2人ベンチに座っているものだが、この時間となると流石に誰もいなかった。

僕の通った小学校。
夜だから仕方ないけど、誰もいない校庭は見ていて寂しいものがあった。
職員室の窓なんかは結構遅い時間まであかりがついていることも多いけど、その日は既に真っ暗で静まり返っていた。
それに比べてコンビニ。
こちらは当然ながらしっかり開いている。
ギンギンに光り輝いている。うーん、見事である。
ちょっとうざいな。

友達の家の前にきた。
あかりがまだ付いている。
表札が暖色に光っているタイプの家だったが、その暖色がやけに温かみのあるものに感じた。
母曰く離乳食教室がきっかけだったらしい。家族ぐるみで生まれたばかりのころから仲良くしている幼馴染だ。性格はそんなに合わないが趣味は合う。腐れ縁の大切な友達である。
おそらく呼び鈴を鳴らせば泊めてくれるとまではいかずともある程度助けてはくれるだろうが…まあスルー安定だ。だって迷惑かかるし。

商店街。
結構有名な商店街だ。結構有名な商店街である。それはもう結構有名なので結構有名なのだが最近結構有名すぎる節があると思う。地元民としてはちょっとそれはどうなの?という持ち上げ方をされている。
平日だし商店街の中でもはじっこの方なので人通りは少ない。点々とあるオレンジの街灯がまだらに地面を照らしていた。

安くてばかみたいに美味しいラーメン屋さん。
テレビの取材がきたこともある有名店で、昼間には毎日行列ができている。
みんなテレビに紹介された名物料理を食べに来る。
いや、わかるよ、確かに美味いよあれ。めっちゃうまい。
んでもね!!!この店で一番うまいのラーメンだから!!!!
なめんな!!!!地元民全員ラーメン食っとるわ!!!!!
最近はブーム的なのもひと段落して平日ならほとんど並ばずに食べれることも多くなってきた。店内を見渡してもラーメンイーターが多く、地元民のラーメン屋が帰ってきた感がある。
お昼にしか来たことなかったけど、こんな時間でもまだやってるんだな。
しかもしっかりとお客さん並んでるし。
その時のビニール製の軒が暗い路地で明るい店内をぼんやりと覆っている光景が、ふしぎと脳にこびりついている。

ぐるっと回って坂を登って、家の前まで戻って来た。
スマホを見たら40分ぐらい経っていた。
サンダルでずいぶん歩いたから軽い靴擦れが起きている。
このまま帰るのは癪だけど、これ以上歩いても足が痛いのはやだな。
そう思って最初の公園でもうしばらく時間をつぶすことにした。

ブランコに腰を下ろすと絶妙に不安定で、腰を下ろしているというのに安心感がない。いっそのこと全力で漕ぐことにした。
高校生が全力で漕ごうもんならブランコも若干危険な遊具になり下がる。
ぐわんぐわんと漕いでるうちに振れ幅が180度を超え始めた。
うん。楽しい。とてつもなく楽しい。
しばらく漕いで、満足したらそのあとはもんもんと考え事をしながら、そのまま背もたれもない不安定な椅子に腰かけていた。

家を出て1時間半ほどたったころ、そろそろ家族も反省してるだろうと思い、帰宅した。



家の中は静かだった。
リビングの扉を開けると沈黙しきった家族がいた。
重苦しい空気から、家を出た時から状況がほとんど変わっていない事は簡単に察知できた。
誰も、おかえりの一言すらくれなかった。
黙り切っていた。
この1時間半の間、僕がどこにいたかなど、すくなくとも今現在、この人たちにはどうでもよかったのだと感じた。
息子が飯前に家を出て行ってもそれを急ぎで解決することもできないのだと思った。
僕なんか、どうでもいいのだと。そう思った。そう思った。
その日は結局、なにも食べず、一言も会話を交わさず、そのまま自室に行って、寝た。





翌日、僕はいつも通り学校に行った。
その日は午後から雨が降って、まわりを見渡しても傘を持っていない生徒がほとんどだった。
ふと、「ずぶぬれになって帰ったら親に心配してもらえるだろうか」そんな考えが浮かんだ。
折りたたみは用意していたが、その日は傘を差さずに帰ることにした。うわさに聞く雨は実刑ごっこだ。一度やってみたかったのである。


秋雨はやけに冷たかった。
冷たさがまるで自分を嘲笑しているかのように感じた。
予想以上に体温が奪われていく。
急に悔しさと悲しさがこみあげてきた。
なぜ、自分が雨に打たれなければならないのか。
なぜ、家族からこんな仕打ちを受けなければいけないのか。
なぜ、なぜ、なぜが止まらなくなった。
異様に自分がみじめに思えてきて、結局カバンを頭の上に掲げて駅まで走って帰った。

なぜ、かっこよく楽しく実刑ごっこをすることすら許されないのか。
Sohbanaは実刑を受けた。その時のSohbanaさんもこんなにみじめな気分だったのだろうか。だとしたらSohbanaさんが耐えられて僕が耐えられないのはなぜなのだろうか。こんなところで僕はなにをやっているのだろうか。
涙があふれてきた。止まらなくなった。
ちゃんと雨に打たれていれば雨は涙を隠してくれただろうが、カバンで守られた僕の顔に天滴が落ちることは無かった。

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