ハリウッドの音楽学校で挫折した理由
はじめに
SNSで、敬愛する作家先生の発言に感銘を受け、コメント差し上げた所、興味を持って頂き感激している。
遅筆ゆえ、取り急ぎ箇条書きで自分なりに考察し、お返事差し上げたものの、誤解を与えた懸念がある。なので、先生が「そこが知りたい」と仰る視点からエッセイを書いてみたい。(先生の御名前は伏せ、頂いたコメントは私なりに意訳します)
「誰によって」挫折したんだろう
こうした鋭い問いかけは、私にとっても、この挫折を見つめる良い機会となった。
以下、その視点から考えてゆこう。
受け容れられた経験
学校は、MI Hollywoodのボーカル科。大学のように必修と選択科目があり、必修科目でクラスメイトができる。
パフォーマンスという授業では、30名ほどの教室で、クラスメイト&講師の前で歌い、事後に批評をもらう。
エピ1:あえて日本語曲を歌ってみたら、予想以上の反応だった。「日本語は分からないけれど、あなたの表現したい感情はしっかり伝わってきたよ」歌詞のごく細かなニュアンスまで彼女は感じ取ってくれ、こちらが驚いた。
エピ2:講師「君の英語は発音がよくないから下手に聴こえてしまう」に対して。同期「先生、俺、hideが同じ曲の歌詞を何十何百回もテープ巻いて練習してるのを見た、英語圏出身じゃないし大変だろ。彼を心底尊敬してる」と庇ってくれた。
エピ3:講師が「hide、お前はパフォーマーとしては既にプロフェッショナルだ。だがシンガーとしては実力不足だ」と指摘。のち、あまり話したことなかった女子が「こないだのことだけど、あんなの気にしないで。あんたは最高にロックしてるんだから!」と。
エピ4:ライブ授業。課題曲が決まってて、大ステージのある教室で、即興バンドを組む。ガンズの「ジャングル」を狂ったように熱唱した翌週、別の授業で知らない生徒が「あの日本人、めちゃロックなステージしてたヤベエやつだぜ!」と講師にコメント。(外国人でも案外シャイで私に直接言わなかったりする)
実際、私は技術面で劣るけど、それ以外の「ロックさ」には自信がある。世界に通じる確信がなかったが、見知らぬ生徒にも評価して頂き、大きな自信となった。
してみると、誰かに否定された記憶がとくに無い。「誰かの言葉による誤解」という印象がどう考えても出てこない。
なら「誰によって挫折したのか」
20年前のことで、当時は発達障害という概念も今のように普及していなかった。私も生きづらさを感じてはいたが、無自覚だった。
私は典型的ガリ勉タイプ。体が小さく、スポーツ苦手な引っ込み思案。愛嬌はあり、友人は居たが、体格等から虐めも受けた。
勉強できる子がクラス委員に推薦されることがある。私がそれをされた時、恥ずかしさのあまり、泣いて拒否した記憶がある。それほど目立つのがイヤだった。たぶん、他人が怖かったからだ。そんな人間だったが、のちにクソ度胸が覚醒し、成人後の留学はその力で実現した。
いろんな見積もりが甘かったと思うが、自分では「予定した1年間で、学校で友達つくってバンド組んで、ライブしまくろう」と考えていた。しかし、留学中も持ち前の引っ込み思案で苦戦した。
誰にも拒絶されてはいないが、私は自分から積極的に人と関われない。先述の友人らは、私からというより、彼らが私の努力を見て、時間を掛けて受け容れてくれた。対照的に、同期の日本人は、私ほど英語が得意でないけど、スポーツマンで、自分から友人をどんどん作っていた。
結論として「私自身」が最大の障壁だったと思う。自尊心が低く、他者に受け容れられても「いえいえそんな立派な者でないですから」と思う癖(へき)があるからだ。
しいて「誤解」というなら、「周りが認めてくれた才能を、私自身が信じてあげられなかった」んだと思う。このことは、帰国後、様々な艱難辛苦(ガンその他、生命の危機)を通してようやく見つけた答えだ。
(以下は心理的考察なので読み飛ばして頂いても)
おまけ(核心?)
背景に、切り離せない課題がある。父親との関係だ。
私の父は貧しい母子家庭出身で、幼少期に親戚をたらい回しにされ、彼自身が被虐待児だ。ゆえに私も父から虐待を受けたと感じている。彼は私の存在を肯定したことがほぼ一度も無い。また酷いASDで、言葉で人を傷つける達人だ。
ギターを弾いて見せたら「下手だなぁ」TVの歌手を見て「あいつはお前より下手だな」等。まぁよく居る昔の頑固オヤジなんだが、私自身も「言葉を真に受ける」タチなので、一種の洗脳状態で、いまだ解除されない。父の否定的な言葉の呪縛が、他者のいかなる肯定的な言葉よりも強いのだ。
人のせいにするつもりはないが、けっこうしんどい経験した感から、人間について勉強した結果、親子関係が個人の成長に影響すると学んだ。それゆえ、正直なところ、私は、ある程度、他者が認めてくれる才能の種を持っていると自覚しつつ、それを受容することが非常に難しい。
父は、「百点満点のテストで満点を取っても120点取れ」というような人だと感じている(言われたことはないが、無言のメッセージとして)それでインディ時代にも、ファンが私たちの楽曲を愛聴し「勇気が出る歌だ」と褒めてくれても、当時、納得できなかった。
20年たってようやく、自作を少し俯瞰的に見ることができ、「ああ、言われてみたら良い作品だ、頑張っていたなあ」と認められるようになった。
あとがき
悪筆で長くなりましたが、このような経緯があります。
最後までお読みいただけたようでしたら、貴重なお時間ありがとうございます。
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