奴隷根性と解放後

ちょっと大袈裟なタイトルかな、と思うけど、わりと適切かもしれないので、書きながらまとめたい。

私は元々システム開発の仕事をしていたが、あまり長続きせず、派遣先を転々としてきた。また数年前にガンが見つかり切除した。そんなこともあって、以降、しばらく定職に就いていない。

近年では「発達障害」という概念もかなり普及したが、私の頃はそういうものが認知されてなかったので、今から振り返るとなかなか大変だった。私は発達障害に該当し、それが原因で「生きづらさ」を持ってしまったようだ。

今は幸い、実家に世話になっており、少ないが固定収入もあるため、慌てて再就職する必要がない。というより、そうしたくても体がついて来なくなってしまった。

私は子供の頃から、運動が苦手だったけど、勉強は得意だった。というか、好奇心が強く、新しいことを知るのが好きだった。小学校までは授業中に先生が言うことをそのまま理解したので、予習復習が必要なかったほどだ。

ところが、中学以降はさすがに情報量が増え、また、自分の興味ない範囲なども出てきた。また、最初の学年試験で好成績だったので、親がよかれと思って家庭教師を付けたり、塾に行かせたりした。そこから人生がおかしくなったようだ。

勉強というのも、好きだからやっていたのであって、イヤな情報を押し込められるべきではない。当時はそれが当たり前だったので気づかなかったが、相当イヤだったのだろう、定期試験のたびに腹痛を起こすようになった。

人格も変わってしまったように思う。以前は、わりとお茶目なところがあった私だが、今でいう「中二病」になり、周りを見下すようになった。幸い、少ない友人は居たけど、クラスではかなり浮いていただろう。

中学を分岐点に、だいぶ暗くなった。そして、進学校と呼ばれる高校へ入ることができた。変人と思われながらも、やはり友人は多少居て、その点は助かった。

ただ、学業については、周りのレベルが高いのでそれまでより一気に下がった。お山の大将だったわけだ。自分はそこそこ上だという認識から、そう大したことがないと分かると、意欲も落ちた気がする。

大学に入ってからが問題だった。そしてここからが本稿の主題だ。

というのは、高校まではクラス制度があり、授業も「時間割」というものがある。ところが大学は、時間割などをある程度、自分で選択しなければならない。参加する講義によるが、高校までと違って大人数だったり、関わる人もばらつく。

私は、大学以前は、準備された状況に適応してきただけだ。時間割があり、40名くらいの定まったクラスメートが居る。固定授業なので、自分で考えなくていいし、いつも顔を合わせるため、友人も自然にできやすい。

「奴隷」と書いたのは、被害者意識があるからだ。うちの両親は双方とも中卒なので、「学がなくて苦労した」ということを、ずっと聞かされて育った。

中年になった今、そういう両親が必死に働いて持ち家まで入手したので、そのことを素直に立派だと思っている。反面、「自分で判断の付かない子供時代」に、無意識に彼らから刷り込まれたものが重圧すぎたと感じる。

(※ 念のため書いておくと、私に学歴差別意識は無いつもりだ。ただ、自分は親によって大学教育まで受けさせてもらった結果、それなりに見識が付いたり、選択の幅が広がったので、教育の有無は人生に大きく影響すると考えている)

奴隷、と言っているのは、親が過保護かつ、私から見て、半強制的だったと感じるからだ。彼らはそうだと認識できていないが、私はほとんど彼らの言いなりで学校などを決めている。

最終的な決定権は自分にあったものの、無言の重圧みたいなものを常に感じてきた。今の私から見るに、反抗期などが無い、素直すぎた私に対し、親からの圧力は不平等なものだと思う。

というのは、たとえば高校の時、すでに私は「自分はどうも他の生徒たちと違う、何か分かりあえない」と感じていた。そこで、生きているのがイヤで、自殺行為を初めて行った。死にたかったのだ。

度胸がなかったので、残念なことに、そのとき、大したことをせず、生き残ってしまった。まあ親なら自然かと思うが、心配されたし、止められた。今も半分くらいはそうなのだが、「死なないこと」を親に半強制されてるような感がある。

高校以降、私は基本的に人生を幸福なものだと感じていない。昼間たまたまWebで見たコメントに「お前はなぜ結婚しないのか?と親に問われたが、もっとも身近な結婚=両親=が不幸だからだ」という辛辣なものがあった。全く同感だ。

うちの両親も、どう控えめに見ても幸福な関係だとは思い難い。まあ彼らなりに、なんとかやり過ごしているにはいるが、正常な関係とは思えない。

…話を広げすぎて、畳むのが難しくなってしまった。

就職について、私は、幼少からゲームやプログラミングが好きで、得意だったので、それを職業に選んだ。

これは強制されたわけではないが、特に選択肢が他に無かったからで、親にもう少し見識があれば、こんなものを選ばなかったろう。親の「せい」にはしたくないのだが、後に、業界そのものが心身に悪いと痛感したので責任転嫁したくもなる。

読者がどう思うか分からないが、私が思っている自己分析みたいなものを書いておこう。

幸い、好奇心が強く、のちに「自力で」人間や障害・病気についてかなり学んだので、何となく、このように分析している。不仲な家庭で育った人間は一般的に、自尊心が低く、それゆえ人間嫌いにもなりやすい。ストレスにも弱くなる。

このあたりは、病気仲間や匿名Webその他、多くの人を観察したり生育などを見聞きしても、一般的にそうだと思うので、それほど間違いと思えない。

うちの両親は「私のため」と思って、彼らなりにできることはしてくれた。その部分に感謝していると同時に、残念ながら、その方向性が、あまり良いものではなかったように考える。

回りくどくなったので、整頓してみる。私は、自分で自分の方向性を決定できるような主体性が育つ前に、親が過度に干渉し、彼らなりには私に選択肢を与えた「つもり」だが、ほとんどこちらに選択の自由は無かった。

「レールを敷かれた」と感じているし、分岐点においても「こちらに行かなくてはならない」と暗示されていたようなものだ。彼らの言い分では、私が「勝手にそうなった」そうだが、私からは、そう「された」ように感じる。

そういえば高校時代、生きるのがしんどくて登校拒否した時には殴られたっけ。

誰が悪いわけでもないのだが、うまく行ってないため、どうしても被害的に書いてしまう。私側の視点からは、自由を与える、と言われながらも奴隷のように人生を支配されていた感覚があるわけだ。

ことさら「大学受験」というのが、親にとっても、私にとっても「それなりのところへ入る」という目標になっていた。

以降、なんというか、親が「大学」という概念をそもそも知らないというのもあり、当面の目標も達成したことも重なってか、ある程度、奴隷状態ではなくなったように思う。

というのは、時間割などを親も把握しておらず、私が講義をサボったとしても、分からないことがある。あと、この頃にはすっかり勉強の習慣がなくなり、卒業時は単位ギリギリだったり、かなり落ちぶれた。

困ったのは、奴隷状態から「解放」された後、つまり大学以降だ。それまで、ほとんど「主体性」を育てることができずに生きてきた私が、唐突にいろんなことを自分で決めたり選んだりしなくてはならない。

これは「糾弾」ではなく「分析」なのだが、それまで決まったレール・枠組み、があったものが、急に「どこへ行ってもいい」と言われても困るのだ。

寝・起・食事等の時間帯が大学以降バラバラになった。ので健康全体もおかしくなったと思う。

就職後は、また、ある程度、決められた枠組みで動くようになったものの、こんどは、就職先が悪かったのか、理不尽なことが多すぎた。極論だが、1000人集めるから3日で百階建てのビルを建ててくれ。みたいな要求が平然とある場所だった。

これには正直、面食らったのだが、私が思っていたより、世の中は「きちんとしていなかった」のを知った。正社員で入った最初の会社の上司が、正直、自分より賢いと思えない。先に書いたような「できないこと」を引き受けたりする。

そこを1年半くらいで退職し、以降、派遣社員として転々とするも、だいたい同じようなものだった。当時は発達障害という概念も知らず、どこへ行っても長くて1年くらいしかもたなくなった。つまり原因は私にあった。

私が「こう」なので、仕事が長続きしないし、心身の健康を維持することが難しい。これ以降の細々としたことを書くと情報量が多すぎるので、そろそろ文章を締めたい。

大卒後20数年になるが、そんなわけで就労できない体になってしまった。いちおう、世間体など考えると再就職できたら…と思うものの、どうしたわけか、あれほど好きだったプログラミングを考えると気分が悪くなるようになった。

つい数年前まで、特に障害や病気に無理解な父親には、怠け者だと誤解され責められるので、何度か命のやりとりをする羽目になった。いちおう書いておくと、私は「他人と一切関わらないのであれば」労働という行為は非常に好きだ。

掃除にせよ、肉体作業にせよ、頭脳労働にせよ、それら自体は好ましい。ただ、社会では、決まった時間に決まった場所に行くとか、理不尽を課せられたりとか、不快な人物に命令されるとか、そういうことがあるのでそれがイヤなだけだ。

で、今は父親も老齢になって、私を諦めたのであろう、さすがに干渉してこなくなった。私にとっては「幸い」にして、ガンになったこともあり、それを言い訳にしやすいので助かる。というか事実、体力上限が最盛期の半分くらいになっている。

余計なことばかり書いてしまったけど、「いま」困っていることはこれだ。

いろいろあって(ありすぎて)「自分の」人生を歩むことが何十年もできていなかった。いわば奴隷かのように生きてきた気がする。そして、就業による精神発病、さらにガンという肉体発病を経て、ある意味「何をしてもいい自由」(何もしなくてもいい)な状態に解放された。

しかし、奴隷としての生き方が身に染みてしまいすぎて、今度は何をめどに生きたらよいか分からない。というのが現状だ。それこそ、寝起きも食事メチャクチャだし、健康で在りたいとも思えない。

圧し殺しているものの、腹の底では自分の死を常に願っており、それに従うと基本的には「苦しくなるだけ」と悟っているので、なるべくそれと戦う必要がある。

といった具合。してみると、本当の意味では解放されていないのかな。

もっとも、私はイエスを信じるキリスト者なので、死んだ後は完全に解放される。

今回はずいぶん固っ苦しい文章になってしまった。ユーモアが欲しいところだ。

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