近況報告1〜叔父が亡くなりました

フォロワさんはお久しぶりです。そうでない方、はじめまして。獅子さんです。

noteにはログインするのも久しぶりなので、きちんと書けるかな。まあ書いてみます。今年は年明けからけっこう大変でした。ここから「ですます調」はやめます。

もともと発達障害と季節性の躁鬱(正式な診断が降りてないので「らしきもの」)があり、年末年始から不調で、どうも何も手に付かず調子が不安定だった。年が明けて時間を持て余しており、年末来、体の具合の悪い叔父を訪問しなきゃと思っていた。

この叔父は、母の弟なのだが、糖尿ベースで血液のガンなど併発してしまい、全身の調子が悪かった。私と違い身体の病気だ。毎月、抗がん治療を受けていた。が、11月の治療後には肺に陰があるといって入院、12月には治療後に病院受付で意識を失ったりで、都度、われわれが呼び出されていた。

家族を持たぬ叔父は、気難しくもあったのだが、私と従兄弟は幼い頃から毎冬にスキーに連れてってもらったり、ずいぶん大事にしてもらっていた。近年では、無職になり、こまめな私が、パソコンの事とか車とか、スマホの事などで、ちょくちょく手伝いに行っていたのもあり、入院などについてもウチに連絡が来ていた。

本人が面倒がって自分で動ける頃は自分であれこれしていたのだが、入院とか手術となると、親族の同意が必要なので、母が名前を書いたり、私が動けない時は母が送迎するなど、もっぱら私と母が世話していた。母は5人姉弟で叔父はちょうど真ん中だが、他の親戚は仕事があったり、叔父と疎遠であった。

で、年末あたりに叔父がやたら不調で、スマホを誤操作したり、変な連絡があった。あと昨年は転んで家のガラスを割ったとか、ウチの父母と私が出ていって直したりもした。

本人は人に頼み事をするのが苦手で(気後れもあったのだろう)自分からめったに連絡してこないので、私から何かの用事で連絡すると「そういえば」みたいな感じで事故を知ることもあり「もう年寄りなんだから何かあったら心配だからきちんと言ってよ」と声をかけていた。

それで、年末の通院時には、病院から息せき切った感じで、母に「弟さんが大変です」という電話が来たので私は「いよいよか(命が危ない)」と思って母と駆けつけた。その時は事なきを得たが、「次くらい不味いのではないか」と予感していた。

私はわりと人や動物(ペット)などの生命の終わりをなんとなく「察する」ところがあり、自分の先代の猫だとか、身内、友人の祖父など、いわゆる「虫の知らせ」みたいなものを実際、予見したことがある。

そんなわけで、年末か年明けには、もう一度くらい、叔父に連絡するか訪問しなくては。と思っていたところだった。

年末だったと思うが、ちょうど私がどこかに出かけるタイミングでその叔父から電話があり、スマホ(その前に叔父がロックしてしまい、暗証番号をデタラメに設定したので動かせなくなって、私が初期化復旧していた)の使い方で電話してきた。

クリスマス前くらいに、誰にもわからない暗証番号を設定したため、ショップでも対応できない、ということで、やむなく数時間かけて初期化し、電話帳を復旧したり、数時間かかって、当時も体調不良だった私はしんどい思いをした。

その時、「ついで」とばかり、叔父は、スマホ決済(キャッシュレス)をしたい。と言ってたのだが、その場ですぐ登録ができず、数日後に別の設定が必要だった。そのことで電話してきたのだが、私は本当に家から出てどこかに向かうタイミングだったので慌てており「忙しいから今度にしてくれ!」と雑に電話を切ったのだ。

事実上、それが最後の会話となってしまった。

むろん、年末か、年明けになるべく早く、またこちらが出向いてスマホの設定をしに行こうと思っていた。が、先に書いたように自身の体調もかなり悪かった。あと年末年始ごろ異常に寒く、難儀していた。

年明けて少し経った頃、私は叔父の住む方面に遊びに行く用ができ、その「帰りに」叔父宅に立ち寄ろうと思った。それで車でそちらに出かけたのだが、車中で両親から着信があり、「病院からの電話で叔父がまた何かあったらしい」と言われた。

どうも妙で、いつものかかりつけ病院ではなく、別の病院名を言っている。出先だし運転中で混乱したので、まずかかりつけに電話すると「居ない」という。それでやむなく119に掛けて「こういう経緯で親戚がどこかに居るようだが救急通報はなかったか」と聞くがわからない。(父母が病院名をはっきり認識できてなく、普段と違う病院だったのもあり、連絡がうまくつかなかった)

最終的には、最初に聞いた病院に居るということがわかり、また、別々の場所に外出していた父母それぞれと、バラバラに合流し、その病院に向かった。

病院の駐車場にパトカーが止まっていて「珍しい、何かあったかな」と思った。救急の待合に行くと、そこに警察官が居るので、他人事と思って「なんだ物騒だな」とか考えていた。で、誰々の身内だと名乗って待合で待ったが、看護婦に「叔父は生きてるんですか」とストレートに尋ねたが意図的にスルーされた。

結論から言うと、救急通報時に叔父は既に、出先のスーパー銭湯で亡くなっており、救急車の到着時点でも蘇生しなかったようだ。警察が来ていたのは、他人ではなく、叔父のためで、事件性などを視野に検死が行われるからだった。看護婦は、死亡確定を安易に告げられないので濁したようだ。

ただ、われわれ到着からしばらく待たされ(小1時間前後か?)ようやく「親族の方、どうぞ」と警察官に伴われて奥の部屋に通された。「顔を確認してください」といわれ、たしかに叔父であった。比較的、穏やかな顔をしていたのが救いだった。

もともと心臓の血管の1つが機能してない状態だったり、肺も片方が機能していないなど、生きているのがしんどいくらい病気の体になっていたので、寒いその日、温泉に浸かって、そのままポックリ、といった具合だったようだ。いけなかったのが、いつもの抗がん剤の治療の帰り道に温泉に寄ったことだ。

年末の様子から、その薬が体にキツいものと見えて、投薬直後は体調が崩れる。前回失神したくらいなので、湯船でそのまま失神してしまったのかもしれない。少なくとも苦しそうな顔をしてないので、意識不明のまま窒息したのだろうか。

…こういう話は珍しいかもしれないので書いておくと。

先に「事件性」と述べたが、どうやら単身者が変死すると、こういう形で検死などのプロセスを踏まなければならないらしい。それほど多くはないのだが、叔父は独身で、健康な時はきちんと働いていたので、資産がある。警察としては、それ目当ての殺人とか、銭湯でのトラブルといった件を調べる必要があるらしかった。

そこで、病院だけでなく、警察からの検死の専門家などが来て、遺体の検証だとか、また、自宅を荒らされていないか、あるいは、これは私が同伴したが、スーパー銭湯の駐車場で、叔父の車の現場検証(荒らされてないか)などを行うようだ。

大変だったのは、午後に病院に呼ばれ、夕方くらいまで死亡確認、警察にかなり待たされ、別々の警察官に同じことを何度も聞かれ(彼らは情報共有が下手だと思う)その日のうちに、上の現場検証に行っている。自動車は私、自宅は母が行ったが、母は家の隅々まで見せることとなりかなりしんどかったそうだ。

さらに、急死であるものの、病院は、検死が終わった遺体を預かってはくれない。その日のうちに葬儀場を決めなくてはならない。これがまた至難の業で、私はスマホを2台、持ち歩いていて本当によかったと思うが、バタバタ検索したり録音したりしつつ、葬儀場を探して最終的に決定できた。

葬儀場については、故人の生前に何か聞いていたらいいんだが(叔父に対しては、そろそろ生命が危ないと私も母も思ってた矢先で、遺産分割だとか、死後のことを聞きたかったけれど、死を恐れている様子だったので聞きづらくて結果こうなった)それも聞けずじまい。

そこで母や叔母が相談し、まあ宗教心のあつい人ではないので、最低限でいいんじゃないか、ということで、私が検索していちばん安いような斎場に決めた。へんな話だが故人がそれなりに遺産を持っていてよかった(親戚それぞれ、あまりお金がないので、本人のお金から出したのだが、なければ大変だったろう)

繰り返しになるが、本当は、叔父の生前に、そういった話(財産分与も含めて葬儀とか、いわゆる終活みたいなこと)をしておくべきだった。じつに、それをしようとしていた日に亡くなってしまったわけだが。

…近況を書こうとして、まず叔父の件は飛ばせないと思ったら、それだけで1本分になったので、近況パート1としてまとめることとなった。

この後、もともと叔父の身の回りの世話をしていた私が、「やることが無いより良い」と思い、叔父に関する死後のいろんな手続き(法的なもの、財産管理、役所の手続き等)をすることになった。というか名乗り出た。

のだが、ちょっと躁状態になってしまい、結果、キャパオーバーというのか、調子を崩して私も大変なことになる。のだが、そのことは長くなるので、近況パート2として別のエッセイにさせて頂く。

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