キン牛って何だ!?―FGO第一部七章・配信4周年記念特集
皆さん2020年12月とは、どういう月かご存知でしょうか?
FGO第二部五章「神代巨神海洋アトランティス」配信1周年の月? そのとおり。ということはつまり、第一部七章「絶対魔獣戦線バビロニア」配信4周年の月ですね。
奇しくもアニメ版の第8話が、19年11月末の放送なので、ぼくの大好きなシーンが放送されてから、およそ1周年ほどということにもなります。
そのためこの記事ではそれを記念し、ぼくの一番の推しカプ「キン牛」(キングゥ×牛若丸)について、改めて記事を書いてみようと思います。
前にまとめてたモーメントが、アニメ版より前の古いまとめになっていますからね。この記事を読んでくださった方々が、このカプを構成する両名の関係に、興味を持っていただけたら幸いです。
1.事の起こり~キン牛の馴れ初めって?
そもそもバビロニアにおいて、このカプがどんな描写をされたのかから振り返りましょう。
七章のバビロニア特異点において、日本出身の英霊・牛若丸は、この特異点を修復し平和をもたらすために召喚されました。そんな彼女が戦いに敗北し、侵略を仕掛けてきた魔獣の軍勢にさらわれるという展開があるのですが、この軍勢を率いていたのが、神の息子を名乗るキングゥです。
キングゥは彼女を、配下の魔獣を生み出すために利用しようとするのですが、「外道を気取って人を苗床にする割に、子供は可愛いから逃がすんだな」という意図の挑発を牛若丸から受けると、返す言葉も出ず押し黙ってしまいます。
もっともこの挑発によって、自身を「人間を超越した神の息子・完全な存在」と見なしているというプライドを傷つけられたキングゥは、牛若丸により強い屈辱を与えるべく、彼女自身を洗脳改造することになるのですが……
以上、終わりです。
映像にすると3分間で終わる短いシーンです。把握が楽で助かりますね。悔しくはないぞ。
この両者の邂逅は、洗脳改造後の絡みや報復なども特になく、これだけで終わってしまうのですが、実はのちのちのことを考えると、大事な前フリだったのではないかと思える場面でもあります。
本作における牛若丸は、
「兄上・源頼朝を支えたいということ以外には、私心もなかったしそもそも興味もなかった」
「それだけの理由で平氏の郎党を、次々と皆殺しにしていく姿が頼朝には理解できず、官位を得たことをきっかけとして排除されてしまった」
というキャラクターとして登場しています。
そしてキングゥはこの場面の後に、
「自分の母・ティアマトが目指す新世界を、自らの手で実現することだけが存在意義」
「それ以外には何も要らないと公言してはばからなかったが、ティアマトに用済みと見なされ排除されてしまい、結果孤立することになった」
という顛末を辿ります。
言うなればキングゥの辿った展開は、生前に牛若丸が辿ったそれと、全く同じだったということになりますね。
もしもキングゥが牛若丸との対話を拒絶せず、もう少し耳を傾けていれば、何かの拍子から「後ろには気をつけておけよ」と皮肉られることもあったかもしれない。そうすれば裏切りと破滅の未来を、回避できたのかもしれない……
そうなると、特にその後に続かなかった両者の関係も、実はキングゥの末路を暗示した死亡フラグだったのでは?、と受け取ることができますね(個人の感想です)。
2.アニメ版のキン牛~赤井監督の演出がすごい!
さて、続いて振り返りたいのがTVアニメ版です。
前述した通り、この両者の関係は、それ以降ろくに掘り下げられることがないので、映像尺が30分×20話弱に限られているアニメ版では、どうなるかというのが非常に気がかりでした。
もしやカットされるのでは? そんな風に怯えていたぼくでしたが、その予想は大きく覆されることになります。
アニメ版監督の赤井俊文氏は、キングゥの描写に並々ならぬ執念を燃やしていたのです。
なんと本シーンは大方の予想を裏切り、ほぼフル尺で再現されます(わずか3分でしたが)。
表現媒体の違いなどから、ゲームとは表現や言い回しも異なるものにはなりましたが、そこで発揮されるのが、この回のコンテを自ら担当された、赤井監督の演出センスです。
「腹を破り、内臓をこぼした」というゲームの解説ままにはならなかったキングゥの刺突ですが、なんといたぶるようにして牛若丸の腹をえぐる!
言い回しの違いから、牛若丸の挑発にも困った様子までは見せなかったキングゥですが、なんと拘束を解き地べたに転がした牛若丸を踏みつける!
そしてここで飛び出したのは、ゲームでは恒例になりながらも、この場面まで温存されていた、キングゥ独自の「悪い笑顔」の表情!
自身の完全性を嘲笑った相手への、「こいつだけは絶対に許さない」という怒りが、映像表現で存分に魅せつけられていたのです!
これは長らくあのシーンを見ていて、何度か二次創作で書いていた自分でも、全く思いつかなかった魅せ方でした。
それほどに「牛若丸に怒るキングゥ」の人間味と危うさを、赤井監督が丁寧に読み込み、大事なシーンとして表現してくださったということでしょう(この場面の他にも、アニメではキングゥの心理描写として、えげつないほどに強烈なものがいくつも挿入されています)。
全編通して見ても、こいつが一番憎かった……と言わんばかりの視線を、キングゥが牛若丸に向けてくれたのも嬉しかったですね。それだけ感情を動かされたというわけですから。
ここに関してはもう放送当時、推しの映像化で手が震え涙がこぼれたという感覚を、初めて味わうことになりました。
3年間待ち続けた映像化。そしてそれが日本全国に、超クオリティで届けられる。嬉しかったね。
そしてここまでの解釈をぶつけられたら、「俺はここまでの発想はできなかった」という驚きもすごかったです。完敗でした。すごいわ、赤井監督。
3.きのこの過去作から紐解くキン牛~プレイバック・Heaven's Feel
これはバビロニアそのものにも適応できる話なのですが、この両者の邂逅が何だったのか?ということを考えるにあたり、担当ライター・奈須きのこ氏の過去作を振り返ってみましょう。
聖杯の泥と同類の存在と定義される、生命の海ケイオスタイド。これを自らの権能として操るティアマトは、Fateシリーズの元祖「Fate/stay night」に登場するキャラクター・間桐桜の影響を強く受けています。
そしてティアマトの親族として登場し、桜のサーヴァントと同一存在であるアヴェンジャー・ゴルゴーンとも関係を持つキングゥは、桜の義兄・間桐慎二を彷彿とさせる要素をいくつも持っています。
この桜の内情と、間桐家の真実が開示されるルートが、彼女のルート「Heaven's Feel」なのですが(ティアマトのデザイン元となった姿も、ここで登場します)、ここで描かれた人間模様が、キングゥにとっての牛若丸とは何だったのか?というのを、紐解く鍵になっていたと気付いた時には驚きました。
自分は劇場版で初めてHFに触れたので、劇場版独自のシーンも含まれているかもしれませんが、そこに関してはご了承ください。
ルートの途中、桜が人を襲う存在になってしまったことを知った主人公・衛宮士郎は、それまでの自分の正義を曲げてでも、桜を保護して守ることを決意します。
これに異議を唱えたのは、ある理由により士郎の未来を知っている(最大限ネタバレに配慮した表現)、アーチャーのサーヴァントです。
アーチャーは「ここで桜を助けるようなら、全てを失うことになるぞ」と指摘。この場面が運命の転換点であることを示唆します。
キングゥが辿る未来を先んじて体験している牛若丸が、彼の死亡フラグとして転換点に立っていたということは、この場でのアーチャーの姿を彷彿とさせますね。
(もっとも、キングゥは士郎ではなく慎二寄りの子だったので、信念から牛若丸を振り切るのではなく、耳が痛かったから背けたわけですが……)
更に興味深かったのは、最終盤で士郎と対決する、黒幕・言峰綺礼の存在です。
士郎と言峰は境遇こそ違えど、「自分のような存在は許されてはいけない」という、自己嫌悪で共通していたキャラクターでした。
士郎は自己犠牲的な善行に走り、自分を使い潰すような人生に向かおうとしていましたが、一方で彼にはまだ普通の人間にとして、真っ当に生きていける余地がありました。
自分のような存在の意義を、悪行を犯してでも確かめようとした言峰にとっては、嫉妬にも似たものを抱かせる相手です。故に言峰は同族嫌悪により、士郎との決着をつける戦いに臨みます。
一方で士郎はそんな彼の姿に、どこか穏やかな笑顔で、理解と同情を抱いてしまうわけですが。
この、本来理解し慰め合えるはずだった相手が、最もいがみ合うべき相手になってしまったという関係性が、FGO七章より10年以上も前に描かれていたというのは、ぼくにとっては衝撃でした。
ここまで書いてきたように、キングゥと牛若丸がそういう関係だったんじゃないかと思っていたものが、この時点で既に描かれていたのです。
しかも七章のセルフオマージュ元と思われるHFルートで、この関係が描かれていたということには、ちょっと運命を感じずにはいられませんでしたね。
七章のキャラクター達の中でも数少ない、キングゥと全く同じ境遇を辿ったことがある存在の牛若丸。そしてその行いの何が悪かったがために破滅したのかというのを、ある程度察していた牛若丸。
ある意味で彼の心理を、最も察して寄り添えるはずの存在だった彼女ですが、しかし牛若丸もキングゥも、お互い相手に最も屈辱的な体験を味わわせてしまった。
士郎と言峰の場合は、対決は必至だったという形で描かれていましたが、果たしてこの二人がもう一度出会ったら、どんなことが起こるのでしょうね。
ぼくは4年前の配信日から、ずっとその答えを求めて、日々二次創作で妄想にふけっています。
4.終わりに
これが今日までの4年間、ぼくがキン牛というカプについて、考えてきたことと抱いてきた想いのほとんど全てです。
この二人が再会した時に何を思うのか? 憎しみ合うのか? その末に分かり合えるのか?
分かり合ったら面白いんじゃないかなぁ~と思って、時に通じ合わせたり、時に殺し合わせたりしながら、かれこれ7冊の同人誌を出すまでに至りました。
基本的に文章書きなんですが、供給がないからと無理くり絵も描いてきた結果、この記事にも大量に挿絵を入れられるようになってたわけですよ。ええ。
キングゥといえば、英雄王ギルガメッシュとの関係が有名です。
自身とは何もかも違う境遇に生まれたギルガメッシュとは、彼らは最後まで完全にはお互いを理解しきることができませんでした。しかしなればこそ、キングゥとは全く異なる視点を持つギルガメッシュは、独りでは決して辿り着けなかった世界にまで、彼を導く存在となり得ました。この二人の出会いは間違いなく、「運命」の出会いであったと言えるでしょう。
しかしその一方で、彼とは全く逆の存在でありながらも、大きな「運命」を持つ可能性があると思っているのが、この記事で書いてきた牛若丸なのです。
ギルガメッシュとは逆に、キングゥに最も寄り添えるような視点を持っていたかもしれない牛若丸。
しかしキングゥとギルガメッシュの対立が、アニメで「できるなら訪れてほしくなかった、悲劇の戦い」として描かれていた反面、キングゥと牛若丸の対立は、「こいつだけは倒さずにいられない、仇敵との対峙」として描かれえていました。
そんな二人だからこそ、あるいは彼らの間にしか見えない何かが見えてくるかもしれない。そう考えると面白くないですか? 将来再会した時のことが、楽しくなってきませんか?
この記事がきっかけで、キン牛に興味を持ってくださる方が増えてくれたら、ぼくはとても嬉しいです。
欲しいものがいっぱいあります。ぼくに描けないファンアート。ぼくとは異なる解釈から書かれた小説。ぼく以外の誰かが書いて、世に産み落とされる同人誌。
このカプで創作することの面白さは、4年間ここから抜け出せなかったぼくが保障します。だからみんなもよかったら、試しに一度手を出してみてね。
なお、くれぐれも言っておきますが、ここに書かれているのは全て個人の感想です!
この記事の内容が全部間違っていて、公式が全然違う形で両者を掘り下げてきても、俺は一切責任取れないからな! ホント頼むなそこんところは!
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