オリンピックの審判
お疲れ様です、志士です。
今回も読んで頂きありがとうございます。最後まで読んで頂けると嬉しいです。
今回は「オリンピックの審判」という内容で書いていきます。
はいそれでは早速書いていきますね。
オリンピックで現在も競技が行われています。
その中でXで出てきたのが、柔道の誤審の問題です。
私が見たのは、技あり以上の判定であるはずなのに、その判定がしっかりなされてないと言う内容でした。
アジア人が金を取るのが許さないのか?今だに差別があるなど、色々なコメントが書かれていました。
私は考えるとこは、審判がしっかり審判の務めがなされているのか?と感じました。
まず、スポーツの世界はしっかりとしたルールがあり行われているので、何をやってもいいと言うわけにはならないです。
そのルールを壊してしまえば何をしてもいいということになります。
それを容認、ましてや自分のエゴや偏見で勝敗を決めてしまえば、スポーツのあり方が変わってしまい、もはや競技では無くなってしまいます。
平和の祭典であるオリンピックがそれをしてしまえば平和どころの話では無いはずです。
その平和を自ら壊しに掛かる審判が私は信じられないのですが…
これはオリンピックを見ている第3者の私たちが、何が正しくて、何が正しく無いのかを確認し、また日本の正しさが世界を牽引するような世界を作れるのではないかと感じました。
それを作る為には、自分たちの意識が変わることだと思っています。
個人が変われば 周りの影響力に慣れる 周りが変われは地域が変わり地域が変われば社会が変わり、社会が変われば日本が変わると思っています。
はいと言うことで今回は終わろうと思います。
この内容がよかったら「スキ」もしくはコメントを頂けらたら幸いです。
それでは、志士でした。