風が砂を運ぶ町。秋田県能代市で「バスケ獅子舞」を制作して、土地と対話した
港の風は凄まじい。風力発電として人間のエネルギーに転換される一方で、大量の飛砂を運ぶので人間の生活を脅かすこともある。風を感じながら、この土地について考えてみたい。
今回の獅子の歯ブラシの滞在先は、秋田県能代市だ。2023年2月26日から3月4日までの1週間、この町に滞在した。獅子舞が生息するとしたら、どのような姿をしており、どこを舞い歩くのか?
その過程の中で、土地に潜む厄の存在と向き合いながらも、空間や時間の余白、他人への寛容さなどを探りたい。果たして、能代市は獅子舞(獅子の歯ブラシの制作物は「シシ」が呼称)にとって住みやすい町なのか?メンバーの稲村の視点から、実際に制作を行い、舞い歩いた様子を振り返る。
秋田県能代市を訪れたきっかけ
今までのシシの演舞を振り返れば、まだ冬の雪のある環境で実施した経験はない。2月、寒い季節に雪の多い秋田県でシシを作ってみたら、どのような形態が生まれるだろうか?ということに興味が湧いた。メンバーの一員である船山さんが持っている空き家もあり、滞在コストが安く済ませられるということで、秋田県能代市での滞在が決まった。
結果的には、当初想定していたような雪は実際には見られなかったが、今まで作ったことのない港を起点とした、風をテーマにしたシシの制作ができた。
能代市の特徴
秋田県北部に位置し、日本海に面した人口約5万人の市。産業としては林業や漁業が有名であり、有名なバスケットボール選手が多数輩出されていることから「バスケの街」としても知られる。
能代の中心市街地は、海風に飛ばされる砂によって、昔から苦しめられてきた。それを防ぐため、江戸時代以降に植樹されてきた松は700万本、東京ドーム163個分の面積を誇り、「風の松原」と呼ばれている。この規模は日本各地の松原の中では、最大と言われる。
能代市の滞在開始!リサーチの実施
2月26日夕方に能代駅に到着、まずは土地を知るために、さまざまなリサーチを実施した。その一部を振り返る。
バスケットボールについて学んだ
「能代バスケミュージアム」を訪問。バスケ漫画がたくさん置いてあり、印象的だったのは、ブラック・ジャックの話。あるバスケ選手が複雑な身体特性を持ち、試合中は床に向けてボールを突くよりも、飛ぶという意識ばかりが先行するという。一度怪我すれば、その身体性は回復できない。そう思われたが、身体を培養によって作り出し、選手の怪我を治癒させる話だ。バスケ選手の身体性は興味深いと思い、田臥勇太選手などの動画を見ながら、その動きの観察も行なった。この身体性は獅子舞に応用できそうな感覚を得た。(2月26日、3月3日)
獅子頭を見に登山
能代市の山間部、二ツ井では雪道を25分登り、岩の内部に彫られた獅子頭(権現様)を見に行った。自然物に刻まれた信仰の形は、岩陰ゆえに色褪せない。道中、バスケットボールを持ち歩き、コロコロと転がらせたり、雪にすっぽりとはめてみたりした。バスケットボールボールを雪に押し当てると、お尻の跡のように見えた。この山の付近にある米代川は河口へと続き、この川に沿って材木が運ばれ、港から船に乗せられたことを想起した。(2月27日)
砂を運ぶ風には名前がある
図書館で能代市史を読んでいて思った。やはり今回のテーマは海からの風である。風が砂を運んでくることに悩まされた能代の人々は、巨大な防風林を作り町の暮らしを守った。それとともに、風の動きを読み、漁に出かけていった。つまり、風と向き合う暮らしを営んできたのだ。
例えば、「カワセ」という名前の風は、ずっと時化が続いていたのが、突然無風の状態になる。そして、その後に風が少し吹き、突然強風が音とともにやってくるという意味を持った言葉だ。能代の人々は他にも、主に方位ごとに風の名前をつけており、浜によってもその呼び名が違う。風に対してより感覚を研ぎ澄ませていくことが、能代市のシシづくりに繋がると感じた。(2月28日)
<浅内浜>
キタ 北風
ヤマセ 北東風
ダシ 東風
クダリ 南東風
ミナミ 南風
ヒカタ 南西風
オキカゼ 西風
オキカゼ 西風
アエ 北西風
<能代浜>
ヤマセ 東風
タバ 西風
クダリ 南風
シモカゼ 北風
*日程と訪問場所のおさらい
2月26日
能代バスケミュージアム
2月27日
イオンタウン能代、二ツ井の道の駅・獅子頭登山、宝むらん、能代公園、はまなす展望台、風の松原
2月28日
ラーメン十八番、檜山の茶畑・資料館・納豆、Ken's BAKERY、能代市立図書館
3月1日
能代市内の海岸を散策、キッチンターブル、シシの胴体制作
3月2日
(秋田市内滞在、シシ休み)
3月3日
シシの胴体制作、そば処 乃しろ庵、平山はかり店、能代市バスケミュージアム、シシのコース決め
3月4日
シシの本番
能代市のシシのテーマ
リサーチを通じて、まず能代市の港を拠点として、風と向き合うようなシシを作ろうと考えた。メンバー3人とも、今回の制作は風をテーマとしている。その中で僕はバスケの要素をシシに追加した。
バスケットボールをつく行為は、民俗芸能に見られる反閇(へんばい)の所作や、お相撲さんが四股を踏むのと同じような意味があると直感した。つまり大地に対して踏み込んだり、打ち付けたりする所作は、大地の精霊を鎮める行為であり、獅子舞とも似たある種の厄祓い行為とも言える。
そして僕自身、土地を理解するときに歩くことを大事にしてきた。足裏によって地面に踏み込むことは「土地を記憶すること」と結びついている。バスケットボールをつく行為は、第3の足の存在によって土地を記憶しようという個人的な試みでもある。
シシづくりの様子
それでは今回、どのようなシシを制作したのか、振り返っておきたい。今回、僕が制作&使用したアイテムを紹介しよう。
・バスケットボール
シシの魂の根源であり、大地の鎮魂や、大風防御のための法具として機能するもの。あるいは、玉突き獅子は玉に気を取られる獅子という構図により、平和の象徴を意味する。
・方位磁針
風の厄祓いするために、方位を現代的に認知する道具。
・漁に使う網と綱
捕らわれの身としてのシシ。砂を防ぐことに対して、生死をかけて挑まざるをえない宿命を負った地域住民の使命感を想起。海から流れ着いた漂流物としての網に対して、ウキ付きの紐を編み込んだ。また、蛇のような綱を使用した。
シシの演舞
3月4日、いよいよ獅子の本番だ。午前9時に始まり、午後2時に終わるという5時間の長時間演舞となった。今回のシシはバスケ選手が、海の網を被せられて歩き回り、そして、海に帰っていくという流れを思い浮かべながら実施した。
まずはシシを被り、はまなす展望台の階段を3往復した。これはどこか胎内くぐりにも近い行為だ。2日酔いと疲れから徐々にシシへと自分の体が変化しているように思われた。展望台の来館者ノートに厄と書いて出て行った。その後、港を抜け、風の松原へと進んでいく。
風の松原での木々を薙ぎ倒すように歩行。携帯を無くしたと思って、もう失うものはないという心理状態となる(後ほど車の中で発見)。これがのちに、靴を脱いでの舞い歩きへとつながる。
町中での演舞は基本的に不気味という声。しかし、小学生が騒いでいたのでボールをパスすると、それを投げ返してくれたし、おばあちゃんにボールを差し出すと微笑んでくれた。その他にも電話ボックスに入るとか、禁止看板にボールをぶつけるとかそういう所作を行なった。基本的には空地が多くて舞いやすい一方で、人通りが少なかったこともあり、人の反応を観測する数は少なかった。
最後の岬への直線は途中からトランス状態になった。水門のところで、シシの葬儀への玄関口のような意識が芽生え、靴と靴下を脱いだ。
そして、最後の岬での演舞。
寒すぎたのと足裏が痛いのとで、なかなかスイッチが入らなかった。しかし、海に突き出したコンクリートの上でひと舞いをしてから、シシの胴体である網を海に流すまで、非常に良い集中力が生まれた。
最後、網(胴体)を海に流すシーンでは、頭に網をひっかけながら、漁師が網を引くような所作を取り入れた。その流れで網を海に流した。網をギュッと握り、首を捻るような行為が自分なりにしっくりきた。
昨年の4月に新屋浜のシシの葬儀の時と同じで、なかなか胴体は沖まで流れてはくれなかったので、川と海とが交わるあたりまで引きずって海に流した。シシの被り物を外したことで、ただボールをつくバスケ少年の気持ちに戻っていった。
*
僕がシシの姿で舞い歩いている時、工藤さんは岬で砂を米袋に入れて、能代駅付近まで行って帰ってくるという、砂を運ぶパフォーマンスを展開していた。自分と同じ体重の砂袋を背負い、小さな穴から砂が少しずつ溢れ出ていくような仕掛けを取り入れた。これは自分自身を風に見立てたものであり、風が砂を運ぶ様子を表現しているという。最後のシシの葬儀の時には、シシにバスケットボールを投げられるという絡みがあった。
また、船山さんは木の棒に海岸で拾った漂流物の網を取り付けて、ヒュンヒュンと鳴る楽器を制作した。衣装は漁師や職人が身に纏うような、オーバーオールを着た。最後のシシの葬儀の時に岬付近で、この楽器に加えて笛を吹きながら、稲村のシシとのセッションも行なった。
滞在を通して見えた能代市の特徴
総じて、能代市では獅子舞の生息可能性が高いと感じられた。車にぶつかることもなく道路空間は広い。人混みもないので、空間的には問題なくシシが歩行できた。シシに対してちょっかいを出したり反応したりする人は、小学生以外皆無だったので、その点ではやや寂しさもあったが、これは人の数と関係している気もする。風の存在から暮らしを守るという意味で、祈りの存在があり、商店街を中心とした共同体の存在も体感できた。
滞在を通して見出した手法
今回の舞い歩きを通じて、バスケットボールを地面に打ち付けることで厄を祓うとともに、土地を理解するという手法を見出すことができた。これは道端に見える風景に対して、ツッコミを入れるという感覚にも近い。坂道、雪、でこぼこの未舗装の道、音が反響するトンネル、柔らかい砂浜、どれもボールを打ち付けた感覚が記憶として蘇ってくる。
ボールを打ち付けるということは土地を理解するとともに、感情の吐露でもあった。なぜ風はこんなに強く迫り来るのだろう?道端に存在する禁止看板がやたらと多すぎはしないだろうか?などの疑問とともに、ボールを打ち付けることもあった。つまり、これはシシの厄祓い感覚にも近い。
ボールを打ち付けることは果たしてシシ的な行為なのか。今回のシシづくりでは、メンバーそれぞれが、三者三様のシシを作った。それは獅子舞でもお囃子でもない何かとも言える。獅子舞は想像上の生き物であり、土地によって姿形が変化していくものだ。それぞれの舞い歩きの開始地点が違っても良い。土地に対して素直に向き合った結果として、さまざまなしがらみから解き放たれた現代的なシシを改めて見ることができた。
また、5時間の長時間演舞によって、トランス状態になるにはやはり練り歩きが有効なことがわかった。これは環境によって操られてこそ、土地性を取り込んだ身体に近づけるのではないかという予測のもとで実施された。より直線的な道は無駄な思考が排除されて、トランス状態に近づきやすいようにも思われた。一方で複雑な作りをした港付近は、どこをどう動こうという自意識が先に立つこともあった。
その場その場で、常に最適なパフォーマンスを繰り出せるわけではないから、長時間演舞によって引き出しを増やし、そして最適を探るという感覚は土地の真理に接続するための重要な手法であったように思われる。
(執筆:稲村 行真)