「眠い」の3文字に解決策要求の意図を込めたつもりは皆無
単に眠いから「眠い」とか、単に寒いから「寒い」とつい言ってしまう。
口に出したからと言って急に目が覚めたり気温が上がったりするわけではないのだけれど、表現するとなんとなく安心するのだ。
しかし、「眠い」「寒い」に対して、
👳♂️「睡眠外来行ったら?」
👱♂️「夜早く寝たら?」
🧑「暖房つけたら?」
と言われることがある(やはり男性から、が多い)。
👩「いや、そんなん、必要だと思うならもうやっているんだが?」
👧「別に朝眠いのは当たり前だし、別に困ってはいないのだが?」
🧒「聞いてもいないのになんでわざわざ指示してくるんだ?」
と不思議に思っていた。
しかし、解決思考の強い人からすると、
🙏「眠い(からなんとかしてくれ)」
🙏「寒い(からなんとかしてくれ)」
ということになるらしい。
ひえー!
愚痴に対して「こうすれば?」と解決策を提示したくなるのは、まだわかる。
でも、「眠い」「寒い」「暑い」とかは、愚痴というほどでもなくて、どちらかというと「単なる感想」のつもりだった。
「美味しい」とかと同列なくらいだ。
だから返答としても「そうだねー」か「へー、そうなんだ」くらいのレスポンスを想定しているわけで。
「眠い」「寒い」、たったの3文字に解決策要求の意図が込められていると感じるなんて、改めて驚愕してしまった。
そりゃ、共感志向の人と、解決志向の人で、大いにすれ違うはずだわ。
そういえば
男性は解決脳だから云々、とかよく言うけれども。
かくいう私とて、親戚の「お金がない」を「お金がない(から貸してくれ)」だと思ってきたし、母の「お母さんはかわいそう・大変アピール」を「大変(だからいい思いさせてちょうだい)」と感じてきた。
つまり、私にも解決思考的なところはあるのだ。
しかも、あまりにも長期間言われすぎたのと、内容が重いので負担に感じるようになってしまった。
ということは。
いくら「ただの感想」とか「ぼやき」程度でも、解決できないような内容だと、相手の負担になりうるということなのか……。
となると、できるだけポジティブな言葉だけ発すればいい……のかもしれないが……こちらも人間である以上、自信はない。
毎回「これは単なるぼやきで解決したいわけじゃないんだけど」と頭につけるのもなあ。大事なときはつけるにしても。
結局、ものごとをできるだけいいほうに捉えて、ポジティブそうなことを言っておくのが無難なのかもしれない。
で、ぼやきは共感上手な人同士で、お互いに「わかるー」とやるのがいいんだろうな(あれはすごい癒されるので、私は共感性の高い人、大好きです)。
それかこうしてブログやnoteやメモ帳に書いたりとか。
ともあれ、誰彼構わずうっかりぼやかないようにしようと思う、できるだけ。