見出し画像

ものごとは多面的で全部正解かもしれないのだ

(精神面での)子どもっぽい、とは何か

以前、自分よりも年下の友人が私に対して「やけに子供っぽいと思っていた」とポロリとこぼしたことがある。

確かにそのころの私は、小さな子が好むようなものを身につけたくて仕方がない時期だった。

とくに幼児の頃、自分の好きなものを選ぶということができなかったので、失われた経験を無意識的に取り戻そうとしていたのだと思う(私の母は、娘を上品そうに見せることに命をかけていた)。

とはいえ、持ち物のことだけを言われているのではなく、精神面も含まれているのだということも、なんとなく伝わってきた。

けれど、何をもってして、知人がそのような判断を下したのか、いまいちピンときていなかった。

それから数年してやっと、知人が言いたかったことがわかったような気がする。

私もまた「この人やけに子供っぽいな」というひとに遭遇したからである。
かつての親の姿を思い出す度にも、そう思うようになった。

では、「子供っぽい」とは具体的に何なのか。

過去の私も含め、なんだか子供っぽい印象を受けるひとというのは、「他者の価値観を受け入れるのが苦手」ということだ。
寛容さに欠けるというか。

複雑な多面体の、一面だけを見て、「どうみても三角形だろう」「いや六角形だ」とか思い込んでいる。

「こっちから見ると四角形でもあるよ」なんて言おうものなら、「はあ!? お前どこみてんの? 間違ってる!」とちょっと怒ったりする。
だからハタからみると、異常に自信があるようにも見えたりする。

でも多面体って、本当に見る方向によって形って変わるのよ。
切り方によっても変わるのよ。
で、その見え方全てが、正解(現実)なのよ。

多面体に限らず、物事はなんでもそうなんだと思う。
何が正しいかは、その人によって異なる。
何もかも、違う人間だから。

ただし同時に「こう考えるのが一般的」という共通理解もある。

そのあたりを包括的にわかっているのが「バランスの取れた人」なのだろう。

つまり「(実年齢によらない)大人」って「物事を多面的に見られる」ってことなんじゃないか。

カイゼン

じゃあ子供っぽいと言われた私のような人間はどうしたらいいかというと……
物事を多面的に見てみようと心がけてみることはまず大事そうだ。

あとは、いろんな人が存在するということを、体感的に理解するということも大事なんじゃないか。
つまり、生身の人間と関わるということ。

私自身も人間関係に疲れ、それを狭めてきてしまった側の人間なので、決して気が進むわけではないのだけれど。

ただ、自分自身も含め、親とか親戚とか知人とか「子供っぽい人」に共通しているのは「人間関係が限定的」ということだ。

あえて狭めているというよりは、「自分正しい」成分が強いから、人がなんとなく離れていって、自然と狭まっていってしまっているという感じなのだけど。
わざわざ「お前間違ってる」って言われたい人はいないもんね。

無限ループ

でもこうして、「自分の正しさにこだわるのはよくない」っぽいことを書いている私もまた、「自分の考えは正しい」っぽくなっているわけで。
キリがない話のような気がしてきた。

かつての(今も?)私がそうであったように、子どもっぽくなってしまう人にはしまう人なりの事情もそれぞれあるんだものな。
だから、あんまり否定的に捉えるのはやめたい。

最近は多様な価値観が出てくるようになって、それはとてもいいことだと思う。
その分、「古い価値観」を自動的に忌み嫌ってしまいがちだから、それは気をつけないといけないなと思う。

寛容で、できるだけ機嫌のいい人間になりたい。

いいなと思ったら応援しよう!