人を弔うということ
人が1人死ぬということ
ということが、結構大変だということに最近思い知らされる。
現実的な、死亡宣告から葬儀までの手続きやお知らせ、その後の届出、相続や片付け事などなど…
これ自体も大変だけれど、これが肉親だったり、その上、手続きする人が地方に住んでいたり、聞いていないことが発覚したりとなったらさらに大変
これはもう、ひとつひとつ順番に時間をかけてやっていくしかないのか…
でも時間をかければ終わっていく事なのかもしれない
私が、人が1人死ぬって大変なことと思うのは
「心もち」のほう
もしかしたら、死んでいく本人もやりきれない気持ちがあるだろう。
でも残された人間は、一人一人その「心もち」が違う
その「心」の扱い方が、大変だなと思うのだ
実は今日、同居する義父の姉にあたる人(義伯母)が、去年亡くなったと聞かされた。
偶然、義父が街のバス停で姪っ子(義父の姉の娘)に会い、その話しを聞かされたのだ
姪っ子からしてみれば、時節柄、脳梗塞の後遺症の残る義父を葬儀に参加させるのは申し訳ないと思ってくれたのかもしれない
もしかしたら、義伯母の生前の希望だったかもしれない
でも、義父にとって義伯母は唯一の姉弟
言葉も出なかったらしい(元々、失語症ではあるのだけど)
最後、会うか会わないかは義父に決めさせてあげたかったし、義伯母はどうだったのかな
大切な人たちと、大事な人を弔うというのは、先の時代を生き抜いた人に対しての礼儀なのでは?と思ったりする。
生きていれば、それぞれ仲違いもあるだろうし口をききたくない日だってあっただろう
でも、最期は
「よく生き切った!!お疲れ様、そしてありがとう
これからはゆっくり休んで」(どれくらい休むかはわからないけど)
と伝えたい
これがきっと一人一人違うと思うので、
人が1人死ぬって大変なことだって思うのだ
でも、私は義伯母の最期を見送りたかった…
(わかってる肉体を返しただけ。魂とはいつでも会えるわかってるけど)
とっても悔いが残る
夫に、その旨のメッセージを入れておいたら、ひとしきりガッカリした後
「繋がりを大切にいきましょう!musuhi」
と返事が返ってきた
きっと私の大切にしたいことはそこなのだ…
そこを蔑ろにされて怒りを通り越しやりきれない気持ちになっていた
夫よ、さすがだ!ありがとう
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