教員時代の初任の学校は八丈島でした。文字起こし#07
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教員時代の初任の学校は八丈島でした、というテーマでお話していきます。
本日は教員時代のお話です。
教師を目指していた頃、当時は東京に住んでいたので、実家の宮城県と、東京都の教員採用試験を受けていました。先に受かったのが東京都です。
そして最初に行くように言われた場所が東京都の「八丈島」という場所にある中学校でした。
島に行ってくださいと言われると、おそらくご家庭のお持ちの先生達は、ちょっとえ??ってなると思うのですが、私は独り身でしたし、とにかく教師になりたかったので、喜んで「行きます!!」とお返事しました。
八丈島の中学校に赴任しました!
八丈島は、大きな島です。中学校も三つあって、私が赴任した学校は当時100人以上生徒がいました。
島だからのんびりしてるイメージあると思いますが、そこは教師の仕事。初任者で、いきなり3学年全6クラスの国語の授業。本当に空き時間なく動いていました。初任者だから本当は初任研をちゃんとやらないといけないはずなんですけれども、校内の初任研をちゃんとやった記憶がありません。とにかく大変だったなあ…、という思い出があります。
授業もそのころは上手くできなかったので、生徒たちからなめられ、ばかにされ…、日々格闘でした。
でも、なんだかんだでみんな可愛かったし、普段のかかわりは楽しいものでした。島の方たち本当にいい方ばっかりで、すごく助けていただいたと思います。
2011年3月11日東日本大震災の時のこと。
その次の日12日に、当時まだ結婚はしていなかった夫のお母さんとおばあちゃんと親戚が津波で流されたということを知って、本当にショックで泣いて泣いて、どうしようもなくて…。
夫のご両親には、2010年の夏にはじめてお会いしました。結婚を前提にとご挨拶にいったんですけど、本当にお母さんが喜んでくださいました。
そのことなども思いだすと、泣けて泣けて、12日は休みだったので、ニュース見ながら何もできずに一日中泣いていました。
夕方になって、さすがになんか食べた方がいいなと思って、近くの小さなスーパーに行きました。
店員の方にたくさん慰めていただきました!
そしたら、私の顔が泣きはらして、たいへんなことになっていたのか、店員の方に
「先生、東北出身だったの?」と、何も言ってないのに、わかられてしまうという…。私が「はい」と言ったら「大変だねーなんかできることあったらいってね」って言ってくれて。すごい慰めてもらったんです。そのあとも行った時にじゃがいもを一箱いただいて、「これ実家に送ってね」っていってくれたりとか…。
夫の家の方がたいへんだったんですけど、実家も石巻の方も大変でした。私の実家の方は、海から結構離れているので石巻の中では被害がすくないほうだったのですが、夫の実家の方がとにかく大変だったので。
一番喜んでくれていたお母さんが亡くなって本当につらい時期だったけれども、そうやって島の方々に助けてもらったなあと思います。
島を出てからもう10年以上になりますが、本当に思いでの場所なので、またいつか行けたらと。
富次郎商店のちえみさん、まだいるかなあ。
改めてご挨拶に行きたいです。
ということで、今回は、教員時代の初任の学校は八丈島でしたというテーマでお話していきました。
本日は以上です。ありがとうございました!!!