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夢は夢のままで
夢は夢のままで終わりたかった。私の心の中の長い戦い。
中学の時に出会った英語。あっという間に虜になってしまった。そしていつか海外に行くという漠然とした夢ができた。
夢は夢のまま、月日は流れ大人になった。
大人になって、夢は叶った。今から約2年前大きな希望を持って夢の地へ降り立った。
今や当たり前になったワーキングホリデー。1年間の間、ホリデーもワークもOKですよ!のビザ。大人の長期休みみたいなもの。そう、ワーホリで夢の地へ降り立ちました。
到着初日から無駄に自信のあった英語も英語圏では全く通じず、心折れる日々。年齢というプライドが邪魔をする日々。自分と同じ立場の"外国人"の友達はたくさんできたけど、現地の知り合いを作るのは一苦労。それでも、ただただ生きるためにする苦労や不安は私を強くさせた。
日本で当たり前だった人間関係のストレス、日本での"当たり前"に縛られる苦しみ。血の繋がる家族とさえ、価値観の違いをずっと感じていた。長い間、周りの考えや環境に適応しない自分がダメなんだと悩んでいた。柔軟性のない性格のキツイ人間になってしまったんだと落ち込んだりもした。
海外での生活は、そんなこと1ミリも考えることなんてなかった。なんで早くここに来なかったんだろうと、嬉しいのか悲しいのか泣けることもあった。初めて自分のことを好きとさえ思えた。初めて自分という人間に価値を見出せて自信を持てた。それはそうと、英語に囲まれた環境は、楽しくてたまらなかった。一年と言わず、ずっとここに留まりたいという気持ちは、この土地に来ると決心してから変わらなかった。
そうは言いつつも、けして努力家とは言えない私。残れる理由や方法を探すも、自分には無理。と言い訳を探す方が得意になっていった。もちろん残るためにはお金は必須で、カレッジに入学するために学生ビザを取得することにも、観光ビザを目一杯使って1年滞在するにも、結局はお金がないとできない。例の如く、努力家や頑張り屋ではない私は、さほど労働はせず、日々暮らす+たまに旅行に行ける分のお給料しか稼いでいなかったので、残るためのプランを立てるなんて寝言を言っている間に、ビザの期限の1年を過ぎていた。
(余談ですが、ワーホリ期間中(多分その前から)、その後のプランも立てて稼げる時に掛け持ちをして稼いで、ワーホリ終了後カレッジやユニバーシティに行っている人、もしくはその後違う国にまた長期で行く人がいるけど、本当にすごい。尊敬します。ある意味現実的で計画性がある人!憧れる。なりたい。)
ワーホリのあと観光ビザで滞在期間を延ばすようにはしていたので、トータル約1年半。
私の夢の時間は一回息を吐いて吸うように一瞬で終わった。気がした。
つづく