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寺山修司論『液体と規則性』

『5 濁流、孤独、曼珠沙華』

俳句は盗作の始まりであり、
短歌が闘争の道具であるというのならば、
では、いったい、寺山修司の詩情というものは
どこでどう流されたのだろうか。



それとも彼は言葉のインスタレーションに
夢中になって、
それが与えてくれる
万能感に浸ることで歌う愉悦を覚えたのか。

彼の詩情とは、
感情さえも剥がされた孤独が洩らす呼び声である。
それはなんと<歌詞>という場で流れている。

自分の凍えにも気づかないほどに凍てついたまま、
それでもまだ生きているという姿を伝える
『ふしあわせと言う名の猫』を見てみよう。

    *

そこでは、「ふしあわせと言う名の猫」が
いつもわたしのそばにいる。
わざわざ平仮名で書かれた<ふしあわせ>は、
次の漢字で書かれた<言う>を引き立てるための

背景の暗闇として作用しており、
<言う>という蝋燭で
照らされたところに
<名>がいるのだ。

だからこれは、
不幸せという名前を持っている猫
という意味では、決してない。

「ふしあわせ」と言う<名>とは、
名前はいつも口を開けば「ふしあわせ」だと
呟いているということである。

    *

もし、そうでない言葉を呟いていても、
それは「ふしあわせ」としか
響いてこないという
事態を指している。

名前は
自分が名前であることの不幸、
自分がこの世に産まれてきて、
命名されたことの不幸を嘆いている。

だが、
その嘆きそのものも
猫でしかない。

猫、気まぐれに寄って来て、
気まぐれに去っていく、
肉食動物。

    *

人間にその舌先や肉球を弄ばせておくことで
愛玩される地位を得ている
狭い場所が好きな
尻尾を持った小動物。

しかし、その多毛性の小動物のおかげで
自分は孤独感を免れていられると
感謝している姿は、
新しい仏壇を買いにいったまま

帰ってこない
おとうとと鳥とが、
名前という隔離された部屋で

数十年を過ごして零落したかのような姿だ。
「この次春が」で次の行に移るときの、
ひきずっている足取りの重さ。

    *

「むかえに来ると」で
次の行に移るときの
憤懣のやるかたなさを
抑えた自己抑制。

なんという
健気な少年がここに座っていることか。
「もう春なんか」で次の行に移るときの、
絶望を切望の炎で焼く少年の手つき。

孤独を誰にもどこにも還元することなく、
自らのものとして
受容しようという少年の孤独。

誰にも言えないことを、誰にも言わずに、
自分の容量を超えて処理しようとして
瓦解していく小さすぎる思春期のままの胸。

    *

聞きながら聞き流し、
自分の境遇に合う部分だけを
任意に切り取って護符とする
耳たちの雑踏で、

つねに簡素な感情に転換されて
享受される歌の中に
こっそりと秘めた日本語の表現。
ここが寺山が着替えをする楽屋裏、

化粧を落とす
楽屋裏なのである。
人口に膾炙した

もうひとつの代表作
『時には母のない子のように』に
目を転じてみよう。

    *

いったん耳から旋律を消して、
黙ってその<歌詞>を思い出してみよう。
おそらく、この歌は
母親がいることを不自由に思いながら、

しかしかけがえのない
愛する母親の重要さを再確認した
子供の素直さが迂回して歌われたものとして
理解されているだろう。

「だまって海を見つめる、
(海を見つめる、海は見つめるものだろうか。)
ひとりで旅にでる、長い手紙を書く、大きな声で叫ぶ」

これは「母がいない子」の行動だろうか。
ただ、思春期の者たちが取りたがる行動ではないだろうか。
問題はここではない。


    *

ここでは「話す」が漢字で照らされてる。
「母のない子になったなら」の後が、
もし「だれも愛せない」ならば、
ただの聞き流されるに足る凡庸な歌詞である。

それは黙殺に足る舌の遊戯にすぎない。
だが、寺山はそう書いていない。
ここでは
「母と子」の定義が行われているのである。

「母のない子になったなら
 だれにも愛を話せない」とは、
「母」とは愛を話す相手であるということである。

だが、愛を話す相手とは、
恋人のことを指すのではないだろうか、
一般的には。

    *

では、母が恋人であるというのだろうか。
そうですらない。
愛を話す、
いや、そもそも愛はそれについて話すものなのか。

しかし、ここでは話すものとされている。
では愛は誰からまず話されるのだろうか。
順序をたどれば、
母から子へと話されるのではないか。

母から子へと話される愛を、
また母へと返して愛を話すことが、
母と子の関係だと定義しているのである。

母から渡された愛を、
すぐさまその場で愛以外のものが侵入しないように
スラッシュを引くこと。

    *

立入禁止区域を確保しながら
またすぐさま、
その愛を母へと愛を返す作業、
それは<文通>ではないのか。

母のない子のように長い手紙を書けないのは、
遠くに母がいる子は、寂しさも頼りなさも
書くことができず、
実用的なことを書くしかないからではないか。

<文通>によって、
かろうじて定位することのできる母。
それは

引き裂かれて
再び糸で縫い合わされた
母の写真を思い出させる。

    *

映像で見ると<縫われた母>とは、
孤独へと自分を追いやってきた
母への呪詛を与えられたと見えたのだが、
実はそれは、

アルバムから剥がして破り、
再びまた針と糸とで縫い合わせる
縮約の作業が、寺山の母への愛の形、
瞬時の授与と返還とを

端的に示したものだったのだ。
縫われた母の写真の代わりに
捨てられた花のことを

寺山は次のように歌っている。
「濁流に捨て来し燃ゆる曼珠沙華
 あかきを何の生贄とせむ」(修司)

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