仮初の友情
今回のプランデミックコロナ茶番劇で家族や友人との間に亀裂が入り、絶縁になった人も多く、自分もその1人となってしまった。
コロナを信じている、マスクやワクチンは正義だと思うvsコロナは作られた感染症であり、マスクは感染予防にならずに寧ろ害になる、ワクチンの安全性を疑う…このような論争は科学的な事実よりも『常識』が勝利する。
別れを告げるのは常識派から。
私事だが、20年来の友人にワクチンの危険性等を伝えたら音信不通になってしまった。
彼女のブログで反ワクの陰謀論者と罵られたことを最近知った。
彼女とは趣味を通じて仲良くなったのだが、価値観の違いはずっと感じてモヤモヤしていた。
価値観の大切さを身に染みて感じた今秋。
友だちとか友情って何だろう?
学生時代はランダムに分けられた40人の中からとりあえず『友だち』と呼べそうな人を探す。
心底氣が合う訳ではないが、これからの1年間を穏便に過ごすための妥協策。
卒業すればお互い出会う人も、歩む人生も違うため、あの頃はそれなりに氣が合っていたのに、久しぶりに会うとギクシャク。
結婚相手を見つけるのもそれに近い感覚かも知れない。とりあえず◯歳までに、相性よりも見栄え、収入、家事スキル。
学生時代は『ぼっち』に対しての対応は非情に残酷。学校という名の刑務所・軍隊な現実で生きるための仮初の仲間。
ぼっちで生きる強さはあるか?
不登校を選択する強さはあるか?
スクールカーストとは失礼な話だが、教師に氣に入られ、異性に憧れられ、見た目が最先端なら上位なところが社会の縮図。幼い頃からこの常識を植え付けられる。
他人に合わせるのは適当で良い、いや自分を殺してまで合わせなくても良い。
意見が違っても議論慣れしていないためケンカ別れ。
人間関係を円滑かつ円満にするためのマニュアル通りの人間を演じている限り、自分にとって相性の良い友人とは出会えない、本意ではない相手ばかりを引き寄せてしまう。
変人と思われても自分はこういうキャラだからと全面に出せば、同じような価値観の相手を引き寄せる。類は友を呼ぶ。
孤独を恐れなくても、そんな時は好きなことに邁進していれば、いつの日か友人と呼べる相手が現れる。
リアルで出会うのは限界があるが、今はネットもあるのだから大いに活用できる嬉しい時代。
今回の茶番劇は悪いことばかりではなかったかも知れない。人間関係の断捨離や、生き方・働き方改革もできたり、当たり前が当たり前ではないことに氣付くチャンスを与えてもらえた。
選択肢は無限。