処世術
小学生の君へ。学校は好きですか?お友達はできましたか?先生は優しいですか?お勉強は、難しくはありませんか?一度にたくさん訊いてしまいましたが、本当に訊きたかったのはひとつだけです。君は、毎日楽しく過ごせていますか?
実は、小学生だった私には、あまりお友達がいませんでした。先生は怖くて苦手だったし、お勉強だって、できる方ではありませんでした。それでも、毎日毎日続く生活を、私なりに楽しめていました。
今日は、そんな楽しかった小学生時代の日々について、書いてみようと思います。残念ながら私はもう君よりもずっとずっとお姉さんになってしまったので、あの頃みたいな美しい毎日を生きることはできなくなってしまいました。でも、君はまだ小学生で、きっと私たち大人よりも、幾分素敵な世界を見る事ができるのだと思います。だから、本当は少し悲しいこの世の中を、君がうまく楽しむ事ができるように、その「処世術」をできる限り書いてみたいと思います。少しでもヒントになればいいな。
先にも書きましたが、私が小学生だった頃は、あまりお友達がいませんでした。人と仲良くなるのがどうしても苦手だったのです。だから、学校でも、一人でいることが多かったように思います。それに、お勉強だって、あまり得意ではありませんでした。長い時間ずっと先生のお話を聞いていると、どうしても途中で飽きてしまって、授業とは違う考え事をしてしまうのです。あまりにも私がぼうっとしているものですから、先生はよく「授業を聞きなさい」と私を叱りました。でも、叱られたって、先生の授業がつまらないから頭に入ってこないのです。そういうわけで、先生たちのことも、あまり好きではありませんでした。
でもそれじゃあ寂しくないのかな、と思いませんか?私のばあい寂しくはありませんでした。たくさん考え事をしたり、素敵なものを見たりしていると、寂しいななんて思うひまがなかったのです。
そうですね、例えば……私は、理科室が大好きでした。だから、休み時間なんかはよく理科室に忍び込んで、ぼうっとしていたものです。薬品特有の匂いにはとても穏やかな心持ちになりましたし、木棚に並んでいる顕微鏡やガラスの容器は、見ているだけでわくわくしてくるものでした。夏場の理科室は窓辺で朝顔を育てることになっていたのですが、その朝顔が咲くのをまだかまだかと眺めているのも楽しかったです。そして何より、休み時間にこっそり忍び込む理科室が大好きでした。広い教室をひとりじめできる開放感。壁やドア越しに聞く同級生の声はいつもより遠く聞こえ、なんだか私とみんなとでは違う世界にいるような気がしてきます。静寂と喧騒とが、壁一枚を隔てて存在しているのです。
「ひとり」という自由さ。みんなに合わせなくてもいいという開放感。ひとりでいる間は、自分のしたいことをしたいようにすることができますからね。だから私は、休み時間の理科室が大好きでした。
他にも、いろいろ考え事をするのが好きでした。授業中は、とりとめもない考え事が特に捗って良いです。
席から見える景色。毎日毎日飽きるほど見た景色かもしれませんが、これを見られるのも卒業までの間だけだと思うと、感慨深い気がしませんか?窓の外をぼんやり眺めるのも良いものです。野外教室では飼っているあひるががぁがぁ言っていたり、垣根の金木犀が甘い香りを漂わせたり……グラウンドでは他のクラスの生徒たちが何やら楽しげに騒いでいたり。これらも「毎日見られるもの」なのでしょうが、その「毎日」を過ごせるのも卒業するまでの間だけです。私は時々、そんな「毎日」が恋しくなってしまう時があります。楽しめるものは楽しめる内にじゅうぶん楽しんでおかないと、後々寂しくなってしまうのですね。
そして、とっておきは雨の日です。雨の日は好きですか?きっと苦手な人も多い事でしょう。でも、雨だって、楽しみ方を知れば、なかなか素敵に思えてきます。
例えば、雨の香り。雨が降る日は、独特の香りが校舎中に広がります。学校が雨の香水をつけているようで、おしゃれな心持ちになったものです。教室も、廊下も、みんなしっとりとした雰囲気になって、素敵だなあと思います。
他にも、雨の音も大好きです。煙るような小雨のサラサラと降る音、ばらばらと鳴る夕立の音、どれも聞いていて飽きません。知っていますか?雨って、降る場所によって少しずつ音が違うんですよ。校舎の屋根みたいな硬い所に降ると、雨の音も少し固くなります。でも、グラウンドの土みたいな柔らかい所に降ると、雨の音も少しだけ優しい音になります。木や植物に降ると、雨の音と葉のゆれる音とが重なって、小さな合奏になります。素敵でしょう?
最後に。雨は、必ず止みます。その、止んだあとまで素敵なのです。
濡れた地面から立ち上がる雨の残香。これは、雨上がりの風に揺れる、ほのかな幻想です。そんな香りをまとって静かに佇む草木。その葉は雫をいっぱいに溜め込んで、青々として見えます。そして――厚かったはずの雲の隙間からうっすらとさし込む陽の光。この朗らかな光のヴェールが優しく地上を包むのを以て、素敵な雨上がりは完成するのです。雨だって、案外悪くはないでしょう?
失敬、すこしお話しすぎてしまいました。
きっと、今私がお話した以外にも、素敵なものはたくさんあります。そして、悲しいことに、そんな素敵なものは、大人になるにつれてだんだん見えなくなってしまいます。だから、いまのうちに、素敵なものや綺麗なものをたくさん見て、感じて、味わってほしいな、と思います。
では、またいつか、どこかでお会いしましょうね。
小学生の君へ
二十歳の私より愛を込めて
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