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嘘の海を泳ぐ
昨日も仕事帰りになわとび。普通に飛ぶのはある程度なれたので、はやぶさとムササビをどちらも10回飛べることを目標にした。うまくいかないのは、そもそもあやとびや交差跳びをするときの手の位置がおかしいのではないかという結論にたどり着き、とりあえず昨日は交差跳びを30回とベルまでやろうと練習した。交差時の安定した手の位置を早く習得したい。
嘘について考えた一日だった。
なるべく嘘はつきたくないなと思って生きているし、他人もあんまり嘘はつかないもんだと思って生きていきたい。
ただまあ、仕事というのは不思議なもんで、嘘で回っていることもいっぱいあるなと思う。
たとえば中古マンションの購入にしても、「今ちょうどもうひとり申し込み検討している方がいるので、速さ勝負になります」なんていう話をよく聞く。周りの中古マンションを買った人に聞いてみると、けっこうみんな言われているから、これは嘘である可能性が高いと思う。
でもそれでエイヤ!と家を買う決断ができて、「間に合った」という妙な満足感も付け加わるのだから、案外だまされた方にとっても、悪いだけのものでは無いのかもしれない。
この例ならまあ、高づかみさせられたとしても一応家は手に入るけれど、地面師のように金だけとって現物は手に入らないのは悪い嘘だ。
「約束のどれくらいが実際に手に入るか」は嘘の尺度のひとつだろう。
前から見ると星型に見えるものも、横からみると視覚だったり、上から見ると凹んでいたりする。視点を動かして考えないと、横から見ている人からすると、前から見ている人は嘘つきになる。真実が球のようにあらゆる角度から同じように見えるということは滅多にない。
嘘=真実以外、と定義するのであれば、真実がひとつ生まれるたびに、別の次元ではたくさんの嘘が同時に生まれていることになる。そして世の中には真実という実体を伴わない明確な嘘も、いっぱいある。
そうするとどうだろう、僕らの認知空間を次元を越えて観察すると、この世の中は真実に比べてはるかにたくさんの嘘があるということにならないだろうか。僕らは多次元の嘘の海の中を泳いでいるんだ。
今日からしばらく、いろんな嘘の種類や功罪を考えていきたいと思う。
関係性、時系列、言語的視点、認知的視点、などなど、いろんな切り口で嘘を分類することができそうだ。