メル友のアカネちゃん 5
長崎駅に着いたのは11時過ぎ。アカネちゃんとの約束の時間まではまだ随分ある。どこかでのんびり座って時間をつぶせるだろうと思っていたタイラの思惑は外れて、アミュプラザの中のベンチはどこも先客で埋まってしまっていた。というよりそもそも、タイラが思っていたよりもずっと、座っていられる場所が少なかった。
一階はお土産売り場。2階と3階はファッションブランドのお店がたくさん。ファッションに興味はあるけれど、お金も結局お昼ご飯代くらいしか持ってきてないし、一人でお店に入るのは緊張するから、見て回る気にもならなかった。
ゲーセンは自信がないし、本屋さんもコミックスの立ち読みができない。レストランも一人では入りづらい。ウロウロ歩き回っているうちに疲れてしまって、結局は一階のコンビニで買ったお昼を、外の暑くて誰もいないベンチで食べることにした。時計を見るとまだ13時前。約束の時間までまだ一時間以上あることにタイラはなんだかぐったりしてしまった。
その後ようやく4階の映画館前に空きベンチを見つけて、タイラは涼しい場所で休むことができた。休んで余裕が出てくると気になってくるのはアカネちゃんだ。朝送ったメールにはちゃんと返事が来たから、ドタキャンということは無いだろう。過去のメールのやり取りを見返しながら、タイラは想像を膨らましてその時を待った。
携帯が鳴ったのは12時50分頃。「着いたから2階の雑貨屋さんで待ってるね」という短いメールに、タイラは急に鼓動が早まるのを感じて、手が震えてしまいそうだった。いよいよ、いる。この同じ建物のなかに。タイラは深呼吸して、ペットボトルのジュースを一口飲んで立ち上がった。バクバク鳴るしんぞうをエスカレーターで整えて、2階の雑貨屋へ。
雑貨屋の前で携帯を開いている清順の制服を着た女の子が見えた。きっと彼女だ。こちらから声をかけるべきだろうか?でも彼女はずっと画面を見つめたままで、こちらに気づいている様子は無い。タイラは携帯を握りしめて、雑貨を見るふりをして店内に入った。ほどなくして携帯が鳴る。
「お店の前にいるよ」
これはもう、こちらから声をかけるしか無い。タイラは勇気を出して、アカネちゃんに声をかけることにした。
「あの、アカネちゃんですか?」
「あ、はい。タイラくん?」
「うん。」
ここまでは順調、だったけれど順調だったのはここまでだ。愛嬌のある見た目ではあるけれど、正直な話をすると思い描いていた美少女の姿とはギャップがある。その上、相手も緊張しているのか、アカネちゃんからの話はほとんどなかった。こういう時は男が会話をリードすべきだと気負えば気負うほどタイラの頭は真っ白になって、冷や汗も出てくる。
結果、雑貨を眺める緊張した女の子のそぼに、さらに緊張した大男が黙って立っているだけの奇妙な時間が過ぎていった。
「誰にあげるの?」
「あ、部活の友達、です」
買い物中の必死の会話はそれだけ。
「これにしようかな。」
というアカネちゃんの言葉には、おお、ううん、という声にならないうなりのような返事しかできず、自分自身の声にタイラはさらに当惑してしまった。
買い物の時間はものの5分程度だったのに、永遠にも感じられるような息苦しい時間だった。買い物を終えてお店を出ると、アカネちゃんの足が止まった。ここはさすがに、何かを言わなければいけない場面だ。
「どうする?どこかでちょっと話そうか」
「はい」
よかった、とりあえず断られなかった。しかしなんで敬語なんだろう。アカネちゃんも特に詳しくは無さそうで、結局二人でしばらくウロウロ歩いて、広場のベンチに座ることにした。
そして座ってみたはいいけれど、話すことがない。内心気になるのは自分のことをどう思っているのか、ほとんだそれだけなのだけど、いきなりそんなことを聞くわけにもいかない。
「初めてだね」
「うん」
「今日は部活?」
「はい。」
「あっちいなー」
無言。まずい、会話がまるで続かない。向こうからしてもタイプじゃ無かったんだろうか、だとしたら申し訳ない。
20分ほどそうやって会話にならない会話をした頃、アカネちゃんが初めて自分から話を切り出した。
「あの、私そろそろ行かないと。」
「ああ、ごめん。帰りはバス?」
「はい」
また敬語だ。タイラもこの頃には心が折れかけていたので、残念に思うよりもほっとする気持ちの方が強かった。せめてバス停まで一緒に、とおもったけれど、アカネちゃんは簡単にお礼を言って、さっさと一人で歩いていってしまった。
一人残されたタイラには、疲れがどっと押し寄せていた。一体何を期待して、朝から気合を入れてやってきたんだろう。ただのひとつも思い通りに行かなかった初めてのデート。今残るのはとてつもない疲労感だけだった。
バス停に移動して帰りのバスを待つ間、さすがに失礼すぎやしないかとだんだん怒りすら湧いてきた。でもまあ、相手の立場からすると結局、タイラはお眼鏡にかなわなかったということなのだろう。そう思うと、反対に申し訳ない気持ちにもなる。
帰りのバスでメールの一本くらい送るかと思って考えてみたけれど、何を打っていいか、全然何も思いつかなかった。
あーあ。これは終わりだな。コウキになんて言おうかなと、夕飯の後またベッドの上でゴロゴロしていると、携帯が鳴った。アカネちゃんからだ。メールを開くのがなんだか怖い。
「今日はありがとう。せっかく来てくれたのに緊張して全然しゃべれなくてごめんね。思ったよりかっこよくて緊張しちゃった」
ニヤニヤと頬が緩むのを手で必死に抑えながら、タイラは大きな体がベッドの上でモゾモゾ動くのを止められなかった。なんて嬉しい言葉。俺ってひょっとしてイケてるのか?これは行けるのか?
「こちらこそ!アカネちゃんもかわいいね。また会いたいな。」
勢い込んでタイラは返事をした。当然向こうから返信があるものだろう。そう思って一時間、二時間、待ってみたけど返事がない。あれ?と思いながらもその晩は諦めて寝ることにした。
翌日の部活の後、野球部の連中にメールを見せるとみんな大盛り上がりで、タイラは鼻が高かった。いつもニコニコ笑っているだけのタイラがこんなにみんなの話題の中心になるのは珍しい。
「いいなー、お前も彼女できるんかー!」
そうやってヘッドロックをきめられてやめろよとじゃれるのもいつもより楽しい。そうだよな、大丈夫だよなと帰り道は安心していたけれど、それから一日、二日、待てど暮らせどアカネちゃんからのメールは来ない。
三日たってとうとう我慢できずに「夏休みももうちょいだね、学校始まるのいやだなー」と平静を装ったメールをしてみても、やっぱりこれにも返事が無い。タイラは全く意味がわからなかった。誰かに相談してみようかとも思ったけど、移り変わりの早い部活の仲間たちの話しはもうすっかり次のネタに移っていて、タイラの話はみんな忘れてしまっているみたいだ。そんな中で自分から蒸し返すのもなんだか恥ずかしくてできなかった。
さて、それから何があったかというと、この話はまったくもってこれでお終い。結局それからアカネちゃんからの連絡は無くて、しばらくは落ち込んだタイラも秋が来る頃にはすっかり忘れて、高3の春に同じクラスに初めての彼女ができた。そのタイミングで万が一彼女に知られたらまずいとアカネちゃんとのメールのやり取りを全部削除してしまったから、後に残るものも何もなかった。
タイラも、今ではいい年になった。アカネちゃんとの一幕を思い出して自分の情けなさが恥ずかしなることも段々減って、三十歳を迎える頃には、その他のいろんな無茶な思い出も含めて、自分もバカだったけど、相手もみんなもバカだったよなと、開き直れるようにもなった。
でもなんで、あの後メールが返ってこなかったのか。タイラは今になってもさっぱり理由がわからない。彼自身に自覚はないけれど、アカネちゃんとの一幕から学んだ、「他人が何を考えているかなんて結局なんにもわからないのかもしれない」という思いは、その後何度も、タイラの心を軽くするのに役立ったのだった。
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