戻りたいのは、人間らしく生きる場所を制限して、人間らしくいられない場所を野放しにする社会じゃない
緊急事態宣言が開けて、周りが一気に賑やかになり始めて。
駅も、道路も、施設も、「え!?」と思うような人混みに、自分の意識の変化が追いつきません。
もうちょっと、ゆっくり体制整えないとまずいんじゃないかなー?
一気に「経済優先」に戻ってしまったようで、怖いです。
コロナと生きることになる今後も、自分の行動指針を決めていくときに、私は、「人間として大切なこと」を大事にしていきたい。
と考えると、「人と会って話す」「一緒にご飯食べる」「一緒に笑う」「一緒に何かを作ったり体験したり鑑賞したりする」「歌う」「学ぶ」「遊ぶ」「スキンシップ取る」とかは、人間として、大人も子どももすっごく大事なのだということを今回のコロナで再確認しました。
だから、この状況下であっても、そのことをなるべく安全にできる方法を一歩ずつ考えていきたい。
この模索は仕事上も避けて通れず、そのことは改めて書いていきたいと思います。
だけど、「満員電車に乗る」「大人数の会議をする」「狭い職場で働く」とかは、たぶんだけど、べつに「人間として大切なこと」じゃない(笑)
なのに、なぜか、「大切なこと」がかなり制限されていて、その「大切じゃない=むしろ苦痛なこと」があっという間になしくずしに野放しになっている。
前も書いたけど、満員電車に乗って行ってしんどい思いをして働く部分だけは普通の生活に戻り、仕事終わりにホッとする飲み屋やライブハウスや、人の集まりが厳しい目で見られるなんて、人を働く道具みたいな扱いだなーと思う。
ここに戻りたいわけじゃないはずなのに。
人間らしく生きる場所を制限して、人間らしくいられない場所を野放しって、私たち何を選ばされてるの?って思う。幸い私は通勤する仕事じゃないけど、大多数の人たちがそうやって社会を支えることになる。その支え方、無理があるよ・・
コロナの状況下で、困ったこともたくさんあるけど(私だって今年はずっと廃業の危機だ)学んだこともたくさんあるはず。得られた時間もあるはず。(もちろんみんなじゃないにしても)
この学び、ただ単に「感染しないための生き方」だけじゃなくて、「人が人らしく生きやすい世の中」に還元していかなくちゃいけないな、と思う。
じゃあ何か妙案があるか?政府に大きな声で物申せるか?といったら、あまりに漠然としすぎてまとまらないのだけど、覚書として、今の不安ととまどいを残しておきながら、自分の行動の決め方を、もうちょっと後にまた、振り返りたいと思う。