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当事者が声を上げないと、ないものにされてしまう

地元で障がい者の福祉レストランを経営する素敵な年上の友人がいるのですが、その方に座談会形式でお話を伺ったことがあって、本当に精神障がい者は家に閉じ込められて外から知られないようにされて、街へ出ていけるようになるまでにものすごく苦労があったのだということを聞きました。
家族たちが必死に声を上げて運動をして、市役所へ行き、あらゆるところへ陳情し、粘り強く粘り強く動いて今、家の外に出られるようになった人たちがいる、と。ないものにされてしまう人たちの存在を知ってもらうには、当事者が声をあげる以外ないのだと。
そうしないと、誰にも気づいてもらえないよ、と。辛い人が声を上げなくちゃだめよ、と。

その当時、「一番苦労している当事者が声を上げないと誰にも気づいてもらえないなんて、なんてシビアな意見」と思ったのですが、今となっては本当にわかります。

2月後半から早々に舞台がキャンセルになり始めた時、同業者以外の人はそのことからくる影響に全く気づいていませんでした。
実は3月の頭に、スタジオの大家さんに「家賃の支払いを相談することがあるかもしれない」と、うちの代表が話した時に、大家さんに「えええ!世の中そんなことになってるの!?知り合いでコロナ関係で被害を受けてるって話を初めて聞いた!」と言われたそうです。(家賃はいつでも相談に乗ってくれるということでした、ありがたし)
だから、善意の人も、身近にいる人も、他の人の窮状って全然気づかないし、気づかないことが悪いわけじゃないんだなと思ったのでした。

みんな毎日を必死で生きていて、自分の関係のあるところ以外の世界が見えないのは当然のこと。だから、困ったことがあった時に、当事者が黙ってしまったら、誰も気づいてくれない。今回も、音楽関係・演劇関係・ライブハウス関係と様々な人たちが署名を集めたり要望書を出したり、SNSでアピールをしたりしました。その時に、「大変なのはあなたたちだけじゃない。こっちはもっと大変だ」「自己責任だ」という声を悲しく眺めましたが、別に対立構造じゃなくていいと思うのです。

「こっち」の大変な業種があるなら、その人たちも声を上げればいい。「こっちにだけ金をくれ」じゃなくて、「あっちもこっちも大変だから、どこも補償してくれ」と言えばいい。
今はサラリーマンはまだ減給されていない人もいるかもしれないけど、普通の勤め人にもこの苦しみが襲ってきた時には、会社に、国にちゃんと声を上げてほしいし、私たちは、その声を後ろからサポートしたい。だっていつだって、音楽を愛したり舞台を楽しんでくれる人の大多数は、大金持ちじゃなくて、普通に働く人たちだから。

「批判するな・一致団結せよ」という声が上がることもこの民主主義社会においては健全、でも「批判」によって政府の対応が変わっていくことも民主主義ならではの健全。私は汚い言葉を使って誰かを糾弾する人は、どちらの立場であっても賛同しかねますが、やっぱり声を上げた人たちの存在によって今までがあり、きっとこれからもあるのだと信じています。