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戦国時代とAIと今
最近、AI Chat Botにとある質問をした。
「1600年から2024年を生きる私に至るまで、何人の遺伝子が関わっていますか?」
1世代30年と仮定して、私が15世代目と割り出した後に、私に関わった遺伝子の人数を、1代ずつ遡って両親に関わる遺伝子の人数は2のn乗で増えていく。15世代分の計算をしてもらって、出た人数は6万5千536人。始めてちゃんと計算をしたので、膨大な人数に打ちのめされた。
天下分け目の戦いと言われる「関ヶ原の戦い」で徳川家康が勝利した戦いが起きた安土桃山時代の終焉である1600年、時代の境目という激動の時代を生きた私の祖先、15世代遡った先にいるその女性は、その時何を思い、何を望んで生きていたのだろう。何歳で亡くなったのだろうか。彼女の子供は何人いて、どうやって育てたのだろう。皆お腹一杯食べられていたのだろうか。盗賊に家財や食料を強奪され、飢饉に見舞われなかっただろうか。そんな困難を乗り越えた先の未来に、私という人間が産まれて、今27歳で、休日に特に何をするわけでもなく、精神病に罹患してから特に生産的なことも出来ず、まだ家族に守ってもらいながら、ここ30年で進化した小さな文明の利器達、PCやスマートフォンに日常の多くを費やしながら毎日を過ごしているなど、絶対に想像できなかったはずだ。
いや、きっとその時代を必死に生きたその女性は、想像する必要がなかった。その時代を必死に生きた彼女は、短い命の中で強く眩い輝きを放ち散っていった。今より何十年も寿命が短かった彼女は、農民という身分でその職務を全うし、美しく散った。
あなたはどんな顔をして、何が好きだったの?
叶うことなら会って聞いてみたい、ふとそう思った。こうやってあなたのことを想う私は、あなたの397年後に生まれた祖先だ。長い年月の中で、教科書や記録映像でしか知らない日本の歴史の中で遺伝子が欠けることなく、私に繋げてくれた結果として。
前回、私はインスタに日常を投稿するのを止めた理由について書いたが、今回AI Chat botにこのような質問をしたのも、そこで考えた「時代の流れ」を捉えたかったからだ。わざわざ「大量の情報を整理することが得意」なAIに条件を整理させて計算を肩代わりさせて数秒で答えを得て、時代を乗りこなしているフリをしてみる。その結果得た6万5千536人という数値は、今に至るまで私の中に走る血流のような鮮やかを持って、私にある種の力を与えた。漫然と過ごす日々に敢えて逆らわずとも、私が何かを考え、文章に残すという行為は、397年前から受け継がれた記録を更にその先に残していくことだと思うことによって。そうしてまた書く気力が生まれた。私だけではない。noteに文章を書く人達一人一人が祖先からの血の繋がりを持って、この膨大なインターネットという海にその記録を記す。それ自体が、水は巡回すとも、地球が生まれた時から注がれ、今も尚生命の根源となる海洋に混ざり合う大きなうねりのようだ。
その時代にしか生まれないその世代の生きた証。
時代の伊吹と生命としての責任。移り変わる時代の側面を体験した人間と、その時代の飽和した後に取り残された側の人間。前者の流れを物語仕立てで美しく切り取った作品の例として、明治維新前後の呉服屋が改革を求められる中、若旦那が現実に立ち向かっていくストーリーを描いた日高ショーコ氏の「日に流れて橋を行く」にそんな1シーンがこの上なく美しく表現されているので、引用したい。
日本橋の朝は早い
魚河岸の喧騒を皮切りに
夜明けより早く この町は動き出す
まるで止まらない川の流れみたいだ
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明治時代の日本橋、淡い白と黒のコントラスト、重なる線で印象的に描かれる人々と空気の流れ。極寒の冬でさえ動きを止めない人々の熱量、空気感が、圧倒的な臨場感を持って読書である私達の感性を刺激する。こんな空気を感じてみたいと思う。ここはSFの世界ではないのでそれは叶わないが、私達の祖先の中では、紛れもなくこの時代を体感した人が存在していたのだと思うと、私達の体の一部であることを誇らしく感じる。
後者を表す象徴的な文章では、「中陰の花」で芥川賞を受賞した現住職の作家、玄侑宗久のエッセイを思い出す。現在の日本で15歳から39歳までの死因第一位が「自殺」であることの原因の一つとして、「答え」がすぐに与えられることで、今の苦しい状況を早く脱そうとし、将来をのんびりと「待つ」ことが出来なくなっていることがあるのではないかという一考だった。
このところ通信手段が発達し、「待つ」必要がなくなってきた。と言えば、便利で素晴らしい世の中のようだが、逆に言えば人がどんどん待てなくなっている、ということでもある。(中略)
ところで大徳寺にも妙心寺にも、境内には多くの松の木がある。松の功徳は、常葉の緑、長寿、枯れても別れない二葉などいろいろあるが、何よりその名の由来は神の降臨を「待つ」こと。門松に用いられるのは、水がなくとも平気な顔で「待つ」木だからである。もともと「寺」という字は「同じ状態を保つ」意味である。人偏がつけば「侍」で、じっと控えている人だし、行人偏なら「待つ」になる。りっしん偏だと「恃」になり、(自分を)信じつづけることだ。病垂れに入ると「痔」で、これまたすぐには状況の変わらない病気だが、ともかく「寺」とはそう簡単には変わらないことなのだ。
「待つ」ということは、答えをすぐには期待しない、ということでもあるが、同時に答えがいつかきっと来ると、信じることでもある。本堂に入ってご本尊を拝むと、ああこの方は、こうしてずっと待ちつづける存在なのだといつも思う。そしてその姿勢によって、時に思いもかけない答えを頂くのである。
「時に思いもかけない答えを頂く」まで、それを期待せずに待つことが、スマートフォンを手放せなくなった私達には難しくなっている、という話である。勿論、数年前から降り注ぐ情報から「物理的に」「精神的に」遮断する活動は発達してきているが、仏教という、歴代の皇族や将軍たちが治世の為に、日本が統一されるまでは多くの日本人の救いとなってきた信仰が今の私達に、信仰ではなく「心の在り方」として時々、私達の教科書となってくれるのは有難いことである。
例えば、「何のために生きているのか?」という問いを例にとれば、
自分で答えを見つけるより方法がないこんな問いでさえも、今すぐに答えを探すのではなく、生きていく中で見つけるということなのだろう。実際に仏教の「輪廻転生」やニーチェの「永劫回帰」さながら、「生きること」自体は途轍もない苦行であり、「いやいや、待てと言われてもそんなに簡単じゃないよ」とツッコミを入れたくなる。
私自身でさえ、今年に入り半年間精神病に罹っていた身で、何度も先ほどの問いを自分に投げかけた。27歳で体力もなく実家に引きこもり、「私は一体、母親に元気になったと認められるために治療をしているのか?」「今自分の庇護者となっている両親がいなくなったら、私は生きる意味を見出せるのか?」など、将来のことばかりが頭に浮かび、毎日何をしても楽しいと感じない日々が続いた。そんな状態の時、「ただじっくりと待て」等苦言以外の何物でもないし、待っている間に逃してしまうものを惜しく思ったりもする。私はもう、「待つことしかできない」時代にはいないからだ。
戦国時代から江戸時代へ、江戸時代から明治時代へと移り変わった流れに「捕らわれた」先祖達は、時折、その時流行していた哲学や宗教に救いを見出すことはありながらも、その時代に流され、俯瞰しながらただじっと進んでいくのを待った。現代になって、必要な情報が簡単に手に入りやすい私達は、同じような時代の流れにいながらも、ほとんどの場合において、来るべき事態において「予約」「調査」「申し込み」「連絡」等、関わる対象に応じて先手を打つこともできるし、多くの場合において、まんじりともせず待つ必要がないのは明らかだ。
数世代前と比較して、平成や令和は常に身の危険にさらされることは勿論減ってはいるが、「昔はもっと苦しくても我慢したんだから、今なんて全然楽なんだし、有難いと思って生きなきゃ」と言う訳では全くなく、だからこそ、玄侑宗久の思想も援用させてもらいながら、尋ねた先祖の人数を噛みしめ、今に至るまでの時代の顔や祖先に思いを馳せることで、「今の時代の中を生きる自分」という時間軸を延長させて、「ちょっと待ってみる」ことで、答えのない問いに苦しむのではなく、「命を慈しむ」ことをしてみようと思ったのである。
「命を慈しむ」などと抽象的なことをいったけれど、現代しか生きることができない私達は、実際に何ができるんだろう?
自分を大事にしろ、という言葉はいくらでも独り歩きしてしまうが、精神病に罹り、体力が大分落ちてしまった状態を経験したからこそ、一体どうしたら本当に実践できるのかを考えるようになった。
今回は、「命を慈しむ」ことを「自分を出来る限り大事にしながら生きていく」ことだと捉え、無理をし過ぎたり自分が深く傷つく体験をした時の「普段出来ていたことが出来なくなっている状態」をスタートラインとして、そこから「自分はこれが出来る」という自己効力感を得るまでの道のりで何ができるかを考えた時に、一つ少し効果的な方法があったので、これ以降の後半ではそれについて触れてみたい。
自己効力感を取り戻したり、高めたりする時には、「小さな成功体験の積み重ね」や「昨日までの自分から成長していると感じること」が大事だと言われている。心理学でいえば、自己効力感に関してはアルバート・バンデューラという学者によって研究がされており、それを生み出すには、下記4つの源があり、若い番号に近づけば近づくほど効果があると言われている。
①「直接の成功体験」
②「代理的体験」(直接に経験していない場合でも、うまくやっている人を観察することで、「自分もああすればうまくできそうだ」という感覚をもつこと)
③「言葉による説得」(ほめられたり、励まされたり、やり方を丁寧に説明してもらうことで、「やればできる」という感覚が生まれること)
④「情緒的覚醒」(行動中に自分の内部に生じた生理的状態を意識することで、感覚に違いが生まれること、例えば、心拍数の増加を意識すれば不安やアガリの感情が生まれ、行動への自信が弱まりまるが、心拍数に大きな変化がなければ平常心を保っている自分を意識することができ、行動への自信につながる)
つまり、成功の大小は置いておいて、「これが出来た」と認識することが大事になってくるということらしい。このnoteの以前までの記事で、一日の終わりに書く治療方法としての「感謝ノート」や「エクスプレッシブ・ライティング」が自己肯定感の向上に効果があることについて触れたが、実際成功体験を積むことは、物凄く難しいことであるということに気づく。取り組んでいる仕事内容や、体力の低下で活動の幅を広げにくいこともあるだろうし、病気の重さによっては物理的に不可能であることも多い。そんな時、「結局自分はこれも出来ない」、「いつまで経っても良くならない、成長していない」と更に落ち込むこともあるし、それは時に避けられない事実だ。
だが、そういう状態だからこそ出来ることがあると思っている。
抽象的な例をあげると、「とある飲食店の店内の装飾には、植生が飾られているが、普段店内で飲食している時は、「ただの緑だ」としか思わない。しかし、旅行先や雑誌、ニュースなどでたまたま植生を買うことになり、その日から、店内の装飾の植生の細部まで目が行くようになった」というような体験だ。
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つまり、自分が足を運んだり、意識的に行動して得た結果が、次に行く場所や、自分がよく行く場所に「あった」のだと思うこと。この例は抽象的過ぎではあるが、実体験であり、特に興味もなかったが土産として買った「苔」が家に飾られた瞬間から、世界の見え方が少し変わった。また、多くの人が体験済みだとは思うが、「今流行っているアニメをたまたま一話だけ観る」ことでも、多くの行き先にある「ただの絵」が、一気に自分側のコンテンツとして引き寄せられて感性を刺激し、感動が生まれることがある。それは、特に意識せずに摂取した何かが、「これに出会ったから気づけたのだ」と自分の一部として自分を「肯定する」瞬間だと思う。
意識的に「これをしなきゃ」と思って自分を鼓舞するのは、苦しい時には到底出来ないし、自分を大事にしたいのに、無理をするとまた自分を傷つけることになる。だからこそ、惰性で、無意識で行動をした先の「ナニカ」が知らぬ間に自分を構成するピースとなり、そのピースが社会に当てはまる時に起きる気づきを肯定することは、時に自分が前に進んでいることを実感させてくれる。
もう一つ、友人や知人から与えてもらうものからもそんな感覚が生まれることがある。例えば、中々外に出る気にならず、重い腰を上げてでも参加してみたイベントで、一旦落ち着いて「あ、これ楽しいかも?」と嚙みしめる瞬間を増やしたり、「あれ、これできるようになっている」と改めて考えてみることで、「数年前、数十年前はできなかったけれど今は自然にできること」として自分の中で少しずつ少しずつ蓄積されて行って、「意外と自分、悪くないかも」と思う瞬間が訪れる。
自分が昔から好きだったことや少し人より得意なことを社会に発信する、文章や絵を投稿してただ見てもらうことも、「これができる」という感覚が心の安心につながったりする。不特定多数に発信するのではなく、仲の良い友人達だけに発信するのでもいい。
「小さな成功体験」を積み重ねることは、弱っている状態では難しいからこそ、生まれた感覚を気づきに変えて、「自分、意外といいじゃん」、と小さな肯定を何度か続けてみることで、前に進めることもあるのではないかと思っている。
以上まで述べたのは、実際の私の治療方法でもある。
何も楽しくない、何をしても無駄に思える、そんな日々が続き、今でも時々そんなことを想う。だけど、やはり自分の次の行動は、生きてきた自分でしか生まれないので、予期せぬ道であれ、誰かに導いてもらった先であれ、進んだ先に見える何かに注目することで、前に進めている気がする。少しでも先があればそれでいい。その先でまた見つけたものが、そのまた先の自分に気づきを与える何かに繋がるといい。既に100万人以上の犠牲者が出ているウクライナ戦争のニュースを見ても、更にそういう思いが強まる毎日だ。
YUIの"LIFE"という歌には、このようなフレーズがある。
生きてきた日々全部で 今のあたしなんだよ
カンタンに行かないから 生きていける
幼い頃から私を支えてくれたアーティスト達のように、誰かの言葉が意外と自分を支える指針になったりすることは、時に苦しみも味わいながら生きていくことでしか出会えないというジレンマだけれども、何か一つ、その一瞬だけでも心が軽くなるような瞬間は、やはり歩みを進めて出会いを繰り返していくしかない。そしてそれは、自分がどれだけ不器用で、周りより歩みが遅いように見えていても、それは自分の感性が出会っていくものだから、他人と比較する必要は全くない。
その意味で、最近最も心を揺さぶられた台詞が、2023年マンガ大賞を受賞した作品である「これ描いて死ね!」にあるので、それを引用して終わりたい。
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たとえあなたの絵や構成が稚拙でも、
気持ちが正しく漫画に乗れば 技術を超えて
人の脳を揺らすのです
あなたが発信した何か、言葉一つ、文章一つ、作品一つは、必ず先につながる。自分に帰ってくることもあれば、他人を感動させることもある。
そう思うと、ここまでしてきたことが、何をしても無駄ではないと思えるし、実際に何も無駄ではない。
この1シーンを読んでいると、そんな気がしてこないだろうか。
戦国時代を生きた私達の先祖が今の私達を見た時に、「こんな人間が生まれたなら、生きてきてよかったな」と、忙しく過ぎていく毎日の中で、ふと思ってもらえたのなら面白いと、そんな気持ちを込めて今日のエッセイを書いた。