愛を破壊するもの
僕は他者を見る時、
その人の心の闇にフォーカスする
という特徴がありました。
どんなに笑顔の人に会っても
『その笑顔の下に人には言えないような苦労があるんだろうな』
のような見方をしていました。
この見方をしていると
たとえば、金メダリストに対しても
『この栄光の下にどれだけの艱難辛苦があったのだろう』
と勝手に思いを馳せて、
その目の前の栄光よりも
見えない闇にフォーカスして見るんです。
そうしますと
自ずと金メダリストとは
僕から見ると
まるで
闇を制した闇界の金メダリスト
みたいな立ち位置にしてしまうのです。
これにより
普通に金メダル🥇を手放しで喜ぶことができない僕がいるのです。
人の闇は知れば知るほど興味深く、
麻薬的な効果があって
ますます面白いものとして興味を持ってしまう。
それが手放す事のできない執着となっている
と氣が付きました。
自分自身の心の動きに対しても
やはり、ネガティヴな感情やネガティヴな背景にフォーカスしたがるんですね。
自身の不安
自身の恐怖
自身の心配
自身の怒り
他者の自身に向ける敵意の心
その敵意の心を向けられた自身の心のネガティヴな動き etc.
ここまででしたら、深い洞察や思いやりとして機能したかもしれません。
しかし僕の場合、
この見方にエゴが絡んだのです。
それは
『僕だって闇を抱えている。なんなら人並み以上に闇を抱えてきて、今なお、抱えきれない程の闇を持っている。しかし、僕に限っては何も報われない。闇の大きさや量としては十二分なのに、僕だけ金メダル🥇が無い。光の無いまま闇だけで生きている自分がおかしい』
というものでした。
この時です。
僕は他者に嫉妬を覚えました。
その嫉妬とは
たとえば
恋人がいる
とか
大學に行った
とかほとんど誰にでもあるような日常的な金メダル(幸せ)に対してです。
僕としては
オリンピックのような大々的な金メダル🥇に対して嫉妬はしていなかったんです。
それというのも
僕にとっての幸せの理想(金メダル)とは
日常にある何氣ない人間としての幸せ
だったからです。
ここが僕の最大の望みでした。
僕が実現したかった夢とは
人としての日常を過ごす中にある幸せ
だったのです。
ですから
敢えて“普通“と表現しますが
普通の家族団欒の食卓
とか
普通の恋人関係
とか
普通の學校生活
とか
普通の仕事をして収入を得る
などといったものだったのです。
今でこそありありと思い出せる
僕が眞に望んだ金メダル🥇です。
しかし、
その当時を含めたつい今日までも
僕としては叶えられていない
と思いました。
他者との比較により
自身の闇に比例した光が無いことに
腹を立て、光ある他者に嫉妬したのです。
確かに僕は
働けて、食べられる。
眠る家がある。
五体満足。
他者を見ても
多くが同じ条件
という風に僕には見えていました。
この同じ条件に
さらにプラスして
他者が持ち合わせているものを光として
その光に激しく嫉妬しました。
見た目の条件は同じ。
でも、僕は闇ばかりだ。
他者は光ばかりだ。
という思い込みを持ってしまい、激しく嫉妬して、それは恨みつらみにまで及んでいたんです。
この恨みつらみや激しい嫉妬というのも闇の感情になります。
なので、僕の闇にフォーカスするという特性上、
尚の事、この嫉妬にフォーカスをして、そこに嵌り、抜けられない状態にいたんです。
この闇へのフォーカスは十代かそれ以前には僕は行っていたものでした。
ですからそれは、人生の習慣のようなものとして、ごく当たり前のものになっていました。
闇へのフォーカスの怖い所は他にもあります。
それは
たとえば
金メダルを獲った
という一つの幸せの完成形があったとしても、
その完璧な幸せにも闇を見出すこと。
つまり
幸せに完成形が無いことになります。
僕はそこにもある種の絶望感を持っていました。
『どうせ、幸せを目指して幸せになったとしても、闇はあるよね』
といった見方をするのです。
つまり
どんなに理想的な異性を恋人にしたとしても
そこに闇を見出そうとする。
どんなに理想的な人生を歩んだとしても
そこに闇を見出そうとする。
理想的な恋人や理想的な人生を金メダル🥇だとすれば、
その獲得に至る艱難辛苦と獲得してからの苦労に思いを馳せている自分がいるのです。
そこで
その闇に共感して寄り添うなら良いのですが、
僕はその金メダル🥇に嫉妬をして壊してしまうのです。
『金メダル🥇があるからいけないんだ』
『大學そのものがあるからいけないんだ』
『恋愛そのものがあるからいけないんだ』
『お金そのものがあるからいけないんだ』
のように、幸せの根本になる所を否定して壊していたのです。
今ある幸せに氣付けない。
このことは
僕の場合、
闇へのフォーカスのし過ぎという癖
が一つの要因でした。
人の良い所を見る
という言葉にも懐疑的でした。
はじめそのように人を見ていても
その人が何らかの悪意を僕に見せる。
この繰り返しをして
僕は樂観的に人を見てはいけない
という警戒をしたと思います。
その事で
自分自身も傷付かないで済むからだと思います。
そして
傷付きたくない思いは
さらなる人の闇を見るようになった。
もちろん、
僕自身の闇にもフォーカスをしてです。
さらに話は続きます。
嫉妬という感情にはエゴが絡みます。
なので
幸せそうな人を見ても
素直に
『ああ、自分もあのように幸せになろう』
という見方にはなりません。
羨望にエゴが絡んで恨みつらみになると、
破壊のエネルギーになるのです。
僕自身、他者からの嫉妬の念が嫌で個性を閉じた経験があるので、その辺に関してもっと自身の感情に氣を配るべきでした。
つまり
僕のした嫉妬というのは
他者の金メダル🥇という光のみを見て
『良いなぁ。自分ばっかり。ズルい。僕はこんなに闇の中に居るのに』
というエゴなのです。
この時、僕の特徴だった闇にフォーカスするという僕の唯一の美点すら失っている。
金メダル🥇という欲にかられて、その人が金メダル🥇を獲るまでに経験したであろう艱難辛苦などの闇を見なくなって嫉妬はあったのです。
金メダル🥇の裏にある闇を見ないと
何が起きるか❓
金メダル🥇をただ奪う
ということが起きます。
これが破壊に繋がるエネルギーです。
金メダル🥇のみの奪い合い
が戦争です。
金メダル🥇を獲るまでの過程にある
闇を僕は認めていた訳です。
この闇にこそ人間の眞価があるように感じていたから。
つまり
金メダル🥇という光と
その獲得までの闇とは
表裏一体で同じものを指すのだと。
これは愛の原理と同じなんです。
陰陽統合して愛である。
光と闇で愛である。
男性性と女性性で愛である。
全く同じ構造です。
僕がした
金メダル🥇という光のみを
僕も得たい
という嫉妬は破壊です。
恨みつらみとなって破壊のエネルギー
という意味だけではありません。
闇が見えなくなり
光のみを得たい
と望んで嫉妬が生まれた。
それは
愛として不完全な形(半分だけ)を望んでいますから、愛ではないのです。
つまり
僕が嫉妬してまで羨望した光(金メダル🥇)のみ
とは、愛ではないもの。
さらには
光のみを望んだ僕の嫉妬も愛ではない。
この愛ではないエネルギーをもって
他者の金メダル🥇を狙うのです。
それが破壊のエネルギーになるというのです。
それは
光のみの肯定なんです。
光のみしか認めていない。
それは愛ではない。
恐ろしいことには
僕は愛そのものを否定し、破壊したのです。
なぜなら
『金メダル🥇そのものがあるからいけないんだ』
と本氣で思ったから。
これは
『命そのものがあるからいけないんだ』
と同義。
『人間そのものが存在するからいけないんだ』
『地球そのものがあるからいけないんだ』
『宇宙そのものがあるからいけないんだ』
と、強く思って愛そのものを否定し、破壊したのです。
これをしては愛を語るものとして失格だったのです。
ですから、ここに氣が付くまでは、魂は僕を停滞させてくれていたのです。
エゴで愛を破壊させないように。
祭統 白宇
SHIR㊉W
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