幻実の霧の中から
マインドとは【幻想】のこと。
スピリット(魂)に戻り
マインドという【幻想】を使いこなすのが人生です。
たとえば
・常識をそのまま善とする(常識外は悪)
・エゴの判断
・恐れ故の固定概念
・我が身可愛さ故のネガティヴの拒絶(聖長しないことへの理由付け)
これら全ては【幻想】と言えます。
スピリット(魂)とズレる時とは
マインド【幻想】の濃霧で
自身のスピリット(魂)が見えにくくなっている時です。
この【幻想】の濃霧を祓い(払い)
純粋なスピリット(魂)そのものに還ること
そして
そのスピリット(魂)を自分軸として
マインド【幻想】を使いこなすこと
が人生の挑戦(目的)です。
人間は幼少期より
たとえば學歴のような【幻想】を丁寧に刷り込んできたと言えます。
頭の良さは成績で測られますので、
教師や親たちを困らせないことを學んだり、
學校や親から教えられる事が全て正しいこと
と疑えなくなったりして、
スピリット(魂)は遊びたいと思っていても
遊びたい思いを押し殺して生きます。
はじめ薄かった霧は段々と濃く厚い霧へとなっていくのですね。
霧を濃く厚くしていくのは
もはや自身でかける【幻術】です。
既に學校を卒業して親からも離れて暮らしていても
【幻想】の濃霧の中にいる時とは、
自分で自分に強い【幻術】をかけているのです。
このようになった時、
自己責任と他者は言います。
『自分で自分に【幻術】をかけているんだから』
とその文言通りでなくても眞意としてはそのようなことを言います。
たとえ他者たちからそのように言われても
【幻想】は信念・信条になっておりますから
なかなか【幻術】を解けないのですね。
マインド【幻想】に囚われ
スピリット(魂)から離れた【幻術】で創った世界を
【幻実】と僕は呼びます。
マインド【幻想】の濃霧を祓い(払い)
スピリット(魂)に戻ってからマインド【幻術】を使う時、かつて自らを苦しめていた【幻術】を光として使うことができます。
これが眞の頭の良さだと僕は思っております。
スピリット(魂)という愛そのものの意識を自分軸にして【幻術】を使うならば
その【幻術】は➖愛宝➖(まほう)となります。
愛として自分も他者も地球も思いやれる愛の視点で、➖愛宝➖へと聖長を遂げたマインドを使うことができる人が眞に頭の良い人となるということです。
このような賢者は
・他者の喜びが自分の幸せに
・地球の元氣が自分の幸せに
となっています。
そのような賢者の言動や行動が
他者たちから見ると
まるで➖愛宝➖をかけているかのように見えもします。
➖奇跡➖という言葉で世には伝わっておりますね✨
闇としての【幻術】から
光としての➖愛宝➖へ。
言い換えれば
【呪術】から➖マジック➖へ
【黒魔術】から➖白魔術➖へ
【魔法使い】から➖賢者➖へ
そのようなイメージとなります。
➖愛宝➖を使いこなして
人生を素敵なものに✨
人生を幸せなものに✨
素晴らしい今(人生)を過ごせる地球へ✨
このような人生を送ると
自ずと感謝が湧いてきます。
それまでの謝罪の氣持ちを超えて
結局は感謝の思いしかなくなります。
そして
その感謝の氣持ちが
➖愛宝➖
にさらなる磨きがかかった輝きを与えていきます。
その光り輝く➖愛宝➖の力で
地球全体にさらなる愛の循環を促していくのです✨
いずれにしても
はじめは
自分自身の【幻想】の霧を祓う(払う)ことからです。
そして
【幻術】をかけている自分に氣付くところから😊
それには《自分と向き合う》ということが大切になります。
ここで
僕の体験談を少しだけ🤏
僕は聖長して変化するのが
まるで自分と違う存在になることであると思い込んでいたんです。
今の自分、
今までの自分を置き去りにして
未來の自分だけが素晴らしいステージに登っていくような、
そんなイメージでした。
実際には
➖スピリット(魂)とは自分の内側に在る➖
ですから
《自分と向き合う》
のですね。
たとえば
瞑想をするにも
外界にスピリット(魂)が在るのなら
瞑想は意味を成しません。
目を瞑って意識を外界から自分の内側に向けていくのは《自分と向き合う》ためです。
《自分と向き合う》のは
自分(スピリット)が内側に在るから。
聖長とは自分(スピリット)に還ること。
僕がこのことを知ったのは
実は去年の暮れのことでした。
45年スピリチュアルをしてきましたが
そのような大前提を知らずにスピリチュアルをしていたのですね😅
ですから
素晴らしい言葉に出会っても
素晴らしい先生に教えて戴いても
そもそもを知らずに聖長しようと頑張っていたので、本当に効果がありませんでした😭
そのような体験を経て今の僕が思うのは、
他者と接していて
【自分という魂は内に在る】
この根本原理を知らない人が殆どであるということです。
その為に
《本心を外に求める》のです。
正解を外に求め、自分を生きられていない。
スピリチュアルを意識的にしていない人で在ればなおのこと、自分の内を見つめる大切さを知りません。
反省を自分責めと思い込んで、ネガティヴ感情に溺れて自身が切腹とか他者を糾弾とかをしてしまい【スピリット(魂)=自分】に還れないまま苦しみの人生を過ごしています。
(昨日までの僕だけれど😇)。
スピリット(魂)に還りたいけれど還れない思いから不足感や欠乏感が生じ、“もやもや“と呼ばれる不幸感の中で過ごしていたり。
(僕の場合“めらめら“だったけれど🔥)
みんな幸せなのですが
【幻想】の中にいることで
幸せが見えなくて
“幸せになろう“として
かえってさらなる【幻術】を自分にかけて
濃霧は深まるばかりとなっています。
幸せとはスピリット(魂)そのもののことですので、ただスピリット(魂)を感じれば幸せになります。
その為の《自分と向き合う》ですから☺️
そして感じたままに動いていき創造をしていくのですね。
その過程が
【幻術使い】から➖愛宝➖使いという賢者への道筋となります。
たとえ賢者になっても
愛という自分を感じる。
ただそれだけのこと。
外に幸せを見つけに行くのではなくて
自分の中に既にある幸せを感じる。
自分の幸せを感じればこそ
どんな言動・行動をするかが明確に分かるのです。
➖愛宝➖のきっかけは
ただそれだけのことなのです。
つまり
《自分と向き合う》という
ただそれだけのこと。
『それが難しい』と思うのでしたら
それは【幻想】です☺️
絶好の好機ですね💎✨
最後までお読み戴き
眞にありがとうございました😊
またねっ👋
チャオ❣️😊
祭統 白宇
SHIR㊉W