「パレスチナの話をしよう」
【#パレスチナの話をしよう/ハッシュタグキャンペーンをはじめます】
4月6日、桜がきれいに咲いていた日。わたしの元に、ガザの友人から連絡がありました。
「ガザの大学生が日本で勉強を続けるために、受け入れてくれる機関ってないのかな」
彼女は日本に留学したいという夢をもっています。わたしが通う京都大学では、ウクライナから大学生を受け入れたというニュースがあったな、と思いながら、インターネットで調べたり、日本にいるパレスチナ人のコミュニティに詳しい友人に尋ねてみたりしましたが、現状そうした支援はありませんでした。ガザから出ることさえ難しい状況では、制度がないことは仕方ないかもしれません。でもガザの大学生の学ぶ権利や機会について、ほとんど議論されていないことは、彼らを同じ人権をもつ人間として見ることができていない世界を象徴している気がして、胸の奥に冷たいものが走りました。
わたしは前日に、大学院に入学したばかりでした。彼女が学びたいと思っていながら戦禍の中を生きていると想像すると、何も見つけられなかった、と伝えることに苦しさを覚えました。何もできないという現実が、目の前にどん、とそびえているようでした。でも、正直に言うほかありませんでした。彼女は自分にとって希望を失うような知らせを前にしているのに、明るい言葉を返しました。
「調べてくれてありがとう!」
わたしは耐えられない気持ちになり、最近パレスチナについて文章を書いて、記事として発表したことを付け加えました。ありがたいことに、この春、そうした場をいくつかの雑誌からいただくことができました。あまり人として謙虚なやり方ではありませんが、でもそうやって少しでも何かしていることを伝えないと、ガザにいる彼女に希望というものは、ひとかけらも降ってきてくれやしないと思ったのです。空が飛行機と爆弾の飛び交う場所ではなく、夢を見られる場所になるまでに、どのくらい時間がかかるのでしょうか。
自分の声は小さいけれど、ガザについて伝え続けたい、と送ったわたしに、彼女は言いました。
「いちばん大事なことは、パレスチナについて話すのをやめないことだよ」
わたしははっとしました。ずっと、もうできることが尽きてしまったような感覚でいました。知り合いから送られてきたインターネット寄付のリンク。アルバイト代しか自分の自由にできるお金はなく大きな力になることはできませんでした。窓口が機能していないからでしょうか、個々の家庭がそうした寄付のサイトを通してお金を募っていましたが、その全てに寄付することもできません。
SNSには真偽なんて確かめようのない情報があふれ、メディアの報道には、世間が慣れすぎてしまいました。ガザで飢餓状態にある人が増えているという衝撃的な見出しも、怪我をして泣く子どもの写真も、もう半年も続いている戦争のニュースとして、「日常」に溶けこみはじめていると気づきました。わたしはいつのまにか、それらを見逃せるようになってしまうかもしれない。そのなかでわたしたち「しろる」が伝えるべきことは、すべきことはなんだろう。話し合っても答えが見えない。その間に傷つく人がいる。失われる命がある。夢がひとつ消える。
パレスチナの話をしよう。
彼女から送られてきたメッセージに、大切なことを気づかされました。ガザのひとたちは、もう十分すぎるほど声を上げ、語り、カメラの前に自らをさらしてきました。今度はわたしたちが、それを見て、聞いて、感じたことを伝える番だと思います。パレスチナについて考えたこと、感じたこと、わからないこと、もやもやすること。いま伝えたいこと、知りたいこと。言葉にして、一緒にパレスチナの話を始めませんか。
パレスチナの話をするためのきっかけづくりに、
#パレスチナの話をしよう
というハッシュタグを提案します。立派な言葉じゃなくていい。短くても、ひとことでも、自分のことばでパレスチナについて話をすることで、パレスチナのことをちらっとでも意識するひとが増える。自分にはできることがなかったとしても、みんなが考えるようになれば、それが届けば、解決するための力をもっているひとたちが動く。政治家かもしれないし、お金や知識のあるひとかもしれないし、大きな会社かもしれない。ガザの大学生を受け入れようとする大学が手を挙げるかも。まずはあなたの、パレスチナのニュースを聞いて感じることを、聞かせてください。
(ゆずか)
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