あなたの感性、いただけませんか ~フィクション・ストーリー~ 5
三、ひとりは一人、一人は独り
素明には覚えのある部屋だった。彼女は物心ついた時にはもう既に親戚夫婦の家に預けられており、大学を卒業するまでそこで暮らした。厳密にいえば、素明の実の母の妹夫婦の家である。この家には、素明以外に子どもはいない。そして素明には、実の両親と共に過ごした記憶はまるでない。義母に聞くには素明の両親は遠く離れた場所(県外?)で共働きしているらしいのだが、実際のところは分からない。現在彼女がいる場所は、かつて暮らした家の中にあるリビングであった。
今このリビングには誰もいない。ただ、部屋の真ん中に一・二メートル程の一羽の大きな鳥がいる。桜色で、まるで色の薄いフラミンゴかのような印象を持つ。
素明はこの鳥と遊びたくて近づいたが、鳥の方はトコトコと逃げていく。しかしこの子と遊びたいと思う一方で、あぁこの鳥も動物園にいるような鳥類と同じように、アジとかイワシとか丸呑みにするのかなあ、なんて呑気に思う面もある。彼女は、これが夢だと分かっているようだ。
自分から逃げる鳥の姿をしばらく見ているうちに、突然素明の作家脳がぐるぐる動き出した。
素明はスマホの着信音で起こされた。さっき夢の中で思いついたネタを忘れないようにメモしなくてはと思いながら、スマホの表示を確認して電話に出た。
「はい。」
「もしもし、今何してた?」
「・・・。」
「寝てたの?」
素明はベッドの上で寝返りを打ち、うつ伏せになってから答えた。
「ちょっとね。 何?」
三秒ほどの沈黙の後、聡(さとる)は答えた。
「君の声が聞きたいと思って、電話をしたんだ。」
別に理由はないが、彼女はただ素っ気無くそう、とだけ答えた。
「原稿、うまく進んでる?」
聡は、温かい声で、とても優しい口調だった。素明は聞かれて一瞬、胸にチクリと何かが刺さった感覚に陥ったが、聡の優しい声に感化され、素明の答えも自然とトゲのあるような口調にはならなかった。
「何で?」
「ん?進んでるかなあと思って。でも、その感じは進んでないな?」
聡は笑っていたが、素明はそれを沈黙で返した。お互いに喋らず、それぞれ自分が持つ通信機器をただ耳に当てただけの時間がしばらく続いた。
五分程経った頃、聡が口を開いた。
「電話に出てくれてありがとう。安心した。」
「そう。 ・・・じゃあね。」
「ありがとう。また、電話する。」
「うん」
電話が切れた。最初はお互いに何も喋らなかった時間を振り返ってボーっとしていた。時計を見ればあれは五分ほどの事だったようだが、体感ではとても長く感じた。本当に癒された。あれが五分しか経ってない?あり得ない。本当に?まさか。 疑ってしまうほど、本当に良い時間だった。ふと我に返って自分が新しいストーリーのアイデアを思いついていたことを思い出し、手に持っていたスマホを開いて思いつくままにメモを打った。
「小さな鳥が一羽いた。ある日突然体が大きくなった。好物のものを食べるが、大きくなったその鳥には食べ物が小さすぎて「食べた気がしない」、と。そのため、そこらじゅうの食べ物を片っ端から食べてまわるが、食べても食べても満足しない。
だから、わざわざ体を大きくなんかしなくたって、ありのままの自分が食べるご飯が一番美味しい、と元の小さな体に戻っておいしそうに食事をしている鳥。
(はじめは主人公の鳥が餌の好き嫌いが激しい、おやつをやたら欲しがる〈わがままな感じ〉、そこで、突然体が大きくなったというシナリオにしては?)」
思いつくものを一通り書き終え、何だかまたやり場のない気持ちになった。なんだ、これでも数十枚は書けるじゃないか。何でこの話で書き始めなかったんだろう。素明は多少の後悔をしていた。
素明はベッドで大の字になり、再びボーっとした。さっきより何倍も長い時間が過ぎた。ふと気が付けば、夜の十時を回っていた。あぁもうこんな時間だ、晩御飯を食べなくては。よく考えたら、昼食すらも食べていない。…でも、何も食べる気がしないなぁ。そう思っていたら、彼女はまた眠りに落ちた。
再び目覚めた時には、とっくに朝の十一時を越えていた。あぁ今日も朝を過ごすことが出来なかったのか、そう思うと、素明はとてもがっかりした。
もうすぐお昼になる。昨日の夜から何も食べていないので、さすがにおなかが空いた。何か食べなくてはと上体を起こしたら、昨日起きた竜巻の残骸がそのまま残っていた。それを見て、素明は一つ大きなため息をついた。
食事とはとても数えられないような食事を適当に済ませると、再びあの魔の空間に戻った。仕事をしなくてはと思ったが、とてもやる気にはならない。腕を動かすどころか、新しいものを考える気にもならない。昨日思いついたあの話だって、今は明るい話を紙に落とし込もうなんて気には到底なれない。素明は今いる空間を見まわした。どこを見ても、視界には必ず何らかの (C≪6≫H≪10≫O≪5≫)≪n≫が入ってくる。今の素明には、それがとても辛かった。
この中でどこか視界が平和な場所はないのか。一つ見つけたのは、天井である。でも、天井に身をおろすことは物理的に出来ない。どうしたらいいだろう。 …そして彼女は思いついた。“そうだ、押入れがあるじゃない”
素明は押入れの扉を開け、中に入って体育座りをし、内側から扉を占めてみた。真っ暗に限定的に指す光の線たちと共にする空間は、彼女をホッとはさせないものの、抱える焦りからは少しだけ距離を置かせることができた。眠りはしないものの、扉にもたれかかってただ目の前を見つめていた。
しばらくすると、家の中から誰かの足音が響きだした。こんな家を歩き回るのは聡くらいだろう。素明、と呼ぶ声が聞こえてくる。
やがて彼は素明がいる部屋に入ってきた。部屋のドアが開けられ人が入る音はしたが、彼は部屋に入るなり何の言葉も発さなかった。
今までで最後に入った時と違う部屋の状態が視界に飛び込んできても、聡は特に驚くような素振りは見せなかった。部屋に入るなり何も言わずに床に散乱した紙を拾い、まとめて机の上に置いた。そして押入れの方を見、表情一つ変えることなく足を向けた。彼が扉を開けると、まるで犯罪者から保護するときの孤児のような目をした若い女性が、自分の足元でこちらを見つめていた。
聡は素明の手を引き、暗かったであろう空間から引っ張り出した。彼女は顔を上げ、彼を見つめた。彼も自分を見つめる彼女から目を逸らさない。聡が部屋に入ってきてからここまで、二人はお互い笑みを浮かべることなく、言葉も交わさなかった。
先に目を逸らしたのは素明の方だった。今が気まずいとか、目の前の人が怖いとかではなく、元々彼女はこういう性格の人間だ。聡もそれを分かっていた。彼女が視線を自分に向けなくなったのを見て、聡は口を開いた。
「少し出かけてみないか?」
素明はそれを聞いて再び聡を見た。
ーーーー
こんにちは、明月詩織です。
追記です。
文中にある「(C≪6≫H≪10≫O≪5≫)≪n≫」、分子式を表しています。分かりにくくて申し訳ないです🙇💦
≪≫で括っている中は小さな文字の表記となりますので、お時間がある方は是非、調べてみてください^^.
頂いたサポートにお応えできるよう、身を引き締める材料にしたいと考えています。宜しくお願い致します。