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締切と死
諸々のレポートや試験が終わった。自由の身になった。
果たして僕は卒業できているのだろうか。単位を確実に取れたと自信のある授業が一つもなくて不安だ。本当に何かのうっかりでミスって留年しているかもしれない。
結果が出るのが一ヶ月以上先なのも怖い。解放されたからって遊びまくって、卒業できたかどうかなんて忘れている頃に通達が届くの恐ろしい。かといってもう全部終わっていることなんだから、結果に怯えながら過ごすのも悔しい。
締切に追われていると他のことが疎かになってしまうようで、今年は丁寧な暮らしをしよう、自炊をなるべくしよう、と意気込んでいたのに、試験一週間前あたりから結局部屋は散らかり、松屋と学食ばっかり頼ってしまった。
締切に追われる恐怖というのは、根源的には死への恐怖に近い気がする。締切が近づくにつれて、「もっと早くやっておけばよかった」「先生が勧めていたあの本を読んでおきたかった」などと、レポート作成や試験対策のためのやりたいことリストが今さら浮かんでくる。でも全部できるはずなんてないから、限られた時間の中でやれることをやるしかないと、泣きながらWordやレジュメにかじりつく。
あの焦りは一体なんなんだろう。人類って狩猟採集をしていた期間の方が圧倒的に長いから、その時の感情が本能的に刻まれているはずだと思うんだけど、「締切」っていう概念は長い目で見ればかなり最近に生まれたものじゃないか。しかも「締切」は凶暴な動物でも自然災害でもなく、抽象的で目に見えない。それなのにマジで間に合わなかったら死ぬって思うぐらい焦ってしまう。こんなに感情が揺さぶられる。つまり締切とは死と共通の恐怖を持っているのではないか。
ということは、自分が死ぬ間際も同じように色々後悔してしまうのだろう。
僕と違って計画性があり、レポートは余裕を持って提出し、試験は万全の準備ができているようなしごできの人は、死ぬ間際も何も後悔がないのだろうか。
老人に「人生で後悔したこと」についてアンケートを取って、「チャレンジしなかったこと」とか「健康に気をつけなかったこと」とか言っているのを取り上げる自己啓発系のやつをよく見るけど、しごできの老人にも同じことを聞いてみたい。
ここまで読んでいただきありがとうございます。大学生活でもすでに後悔していることだらけ。