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母と

久しぶりにnoteを書こうと思った。

6月に父が亡くなった

母を近所に呼んた。
今の住まいでは狭くて母との同居は無理なため、
近所に部屋を借りて行き来をしている。

常に誰かの犠牲者となり
不平不満の人生だった母

母の口から出る他者は全て敵だった。

最後に残ったのは母だった。
もう母を責める人、文句を言う人はだれもいない。
誰かのために我慢する必要はない。
いや、母はそれを結局選んで生きて来ただけなのかもしれない。

母はどんな風に残された時間生きるのか

そうする必要がなくなったとき、
母はいよいよ老いて
いろいろな認知機能が下降してきている。


その一方でそばにいる私は
どう母と過ごすか。

摂食障害は母との関係も大いに関係していた。
距離をおいて生きて来た自分が
いま再び母の生活をサポートすることは

ゆるしの学びである
そんな風に思っている。

私が母をサポートするんだと思う気持ち

昔話しか話さない、
母をちょっと異様な目で見ている自分がいる
そこに上下の関係が生まれてしまっている

今日の夜、疲れて、話を聞きながら意識が飛んでしまっていたら、
帰りがけに「随分疲れているようだね」と言われた。

分かっている
母は気が付いているのだ

とても申しわけなく思った

どこか傲慢な気持ちになっている自分に気が付いた

ん~、、、

もっとやさしい時間を持ちたい。


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