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左眼の鴉 第三話後編

前編のあらすじ
 夢で職場の先輩の瀬下が殺される光景を見た川尻。それは殺意を抱いた者の見る光景を眠っている間に傍受したものだった。夜中に自分の部屋に入って来たカラスのルース。ルースは人間の言葉を話し、自分が神の使いであることを伝える。ルースに自分の見た物が何なのか教えてもらった川尻は、同時に瀬下を殺した犯人を知る。ルースとの会話の途中で誰かがやって来て、玄関のドアの鍵が開く音がした・・・。

 パパは夜中に一度帰ってきた後、また出て行った。

 私は頭を怪我し、体が動かせない。自分で食事が摂れず、胃に直接栄養を流し込むための管がお腹から出ている。「胃瘻(いろう)」というらしい。
 パパはいつも「私のため」と言い、勝手に何でも決めてしまう。
 「私のため」に食べたくない野菜を無理やり食べさせ、「私のため」に嫌いな勉強をさせ、「私のため」にピアノを習わせ、「私のため」に治る見込みのない怪我と胃瘻の手術を先生にお願いした。
 
 パパは子供の頃から私を自分の持ち物として扱った。パパは私を「愛している」と言うが、パパが愛しているのは自分の思い描く家庭だし、それを守る自分だ。私もママも、パパが勝手に思い描いた理想の家庭で生活するための道具に過ぎない。私もママもパパの思い通りにしなければ、殴られる。
 
 パパが初めて私を殴ったのは幼稚園の時。パパが「私のため」にカレーを作った。私が人参を嫌いなことを知り、「私のため」に人参を小さく刻んだカレー。食べたくないけど無理やり食べさせられた私は、美味しくなくて口に入れた物を吐き出した。パパは怒って私の手を叩いた。ママがそれを止めようとしたら、ママも殴られた。それ以来、パパは私が言うことを聞かないと私の小さな手をパパの大きな手ではさみ、バチンと叩くようになった。私の体が大きくなってくると、手ではなく肩、背中、お尻と叩く場所が増えていった。だからこれ以上大きくなりたくなかった。ママはいつも私をかばってくれたがそのたびにパパに殴られた。
 
 小学5年生の夏、ママはいなくなった。私に何も言わず。学校から帰って、ママがいないことに気づいた私が「ママはどこに行ったの?」ってパパに聞いたら、パパは「他の男と逃げたんだ」と答えた。その時のパパは顔が真っ赤で、赤鬼みたいだった。それ以上何かを聞くとまた殴られると思ったからもう聞くのはやめた。でも私は知っている。ママはどこにも行ってない。ママが私を置いてどこかに行くはずないもの。
 その日から、私はパパと二人で暮らした。ママがいなくなったのにパパは結婚指輪をずっと付けていた。パパは「ママのことがまだ大好きだから」と言っていたけど、多分違う。ママに逃げられたと思われるのが嫌なのだ。仕事のお友達にはママがいなくなったこと、話していなかったもの。時々パパの友達が家に来た時は「ママはおばあちゃんのところに行っている」と言うように言い聞かされていた。ママがいなくなってから、パパは私を殴る日が増えた。送り迎えに行けないからと、塾もピアノも辞めることになった。勉強もピアノも元々好きじゃなかったから別にいいけど。
 
 中学に入って、少しでも家に帰る時間を遅くしたくて「部活をしたい」と言ったけど、パパは「夜道は危ないから」と許してくれなかった。家にいる方が危ないのに。
 ある日、学校から帰る途中の神社で子猫がいるのを見つけた。黒猫で、右足を怪我していた。首輪をしていないから野良猫なのだろう。右足を引きずる痛々しい姿がなんだか自分を見ているようだった。私は「テト」と名付け、その日から学校の帰りに神社に寄って給食の残りのパンを食べさせたりしていた。
 
 あの日、夜勤に行く前に私が作ったおにぎりを食べたパパが部屋にいる私を呼び出した。たまたま材料がなく、塩をつけて海苔を巻いただけのおにぎりにしたのが気に入らなかったらしい。「俺に具の無いおにぎりを食えと言うのか」と腹を立てたパパは私の頭を壁に打ち付けた。その後パパは文句を言いながらも具無しのおにぎりを私の分まで全部食べて夜勤に出かけて行った。私を殴るのに理由はなんてなんでもいいのだろう。頭を打ったせいか、少し気持ち悪い。食欲も無く、外をボーっと眺める。すっかり日が暮れて、雨が降っていた。
「テト、寒くないかなぁ」
 私は神社の縁の下で寒さに震えて丸くなるテトを思い浮かべた。急にテトに会いたくなって、ポケットに魚肉ソーセージを入れて神社に向かった。頭の痛みは段々強くなる。外はもう暗く、雨で視界も悪い。フラフラと自転車を漕いでいると急に吐き気がこみ上げて来た。人通りもない県道の真ん中で自転車を止めて道の脇にしゃがみ込む。額に手を当てると、雨で傷口が開き手に血が付いていた。左側から車のライトが近づいてきた。車はブレーキ音をさせながら減速したのでそれほどスピードは出ていなかったけど道の真ん中に止めていた自転車とぶつかって自転車が倒れてしまった。車の人に道の真ん中に自転車を放置したことを謝ろうと思ったけど、頭が痛くてそのまま倒れてしまった。
 
 その後の事はあまり覚えていない。

 気が付くと病院の天井が見えた。頭には包帯が巻かれ、髪の毛は無くなっていた。お腹からは栄養を流すための管がぶら下がっていた。
 しばらくして退院した私は今、家でパパに世話をされながら息をしている。生きてるって言えるのかな。  
 相変わらずパパは「私のため」に仕事を辞めて、「私のため」に家にいると他の人に話しているのだろう。一日三回お腹の管から栄養を流し、身体を拭き着替えさせ、時々来る主治医の先生にはしっかり面倒を見る父親の姿を見せる。それ以外の時間はビールを飲み、グータラしているばかりだ。
 
 今日、父は黒いスーツを着て出かけて行った。出かける前に私のオムツを替える時に窓を開けて、急いでいたのか閉め忘れたまま。「風が冷たいな」なんて窓の外をボーっと見ていると、カラスが電線に止まりこちらを見ている事に気付く。カラスはしばらく私を見た後に、羽を広げこちらに飛んできた。開けっ放しの窓から入り、部屋をゆっくりと一周すると窓辺に止まる。
「あなたはずっとこのベッドで寝てばかりいますね。体が動かないのはとてもお困りでしょう?」
 カラスが私に語り掛ける。カラスはこんなにスラスラと話すことができるし、どこにでも行きたい所に行けるだろう。それに比べて私は・・・。そんなことを考えると情けなくなって目から涙が零れ落ちる。
「やはりお困りのようですね。これはあなた様の症状を治す薬でございます。オッド様は研究熱心で様々な効果のある薬を作ることができるのです。私が見た世界を通じてあなた様のお困りごとを見抜き、あなた様に合う薬を私に持たせて下さいました。なんと慈悲深いお方でしょうか。」
 返事も出来ない私にカラスは話を続ける。
「なるほど、この管から流し込めば良いのですね。」
 カラスは私の胃瘻の管を見る。首に掛けた注射器に青く光る液体が充填されている。カラスは翼を手の形に変え、胃瘻の管と注射器を接続し、私の同意も得ず薬を注入する。何の薬なのだろう。もしかして死なせてくれる薬なのかな。そうだったらこの地獄から抜けられるし、まあいいいか。


 
 玄関の方で「カチャリ」と鍵が開くような音がした。まだ酒も残ってちょっと酔っているし、気のせいかな。さっきのルースとのやりとりも夢なのかもしれない。ビビりの俺は確認しに行くのも怖いので布団を被ろうとするが、この前見たB級サスペンスを思い出す。あのサスペンスの通りなら、この部屋に誰かがナイフを持ってやってくる。そしてベッドに眠る俺にそれを突き立てるのだろう。なんだか恐ろしくなって俺は思わずベッドの下に身を隠す。玄関のドアが開き、部屋に誰かが入ってくる気配がする。夢じゃなかった。そうだ、もしかしたらルースが言うように俺には不思議な力があって、殺意の信号を傍受して部屋に入って来た奴のヴィジョンが見えるかもしれない。寝てないけど。ダメ元で俺は目を閉じる。というか他に出来ることはない。

 アパートの外から俺の部屋が見える。俺の部屋の中に視点がズームアップする。部屋のドアが開く。黒いマウンテンパーカーのフードを被り、ナイフを持った男が部屋に入ってくる。部屋に入るとフードを取り、顔が露わになる。田島だ。部屋に獲物がいないことを不思議に思い、田島は首を傾げる。ベッドの布団をめくり、温度を確認する。部屋を見回し、窓を開け外を見る。俺と目が合う。あ、俺じゃないか。もしかして・・・このヴィジョンってルースの?
 そのまま向き直り部屋を後にする。窓は開けっぱなしだ。アパートの階段を下り、赤い自転車に乗ってどこかに消えて行った。そこでヴィジョンは途切れ暗くなる。

 また田島が戻って来るかもしれないからとしばらくベッドの下で息をひそめた後、誰も来ないのでベッドの下から這い出る。
「危ない所でしたねぇ。川尻様が機転を利かしてベッドの下に隠れなければ殺されていたかもしれないですね。」
 急に声を掛けられビクッとなる。窓の方を見るとルースが窓辺に止まっていた。
「もしかしてルースがあのビジョンを見せてくれてたのか?ていうか、助けろよ!」
 ベッドの下の俺に田島が気づいていたら、今頃殺されていたじゃないか。
「私が行ったところでどうにもなりません。何も見えず死ぬのは川尻様も不本意かと思いましてねぇ。ところでこれからどうなさいます?」
「どうするったって・・・警察に行っても証拠が俺の見たヴィジョンだけじゃ証明のしようが無いだろ。」
「でも相手は仕事をしていませんので、これから川尻様はいつでも狙えると思いますよ。シフトもその気になれば把握できるでしょうし。これからずっと怯えて暮らすのですか?」
 ルースの言う通りだ。相手は時間がいくらでもある。俺の仕事帰りなど、見張っていれば一人になるタイミングはいくらでもあるし、背中を狙うのは簡単だろう。
「じゃあ、どうしろって言うんだよ。ルース、何かいいアイデア無いのかよ。」
 俺は苛立ちながらルースに言う。
「そちらをご覧ください。」
 ルースは俺のスマートフォンをくちばしで指す。
「スマホ?これで警察に電話しろってことかよ・・・エッ!?これって・・・」
 俺のスマホには瀬下さんが殺された日のルースのビジョンが映し出さている。
「私は神の使いですからね。ヴィジョンをデジタルデータにすること位は造作も無いことでございます。」
 ルースは胸を張り得意げに話す。
「すごいぞ!ルース!これを警察に持って行けばあいつを捕まえてもらえる!」
 俺は早速、警察に駆け込む。警察官にスマホの動画を見せ、さっき俺の家に田島が口封じに来たことを伝えると警察官はすぐに田島の家を調べ、そこに向かった。

 田島の家にパトカーが何台も止まる。ドラマで見たような黄色いテープが張られ、立ち入り禁止となっている。ブルーシートで覆われた入口から担架が出て来る。毛布を掛けられているが、血まみれの左手が見える。その手には結婚指輪が鈍く光る。

 俺が持ち込んだヴィジョンのデータを見た警察官が田島の家に急行すると、田島が包丁でめった刺しにされて死んでいたそうだ。田島が介護しているはずの娘さんの姿は無く、行方不明だとのことである。田島を襲い、娘さんを連れ去った犯人の足取りは見つからず、一切手がかりも無い状況で捜査は暗礁に乗り上げたそうだ。後から聞いた話だが、警察が田島の家の家宅捜索をすると縁の下から人骨が出て、鑑定の結果、田島の奥さんの物であることが判明したそうだ。
 当初は病院でも色々と噂が流れたが、日々舞い込むニュースに埋もれ、事件の事はいつしか話題にも上らなくなっていった。


 事件から半年後、俺はというと相変わらず病院で認知症の高齢者の介護をしている。その後ルースが俺の前に現れることも無い。相変わらず家と職場の往復という生活なのに変わりはないが、最近俺の生活に変化があった。うちの病院の院長の荒木先生に酒の席で勧められ、「カムイバース」と言うメタバースプロジェクトのコミュニティに参加するようになったのだ。
 
 カムイバースと言うのは、とあるWeb3コミュニティが運営するメタバースプロジェクトだ。有名漫画家がデザインした世界観を元にして土地のNFT(Land NFT)を買うとその世界の国民になれるというのをコンセプトとしている。
 人々と神々が共存する世界。創造神アンマをはじめ数々の神々が存在する。国民達は絵を描いたり、音楽を作ったり、物語を作ったり、自分の好きなことをやってメタバースを介し、世界中で繋がり楽しく暮らしている。
 国民の手によりまとめられたカムイバース大全集の中には、神々の紹介ページがあって、その神々の一人に「オッド」という神がいる。その肩に止まる2羽のカラス。そのカラスに会ったことがあるって言ったら、皆は信じるかな?もしかしたら適当に合わせてくれるけど、少しずつ「やべー奴」として徐々に距離を取られるかもしれないのでまだコミュニティでも言い出せていない。
 そう言えば、カムイバースの国民で俺が時々やり取りしているManaと言うアーティストがいる。「テト」って言う神様の絵が滅茶苦茶良いんだよな。顔も年齢もわからないんだけどね。
 興味がある人は、「Fujiwara Kamui Verse」で検索してみて欲しい。きっと自分のやりたい事や素晴らしい才能を持つ人たちとの繋がりが持てると思うよ。


 川尻様はあれ以来、ヴィジョンを見ることは無いようです。あんな田舎で殺意なんてそうそうないですからねぇ。見える時は誰かが殺される時なので見えない方がいいでしょうし。
 あの寝たきりの娘も今はどこかで元気に暮らしているといいですねぇ。私は何も知りません。

 皆様、いかがでしたでしょうか。今回は小さな町の病院を舞台とした興味深い人間の物語を紹介させて頂きました。
 
 私としましては、オッド様の偉大さがまだまだそちらの世界に伝わっていないことを非常に遺憾に思います。そのうちに機会があればゆっくりとお話ししたいと思います。私とルークはまだこちらの世界におりますので、もしお困りのことがありましたら何なりとお申し付け下さい。
 オッド様からは「困った人がいれば助けるように」と常々申しつかっておりますので。それではまたお会いしましょう。

 そう言うとカラスは大空に羽ばたいて行った。
(終)

※FujiwaraKamui verseは実在しますが、本作に登場する人物や事件はフィクションです。

第三話前編:

Fujiwara Kamui Verse:


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